【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

過去に質問をこちらで質問し回答してくださった方、ありがとうございました。
その質問を踏まえた上で相談させてもらいます。


まともに会社勤めが出来ない鬱病持ち、発達障害持ちは一生貧乏苦労した生活しか出来ないんですか?

会社勤めをしてもコミュニケーションがうまく取れない→色もの扱い→居づらくなる→鬱病再発→退職

この繰り返しが10年続いて働けなくなり内職しましたがそれも出来ず
生活費も稼げず未払い代金の滞納状態でいます。

自業自得とわかっていますが、まともに働く事も出来ない、お金も得られない、好きなものも買えない、ご飯すら我慢しないといけない、お金が無くて食べられない日もあります。

鬱病持ちで発達障害やアスペルガー持ちはそう言う生活しか出来ないんですか?
その生活で生涯、結婚も出来ず好きな事も出来ず生活していくしか無いのでしょうか?

全くの健常者に見られ疑いをかけられ、親にも馬鹿にされ、周りからも馬鹿にされた目で見られるのが辛いです。

死ぬ勇気も無いのに何ですか生きてるんですかね?
生まれてきたんですかね?

生まれてきた事、生きている事を後悔します。

A 回答 (3件)

今のネガティブな気分を一新する為にはあなたにあった方法で社会的な立場を得る事だと思います。


その為には、援助者と共に安全にや、あなたが役割を果たす事が出来るような環境の中に身を置いていく事だと思います。
そしてあなたにとってはその為にやりやすい方法はきっと、仕事自体に熱中出来て、人間関係の巧さよりも、自分の仕事に意地とプライドを持てるような仕事を探すか、もしくはそういうやり方で仕事をすることだと思います。
そして生き方自体もそういう方向にシフトしていくべきだと思いますl。
人間関係に関しては謙虚になる事だけを考えていれば細かい部分はそれによって巧く行くと思います。そして自分とあわない他人、自分をイロもの扱いする他人に対して寛大になるように気をつけていくのがいいのではないでしょうか。
きっとあなたにも原点になるような記憶はどこかにあるのではないでしょうか。
例えば子供時代。
自分に優しくしてくれる人がいて、年長者の言う事を聞いて素直に成長した記憶はないでしょうか。
その時のシンプルな気分で自分を伸ばしていける環境を探す事が鍵だと思います
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この回答へのお礼

返事が遅くなりすみません。子供の頃は叱られた記憶しかないです。
質問をした日頃から精神不安で状態が酷く返答出来ず今になりすみませんでした↓。県や地域の支援や相談をできる所にしてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/28 06:46

nekoyasai さん




思い通りにならない、

病気によって、社会と隔絶され、

食べるものにも困る・・・

つらいですね。


あらかじめ、お話しておきますと、私は専門家ではありません。

また、前に回答をしていたら、重複するする部分もあるかもしれませんが、お許しください。

近い状態にいたものです。

そのときの経験をもとにかかせてもらいますね。


そんなときは、たんたんと生きるしかないと思いますよ。

たんたんと生きながら、将来はどうなりたいかを思い描いてみましょう。


今の時点で、それも難しそうですか?


では、なりたくない将来を思い描いてみましょうか。

そして、その反対を思い浮かべれば、それが将来やりたいことになるのですから・・・



文章からよみとらせてもらうとこうなりますよね。


会社づとめができない→会社づとめをちゃんとしたい

生活費をはらえない→生活費をはらえるようにしたい

食べることに困る→食べられるようにしたい

結婚ができない→結婚してようにしたい

生まれていること、いきていることを後悔→生まれたこと、いきていることを喜びたい


つまり、つなげると


「会社づとめをし、生活費をかせぎ、満足に日々の食事ができるようになり、結婚をして、生きていることを幸せであると実感している将来像」


ということになります。


さて、今のnekoyasai さんの状態から、ここへむかえるのでしょうか?

そもそも、向かおうという気になるか、あるいは、それを信じることができるのか?


