【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

「アメリカ文化について」と大げさなタイトルですみません。質問は以下のとおりです。

アメリカの映画をよく観るのですが、相手の発言について念を押すときなどに、
「母親の墓にかけて誓えるか?」や「母親の命を懸けて誓うよ」などの表現をよく見ますが、そう言うことにより、真実を言っていると相手は受け取るのでしょうか(どの程度、信頼度が増すのでしょうか)?
また、なぜそのような言い回しをするのでしょうか?何か宗教上の意味や由来でもあるのでしょうか?
そもそも実際に大人が使う表現なのでしょうか?

補足
日本では、子供がよく「神に懸けて誓う」などといいますが、その程度のことなのかなぁ~と邪推しております。
 そもそも神に対しそれほど信仰のない日本で、大人が「神に懸けて誓う」などというと幼稚に聞こえますし、そう言ったところで「神に誓えるくらいだから本当のこと言っているだろう」とはならないですよね?

A 回答 (4件)

アメリカ人は、「家族」というものに対しての依存度が高いことはご存知でしょうか。

その点においては明らかに日本人とは温度差があるということはあります。
アメリカ人にとって「家族」は愛せる数少ない存在であり、「親」や「祖父母」は常に頭が上がらない敬意の対象だったりします。「母親に懸けて」なんてことは嘘や冗談では言えないくらいに。
アメリカでは、子供同士で中傷し合う言葉に、相手の母親を侮辱する言葉が多いです。日本人からしてもとても下品な言葉ばかりなのであえて言いませんが・・。これはその裏返しだと思います。相手の「絶対の存在」を馬鹿にすることはそれだけ相手にダメージになるという。

日本人の子供は友達や社会(他人との繋がり)に見放されることを恐れますが、アメリカ人は親に見放されることを恐れる、というデータがあります。アメリカ人は社会や友達にそこまでの依存(信用)は無いぶん、自分の「居場所」を家族に期待しているのかもしれません。
彼等にとって自分を助けてくれるのは「家族」であり「社会」や「人」ではないのです。昔から「みんなが助け合い支えあって生きる」ということを当たり前に考えてきた日本とは状況はかなり違うようです。

最近ある番組でいかにもアメリカの「保守派層(軍人らしいですから)」という面持ちの一家(一人息子は結構な大人)が日本旅行に来ていて、その理由として「父や母が一時期過ごした日本を見たかった」なんて言っていました。・・・おそらくこういった理由ではるばる遠く海外に旅行する日本人なんてまずいないと思います。そこまでプライベートを見せあうほど親子は親密じゃないというか。
こういった些細な出来事からも、アメリカ人の「家族」というものが、結びつきの強い、言い換えると外部にかなり閉じた(排他的な)世界であることは伺えるのではないでしょうか。

これは自分の解釈ですが、アメリカにおいての極度の「個人主義」「他者に無関心」(日本も近年そうなった等と言われますがおそらく比べ物にならないはず)が、家族に極端に依存する結果になっているということも少なからずあるのではないかと思います。


そういったことからも、「母親に懸けて」は、少なくとも日本の子供の「命かける」よりははるかに意味のある言葉なのではないかと思います。日本人からすると冗談みたいな台詞でしょうけどね。
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございます。貴方様の説明を読み、スッキリしました。

お礼日時:2013/08/21 09:17

他の方もおっしゃっていますが、基本第3者として神様が常に見ているという前提が日本と違いますね。


そして日本の農耕民族的なナアナアの緩い神様と違って、聖書でお馴染みのとおり 裏切ったら町ごと燃やしてしまうような残酷な神様です。

「若しも嘘だったら(神様が)お母さんを地獄に落としてくれても構わない」 という意味で 当事者だけではなく、「最高に恐ろしい存在も巻き込んでの覚悟」なのである意味最上級の誓いの文言ということなのでしょう。

勿論 本当に重要なことは弁護士を呼んで契約書を作成しますから、以上は文章にする時間が無い時の、口約束しかできない状況で「嘘じゃないよ」と念を押すための決まり文句なのですから、基本リップサービスかと言われれば、それ以外の何物でもありませんね。

所詮 道端で勢いで言う(マジデスヨ)にくっつける類のセリフですから、初対面や通りすがりの人が言っても信憑性はそれぞれですね。

この回答への補足

回答ありがとうございます。文言は「母」であっても、結局は神に対しての誓いということですね。そうなると、クリスチャン等が嘘に真実性を持たせるために使うことはしずらいですね。

補足日時:2013/08/21 09:32
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この回答へのお礼

hirotan1879へ

質問者です。間違ってお礼を補足欄に書いてしまいました。すみませんでした。

お礼日時:2013/08/21 09:34

本題に入る前に『神様』について。

アメリカでは『神様』が社会全般に渡り深く浸透しているのは誰も異論の無い事実です。ひとつ例が裁判での宣誓で日本では『良心に従って・・・・』と言うのに対してアメリカでは『・・・・so help me God,』と神に誓って宣誓します。ご承知のように『神様』が引き合いに出される良い意味の言葉も悪い意味の言葉もワンサカとあります。

さてここからは私個人の考えですが、簡単に言えば、母親というのは体内から人間を生み出す、ある意味神様に近いような存在です。この点父親とはぜんぜん違います。だから『神様』と同じようにいろんな言葉で引き合いに出されるものだと思います。もちろん大人も使うし、ほめ言葉でもけなし言葉でも両方つかいます。
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    ぼやぼやしているうちに日本にいた年数より、滞米の方が長くなった者です。



1。  「母親の墓にかけて誓えるか?」や「母親の命を懸けて誓うよ」などの表現をよく見ますが、そう言うことにより、真実を言っていると相手は受け取るのでしょうか(どの程度、信頼度が増すのでしょうか)?

    ま、嘘つきにはなにじん、何文化と制限はありませんから、文字通り「洋の東西を問わず」嘘つきはいます。まあ母親を何百人引っ張り出しても、余り嘘が本当に変わったりする訳ではありません。

2。また、なぜそのような言い回しをするのでしょうか?何か宗教上の意味や由来でもあるのでしょうか?そもそも実際に大人が使う表現なのでしょうか?

    日本で飯の前に「いただきます」と言いますが、誰からいただくと言う宗教的な説明は、人は出来るかも知れませんが僕には分かりません。でもアメリカは、神と言うとやたら真面目になる人もいるらしいので、そう言う由来がある場合もあるでしょう。

    むしろ子どもの方では形骸化して、大人が使ったりするのではないかと思います。もっとも僕の友人にはそう言うアメリカ人いませんけど、、、

3。  そう言ったところで「神に誓えるくらいだから本当のこと言っているだろう」とはならないですよね?

    これは非常に個人差がありますので、一概には言えません。

    あるアメリカ人で、内陸の州に嫁に行った娘さんの所に行っていたのですが「あんな所は初めてだ、住民○名に一軒教会があるんだよ、おれも生まれはクリスチャンだが、あんな宗教漬けはもうこりごり」と言っていました。

    アメリカ人の詐欺師は、神でも何でも、目的のためなら利用すると思います。
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