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エヴァでアスカが
「他人の為に頑張ってるんだと思うこと自体、楽な生き方してるって言うのよ」
と言いますが、
他人の為に頑張るのって、楽な生き方なのでしょうか?

私は人のために役に立ちたいと思うし、
彼氏においしいご飯を食べさせてあげたい・彼氏を喜ばせたいと思って生きていますが
それって楽な生き方なのでしょうか?

子供がいる人は、子供の為に生きる人が多いですが
それは楽な生き方なのでしょうか?

「自分の為に生きる」と言うのは、難しい事だという事でしょうか?

A 回答 (5件)

アスカに比べれば、楽な生き方だと思います。


ただし、「楽な生き方=ダメな生き方」「辛い生き方をしている人の方が偉い」というのが、そもそもナンセンスだと思います。
人生は我慢大会ではありませんから。

つまり、そもそもアスカの言っていることが、まともではない。

エヴァンゲリオンという作品は、主要登場人物全員が、心に何かしら欠けた部分や大きな傷を持っていて、全員が何らかの問題を抱えていると思います。
言い方は悪いのですが、まともな人が一人もいないという、すごい作品。

それが「人類補完計画」というテーマにつながっている、というのが、私の理解です。

アスカという人物を掘り下げて考えると、実は「自分のために生きている人」ではないと思います。「母に認めてもらうためだけに、猛烈な報われない努力をしながら生きてきた人」→「その母に自殺されてしまい、最後まで認められることのないまま、実は既に生きる意味を完全に失ってしまった人」という、とても悲惨な人です。

けれども、その事を認めると、本人の自我が崩壊してしまう。だから、認めるわけには行かない。
アスカは、誰に対しても、常に上から目線です。
自分は誰よりも努力をしてきたナンバーワンの存在でなければならない。
そう思えていなければ、生きられなくなってしまう、実は非常に自我の脆弱な人です。それは本人の責任ではないのだけど。

だから、自分よりもはるかにあやふやに見える受け身姿勢の生き方をしてきたように見えるのに、パイロットとしての頭角を現し、アスカを上回り始めた、シンジという存在は、アスカにとっては、自分の自我をおびやかす脅威であり、非常にイラつく存在なわけです。

だからぶつけた言葉であり、憎まれ口であり、アスカにとっては、自分の自我を守るための必死の心の叫びである、というのが私の理解です。

最後には、アスカは、そんな自分の脆弱な自我を使徒に暴かれ、精神崩壊を起こして廃人になってしまいます。

だからアスカは、とてもかわいそうな人だと思うのですが、あの言葉には、まともに耳を貸す必要はないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/22 17:11

どんなシーンで、誰に言ってるのかわかってないのですが。


仮に、アスカがシンジに言ったとしましょう。
「みんなに言われたからエヴァに乗る」「みんなに褒められるからエヴァに乗る」

「みんなの為に頑張る」
と、シンジが考えたとしましょう。

アスカは、エヴァを「自分のため」に乗ると考えています。
だからこそ、結果を求めて必死になって努力していますね。

さて、エヴァに乗って結果が出なかったとしましょう。
アスカは、結果が出ないことに落胆し、傷つくでしょう。そのために必死になってがんばってきたのですから。
誰かに慰められたとしても、きっとそれくらいで癒えたりはしないでしょう。

一方シンジは。
がんばったけど、ダメだった。落ち込むかもしれませんが、「よくやった」「がんばった」と誰かの慰めの言葉に癒されるとは思いませんか?
「しようがないよね、ボクだってがんばったんだから」と、言い訳を心の中でしてしまうかもしれません。
自分のために必死になる人と、人のためといって、最初から気持ちの逃げ場を用意している人とでは、受ける傷の深さがまったく違ってくると思いませんか。

質問者さんの努力は、人のためといいながら実は「自分のため」にもなることですよね。
でも、シンジは「自分のため」にはしないんです。自分が傷つきたくないから。

「自分のため」「人のため」ということが、傷つくことを持さない覚悟の行動かどうか。

これが問題なんだと思いますよ。
最初から逃げ道を用意している生き方ならば「楽な生き方」だと言われても仕方がないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 22:16

どんな人物のどんな行動も、所詮は「自己満足」です。


自分がしたいこと以外はしないし、無償の献身的な行動も「自己満足」です。

自分が生まれてきた意味を考えて「自分の人生に真摯に向き合う」のはとても難しい。


他人が望むことを自分の「指針」としてしまえば、そこには「自分で考える」という態度がありません。

良き妻、良き母になりたいと心から願うのであれば、その「自己満足」は自分の道です。
でも、それが「世間的道徳観」を素直に受け入れただけであれば、それは『安易な生き方』になってしまいます。

ようするに『ちゃんと考えろ!哲学しろ!』という意味です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 22:16

人のことを思うことが


必ずしも人のためになるとは限りませんから

むしろマイナスにしかなっていないこと多し
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 22:16

 他人のやることに依存しているところがダメ…ってことかな?



 【誰か】が自分のやりたいことを見付けて、努力する。
 【私】はそれを手助けしたい。
 じゃあその【誰か】がいなかったら、【私】は何をすれば良いの?
 その【誰か】が挫折して途中でやめてしまったら、【私】は今までその【誰か】にしてきたことを後悔しない?
 依存する相手がいなかったら、【私】の存在価値って?

 他人の為に…と言うと良いように聞こえるけれど、決定を他人任せにしているってことだと言っているんじゃないかな?
 自分では重要な決定をせず、他人が決定したことに従う。
 そこで何か失敗や挫折があっても、それは自分の責任じゃない。
 自分が寄り添ってきた人の所為。
 …となると、楽な生き方と言われても仕方ないかと。

 この場合、誰かの役に立ちたいというのとは、少しニュアンスが違う気がします。
 責任問題になった時、『自分の責任だ』と言えるなら、他人に干渉するのは自分の意思だと言える。
 だが、『自分の所為じゃない。誰々が…』と、責任転嫁するようならそれは…という意味じゃないかと。

 子供の為に・・・はまた別で、本当に子供の将来を思ってという人と、他の煩わしいことから逃れる為の言い訳にしている人、子供の意思を無視して自分の理想を押し付けている人、等、一概に良し悪しは言えないのではないかと思います。

 まぁどの場合もで、「あなたの為にしてきた」と言われたら、言われた方は重いと感じるでしょうね。
 子供が親に、「あなたの為に色々我慢して、最高の教育を受けさせてきた」なんて言われたら、子供がどんなふうに思うかを考えればわかりますよね?

 自分の生き方は自分で決め、その責任を持て。
 他人に下駄を預けるなってことじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 22:16

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