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昔(江戸時代?)は一日2食だったのに3食になった理由はなぜでしょうか?
2食の時代の方が体動かすことが多かったと思うのですが。

A 回答 (3件)

元々は日本も外国も1~2食の場合が多かったと言われています。



そして、2食が3食になったきっかけは、発明家で有名なエジソンが、
1日3食を強く勧めてた事が大きく影響したとされています。

その根底には、エジソンが発電から送電まで事業化した事が主になるのですが、
それと同時に、パンを焼くトースターの発明をした事をきっかけとし、
トースターを売る為と、電気の需要を高める為に、「1日3食」を宣伝したとされています。

実際にはエジソンだけの功績ではなく、
政治の問題や人々の暮らしが豊かになってきた事&生活が安定・変わってきた事が重なって、
1日3食という文化も自然に受け入れられ、今に至るのだと思われます。

日本の場合も元々は1~2食が主だったようですが、
その理由は、基本的に貧しかったからだと思われます。

江戸時代でも将軍や大奥では1日3食の食事を摂っていたという記述が残っているので、
当時の人でも「腹が減ったら食う」とすると3食だったのだと思います。

しかし、一般的な人達は生活に余裕がなかったので、
1日、1~2食で我慢するしかなかったのだと思います。

その間、海外では生活の向上に伴い1日3食の文化が浸透し、
その後、日本でも経済文化の向上と海外の文化や海外の食生活に触れ、
1日3食というスタイルも一般化したと思われます。

基本的には、人も1日〇食とはせず、「腹が減ったら食う」ということで良いと思うのですが、
それでは食事時間も皆バラバラになってしまいますし、
人が集まって何かに取り組む際には、纏まりが無くなってしまいます。

したがって、休憩時間や食事時間を決めて統一する方が好ましいという事で、
現在に至るのだと思われますがどうでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/04 20:22

>昔(江戸時代?)は一日2食だったのに3食になった理由はなぜでしょうか?



 2食や3食だったのは、貴族とか上級武士とか僧侶とかの上流階級だけで、人口の多くを占める肉体労働者(農民)の食事は4~6食とるのが普通です。

 岩手県のある農村ではアサナラス(午前4時)とアシヤエ(午前7時)の朝食、コビリ(午前10時)とオヒル(午後1時)、アトコビリ(午後4時)、そしてユーハン(午後8時)と1日に6回の食事をとっていたという記録(瀬川氏・食生活の歴史)があります。
 (肉体労働者に間食用の手当てを支給していた例は洋の東西を問わず有りますし…。)

 今でも大工に仕事を依頼した時に、10時や15時くらいにちょっとした間食を依頼主が振舞うのはその名残ですね。
 (まあ、今でも農繁期の農家だと3食じゃ体持ちません…。)

 あと、一日2食で済ましていたら、江戸時代の江戸(江戸町民には商人などの軽労働者も多かった筈ですが…。)での寿司や蕎麦や茶屋での団子および屋台で一杯といった間食文化が発展した事の理由が説明できません。

 日本で1日3食が一般的に成ったのって学校での教育(明治から一部では給食が配られています。)や欧米型のオフィスでの執務時間を採用しだした明治以降だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/04 20:22

ロウソクが普及して、仕事の時間が長くなったからだと言われています


欧米でも、同じだそうです

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/04 20:22

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