・・・ですよね。
わかります、現実感がない状態。


では、向かえると、思わなくても、信じなくてもよいので・・・


「会社づとめをし、生活費をかせぎ、満足に日々の食事ができるようになり、結婚をして、生きていることを幸せであると実感している将来像」 (もちろんnekoyasai さんの思いをいれて、あらわしたもの)

を紙に書き出して、部屋のどこかにはりだすこと、これだけは、やってみてもよいのでは?


この将来像、今は想像しづらく、リアリティーがないかもしれませんが、何年後ぐらいなら、「もしかしたら?」、「ひょっとしたら?」できるかもと思いますかね~


1年?3年?5年?10年?20年?30年?


なんとなくでよいので、イメージできる年数を選んで、「○年後に」とこれも、前述の紙の「・・・」の前後に書き加えてください。


これで、準備はととのいました。


実は、nekoyasai さんの体はすばらしい精密機械です。

今は、調子が整っていないだけで、

本来は、新陳代謝ーひげも、髪の毛も、つめも、のばし、おしっこをだしたり、免疫機能ー風邪の菌が体内にはいってくると、し処理部隊を総動員させてて、対抗したり、循環器系ー吸ったいきを、肺から、酸素をわけて、血管にのせて各細胞にとどけて、細胞や栄養をエネルギーに変換すること、などなどなど、の膨大な作業を、ひとしれず、大忙しで毎日毎日働いています。

すごい活躍ぶりですよね。

体のすごさの大きなひとつは、からだをある一定の状態に保つという機能です。
(体温を36度から37度の間にたもつために、汗をかき、体温をさげ、震えてあげるなどの・・・)

今は、自分をうらっぎったように、心を悩ませ、仕事や内職をつづけさせられないようにしているように見えますが、

nekoyasai さんの体は、過去から、ゆっくりと、確立してきた、今のnekoyasai さんのメンタリティーを維持する形で、体現された、「状態」にすぎません。


もう一度、このnekoyasai さんの体を信じてみませんか。

もっというと、もう一度、nekoyasai さん自身を信じてみませんか?


つまり、すごい活躍ぶりをみせる、nekoyasai さんの体をゆっくりと、書き出した、目標を支援してくれるように説得していけばよいのです。


いままで、思い通りにすすまなかったのは、変化を急ぎすぎたからです。


いそがなくてよいのです。


思い浮かべてください。

雨どいから垂れ下がる水が、長い時間をかけて、石に穴をあける力を・・・


ゆっくりでよいのです。

いま掲げた、目標に、ゆっくりと、ゆっくりと近づいていきましょう。


あるニートの方が十数年、部屋からでられない状態がつづいていたのですが、ゆっくりと、体の調整をしていったら、

数年後に、会社づとめができるようになったのです。


どうやったかですよね・・・


そうです。ゆっくり、ゆっくり変えていったのです。


彼には、最初は、トイレの履物のひとつだけを、使った後、ととのえるようにお願いしたそうです。

それを一週間やってもらうと、苦にならずに、ひとつだけなら、直せるよになりました。その次に、2つめの、履物をなおすことを加え、トイレを流す、トイレのふたを閉めるから、それをだんだんと広げていって、食べ終わった、器のひとつだけを、部屋の扉から出すことから、外部への一歩を踏み出し、長い時間かかって、外の世界にでたのでした。

nekoyasai さんは、そこからは必要ないようです。


まずは自分と自分の体が良い状態になるようにもっていくことが必要ですね。

例に出したかれは、トイレの履物からはじめましたが、

nekoyasai さんは、鏡からはじめましょう!

手をあらったり、顔を洗ったりするときに、鏡をみますよね。(なければかってもらって(笑))

そのとき、鏡に映った自分にむかってこういってほしいのです。

「あなたはよくやっている。すばらしい存在です。ありがとうございます。」
「私はあなたを信じています。愛しています。ありがとうございます。」

これを、最初は一日1回でよいので、1週間つづけてみてください。

一日の回数をふやしつつ長くやってみてください。

いつか・・・

体調に変化がでてきたら、しめたものです。

nekoyasai さんの体が、回復に踏み出そうと思ってくれた証しかもしれません・・・

そして、そうなってくると、紙に書いた目標に近づくためには、どうやったらよいかのアイディアや、チャンスが浮かんだり、めぐりきたりするかもしれません・・・


nekoyasai さん

ゆっくりでよいのです・・・

生きていれば、何かよいことがあります・・・


参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

kanekanetoさん、返事が遅くなりすみませんでした。
体調が大変良くなく今になってしまいました。
折角良いアドバイスをして下さったのですが難しくて分からないです。
回答して下さってありがとうございました。

