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光速度はどういう状態からみても常に一定である、というのがイメージできません。数式等だと理解ができる(正確にはできた。もう忘れてしまいました・・・。)のですが、イメージで考えると、どうしても理解不能です。誰か、分かりやすく、普通のイメージで説明してください。よろしくお願いします。

A 回答 (25件中11~20件)

taro813 さん。


光速度は変化しないのです。
日常の感覚ではおかしく感じるかもしれませんが、
一つの光をどのような速度で動いてる人が見ても同じ速度に見える
ということから、それぞれの人の時間などが異なることになります。
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queschanさん。


ある物体の速度が変化したことを、その物体が静止していて時間や空間
が変化したと言い換えることもできると思います。
同様に光の速度が変化したと考える変わりに時間と空間が変化したと考
えることもできます。どちらも同じ現象を別の観点で表現しているだけ
ではないでしょうか。
どのような速度で動いている人からも光が同じ速度で観測されるのは、
光の速度が観測する人の速度に追随して変化しているからと考えた方が
自然ではないでしょうか。
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>ある物体の速度が変化したことを、


>その物体が静止していて時間や空間が
>変化したと言い換えることもできると思います。
数式なしに説明するのが難しいですが、
質量を持つ物質の場合はその物体と同じ速度で動けば
その物体が静止しているように見える形に移ることは可能です。
しかし、光子のように質量のない粒子の場合
もし同じ速度で動いたとしても止まっているようには見えません。
光と同じ速度で動いてもまだ光は光速で走っているように見えるのです。

>どちらも同じ現象を別の観点で表現しているだけではないでしょうか。
相対論を認めるなら質量0の粒子が静止しているところを見るのは不可能です。
したがって、光の場合は別の観点で表現できません。

>光の速度が観測する人の速度に追随して
>変化しているからと考えた方が自然ではないでしょうか。
自然と感じるかどうかについては否定できませんが、
この考え方だと相対論とは矛盾しています。
このような普通の速度の足し算は古典力学のガリレイ変換的な考え方になります。
これに対し相対論ではローレンツ変換という変換が出てきます。
アインシュタインは光速度は変化しないほうが自然と考えて
それを原理に相対論を作りました。
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queschanさん。


私は、あなたの説明していることと、わたしの説明していることは
同じで表現の方法(観点)が違うだけだと言っているのです。
時間や空間が変化したと表現するより、運動が変化したと表現した
方が説明しやすいし、イメージしやすい(->自然だ)と言っている
のです。
そのように、理解しても観測される光の速度は一定なので矛盾しない
はずです。
時間と空間が変化してしまった時空に存在する光は時間と空間が変化
する前の時空に存在する光と同じ運動をしているとは言えないと言っ
ているのです。
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>私は、あなたの説明していることと、わたしの説明していることは


>同じで表現の方法(観点)が違うだけだと言っているのです。
数式で理解している私にとっては
表現が違うだけだとはどうしても言えません。

>時間や空間が変化したと表現するより、
>運動が変化したと表現した方が説明しやすいし、
>イメージしやすい(->自然だ)と言っているのです。
確かに、ニュートン力学のようなガリレイ変換のような説明にすれば
日常生活での経験に近いわけですから説明しやすいかもしれません。
しかし、相対論は光速度不変の原理の上に成り立っています。
その部分の表現を変えて、光速度が観測者に合わせて変化し
時空は変化しないという説明は相対論に対する誤解を与えることになると思います。

>そのように、理解しても観測される光の速度は一定なので矛盾しないはずです。
確かにそれぞれの人の動きに合わせて光の速度が変化するなら
誰が見ても速度は一定に見えるでしょう。
しかし、相対論とは異なる変換をおこなっています。
結果は同じように見えて内容は違います。

この古い質問の中で私達2人が議論するのもなんですから、
taro813 さんが物理学カテゴリで新たに質問をしてみてはいかがでしょう。
もっと多くの人の意見が聞けると思います。
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queschanさん。


やはり、納得がいきません。相対性理論は光の運動についてだけ
記述したものではないと思うのですが、身近にある乗り物につい
ては速度が変化したと表現することができて、光については同じ
ように表現することが許されないのはなぜですか。

アドバイスありがとうございます。
私もここで回答しつづけるのには違和感がありました。
「光の速度は変化する?」という質問を新たに登録いたしました。

関連URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=155141
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「光速度不変の原理」というのは、


「光の速度は、どのような観測者から見ても一定である」
というものでしょう。
これはアインシュタインの相対性理論の基礎になっている考えですが、
私は、これは間違っていると思います。
運動するものの速度は、観測者の速度によって変わるはずです。
これはガリレオの相対性原理です。
原理とは、証明する必要のない、万人が明らかに正しいと認めるような自明の命題です。
それなのに、光にだけはその原理が当てはまらないというのは納得がいきません。
もしそうなら、その理由を説明するべきです。
しかし、アインシュタインの相対性理論では、その理由が説明されていません。
逆に、光速度不変を原理としているのです。
私は、ガリレイの相対性原理はどんなものにも当てはまるものであり、光だけが例外であるという理由はないと思います。
恐らく、これはアインシュタインの直感的なものでしょう。
したがって私は、この誤った原理を基礎とする「相対性理論」は完全に間違っていると思います。
昨日、このサイトに「相対性理論は完全に間違いだと思う」と書いたところ、たくさんの反論の回答が寄せられました。
その反論に答えて、どうしたら私の考えがよく分かるように説明できるだうか、と考えています。
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私もイメージできません。


というより、私は「光速度不変の原理」は間違いだと思います。
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光を止まって止まって観測する場合と、動きながら観測する場合と、時間のたち方が異なるので、結果として光の速度が一定になります。

というか、光の速度が一定になるように、時間のたち方が変わるのです。光と同じ速さで移動すれば、時間は経過しないことになっています。直感で理解するためには、「時間の経過をみなが同じように経験している」という常識を捨てる必要があるでしょう。
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私も同感です。


というより、私は「光速度不変の原理」は間違いだと思います。
光に限らず何の速度であれ、速度は観測者の運動状態によって変わるというのが間違いのない原理だと思います。
相対性理論では、「光速度不変の原理」を基に「観測者によって時間の進み方が異なる」という結論を出していますが、これはとんでもない間違いだと思います。
私は、時間には実体はなく、実際には運動と現象の変化があるだけで、その変化や運動を記述するために時間というものを考えているだけで、物理学においては「時間はどこでも、どの観測者から見ても一定の速さで進むものである」と約束して考えているものだと思います。
「光速度不変の原理」は、実際にはありえない間違った「原理」だから、イメージできないのは当然です。
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