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山国川は今回の豪雨で大変なことになっているようで被害に遭われた方々にお見舞いもうしあげます。以前青洞門を訪れたときに感じたのですが、Wikipediaによると「諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれている。」とありますが対岸は広々とした平地でわざわざ洞門を掘らなくても対岸を迂回してお寺の向かい側へ橋を掛ければ済みそうにとおもいました。今回の洪水をみて当時は橋も架けれない程の急流だったのでしょうか?また地形も随分変わったのでしょうか?

A 回答 (3件)

青洞門があるのは日田天領、川の対岸は中津藩領で有ったので物資の運搬などで対岸を使用する事に支障があったようです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうがざいます。
物資の運搬に支障があったとありますが全国にはそのような場所は至る所にあり障害になったとはあまり聴きません。むしろ川を利用する利便性の方が高かったのではないでしょうか?修験道等の修行道場として開山した場所が江戸時代になり観光地化され参拝客誘致のため現代のロ-プウェイを設置したようなもので禅海和尚は事業家としての才覚があったのではないでしょうか?でなければ有料道路にはしませんよね。夢のない話ではありますが事実はこんなものじゃないかと感じましたが如何でしょうか?

お礼日時:2012/07/16 13:53

私も子供の頃に聞いた話で殆ど記憶にないのですがとにかく昔は相当な難所で川の岸壁に沿って一人が岸壁に張り渡された鎖をつかんで田んぼの畦道より狭い足場を渡って行き来していたため村人が(現在の本耶馬渓)結構転落して川に落ちて命を落としたと聞いたことがあります。



とりあえず参考に

http://panorama.photo-web.cc/tiiki/nakatu/aodoum …
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 上流に耶馬溪ダムがありますね。

これは1984年にできたものです。

ひょっとしたらこのダムが出来るまでは、あの青の洞門前の優しいせせらぎも普通の大きな川だったのかもしれませんね。
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