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日本語の場合、頭に不を付けて語幹を否定し、反対の意味に使うケースは多々あります。

謹慎と不謹慎、誠実と不誠実など、枚挙にいとまがありません。

そこで質問です。

「甲斐ない」の甲斐に不を付けて「不甲斐ない」としたとき、意味が反転して「甲斐がある」という意味になるべきですが、日本語の造語に関する暗黙のルールとしていかがでしょうか?

不甲斐ないは、あやまりで「腑甲斐ない」だけを正とするならば、筋は通るような気もしますが。

日本語にお詳しい方からの解説を頂けるとありがたいです。

A 回答 (2件)

「不甲斐ない」が現在はよく用いられますが、元々は「腑・甲斐・ない」(心根の甲斐もない)です。

「腑」は五臓六腑の腑で、転じて「心根」などの意味です。

「腑」が常用漢字ではないため、元は音を借りた当て字であった「不甲斐ない」も、慰安では正しい書き方と一般的には認識されています。ただし、国語辞書によっては(すなわち辞書編者の見方によっては)「不甲斐ない」を記載しないものもあります(広辞苑第五版等)。

P.S.

その他に「腑」が常用漢字にないために起こってきたことは、例えば「腑に落ちない」を「腹に落ちない」と表現する人も少なくありません。これを誤用とする人も未だにいますが、おおむね正しいと認められている模様です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/13 10:22

「不甲斐」という名詞の否定形は不自然に見えます。


確かに「不(ず・なし)」は動詞や形容詞につくもので、「甲斐」が名詞ならばその内容や理由を否定するには「非(あらず)」が付かねばならないことになりますから。

では「腑甲斐」の方はといえば、「腑」が名詞であって「肺腑」に「骨肉の間柄/身内」という意味があるので、その「甲斐」への限定形容とすれば、「肺腑甲斐」とみて、「一門甲斐」と同様に「一家・一族の間柄であるしるし」を指すという戦国期なりの表現方法も無きにしも非ずかもしれません。

とまれ、一般には「云ふ甲斐(かひ)なし」の頭音消去形「ふがひなし」と見なされているようです。

また「甲斐」はあくまでも当て字で、その元は次のような意味が重層していると思われます。
1)詮(セン)…動詞「そなわる」、名詞「物事に備わった道理」
道理を突き詰める→「所詮」、備わるべき道理がない→「真詮なし」
2)詮(かい)…国字・名詞「術(すべ)/なすべき手段」
手段がない→「詮も根も尽き果てぬ」
3)詮(かい)…国字・名詞「物事を為した効(かい)」
やっただけの効果がない→「詮なきこと」
4)効(かい)…名詞「ききめ/しるし」
やっただけの効果がない→「やった効がない」
5)峡(かい)…名詞「狭間・山間の小平な地」
6)甲斐…峡の当て字、後に詮や効の当て字にも
地名の二字化・好字化の詔勅にて「甲(第一)」の「斐(麗し)」の嘉名に。

結果として「不甲斐ない」は「言いがいがない。いくじがない。役に立たない」(「広辞苑」)であり、片や「甲斐なし」の方は「詮なし」や「効なし」として、そこに付く体言や用言に誘導されて、「道理がない」「術(ずつ/すべ)なし」から「ききめなし」「しるしがない」にまで広がる多様な意味合いを以て用いられているようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/08 12:02

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