お礼日時:2014/03/28 06:51

凄くわかりますし、グッときました。



ほんとうに辛いようですね。
文章を読んでいる限りでは、コミュニケーションに障害があると
は思いませんよ。

ただウツになると、常時体調が悪くなりますから、こっちは本当に
困りますよね。

働く気持ちがあるのに、働けない。
自分が自分を裏切るようになると、心が折れますから。

ほんとに、
どうしてこう言う時代になったのかと考えます。

しかし、

今の時代だからこそ、発達障害とかウツ病と命名していますが、
昔は無かったのかと言うと、あったと思いませんか?

アインシュタインがアスペルガーじゃないか?と言う話を何かで
読んだ気がします。

更に言うならば、貧困は昔からありました。
私の家も貧乏で、借金はあるは、借家はぼろいし、ガス電気水道
は止まるし、お金が無くてご飯がないとか、
子供の頃に良くありましたね。
服も穴が開いて着れなくなるまで、新しいのは買ってもらえなかった。

区の相談所の人が状況を見て驚いて、必死になって、公営の住宅
を探してくれて、これでやっとマシになったんですけど。

それでも、
他の子供がもっと豊かな環境で生きていることすら知らなかったので、
全く不満に思っていませんでした。

自分の家が貧乏なんだ?と知った時は驚きましたし、恥ずかしかった。

学校の友人も最初は普通に接してくれるんですが、
段々と分かり始め、これで良く馬鹿にされましたね。

だいたいは、仲の良い友達が出来ると、
その人に別の人が「あいつの家、凄い貧乏なんだぜ」と吹き込み、
これで友達のほうが参ってしまって、自分を守るために、離れていく。

そして、踏み絵として私を馬鹿にする遊びに参加し、
(目は許してくれって言ってますけどね)
去っていくと言うのがパターンでした。

何時もの事ですし、好きだから友達になったわけで、
さすがに気の毒に思えたし、自分の家が貧乏で申し訳ないと思いました。
凄いショックですが、それでも3ヶ月ほどグッと堪えていると、
楽になってきて、元に戻ると知っていました。

これが相当幼少の頃からありましたから、慣れてしまい、
「それでも友人は、去っていくまでの間は良いもんだ」
と思えまして、可能な限り私から好きだと思える人に声をかけ、
去っていく時も、可能な限り引き止めることにしています。

今で言う苛めと言うのは、社会に出るまで合計で6回ほどありましたね。
クラス中が敵と言うのが当たり前でした。

がしかし、それすら不幸に思えなかったので、
「敵だから倒す」
みたいな発想で、常に戦っていたかな。
どれも最後は、クラス全員に勝ちましたよ。
全てのひとに劣等感を感じさせ、負けたと思わせることは可能です。

なので、多数を相手にする長期戦の喧嘩と言うのは、燃えますね。
またそのやり方も覚えてしまった。

今でも、
多くの人で個人を攻撃すると言う行為には、
激しい怒りを感じます。

ただ単にこの怒りで、他のひとが苛められていると、是非も無く味方をし、
変わりに私が攻撃されると言うのが良くありました。

苛められている人が可哀想であるからではなく、
そういう行為を扇動し、参加している集団に怒りを感じ、
ただ単に戦いたかっただけでした。

しかし、
驚いたのは、助けてもらった人は、何時までも恩を感じていて、
何があっても私の味方になろうとします。

結局、自分に出来た友人と言うのは、こういう人達ばかりでしたね。

ですから、他に迎合すると言うのは、生理的に嫌いでして、
色んなところで人と揉めて、一人浮くと言うのは普通にありましたよ。

とくに普通に贅沢をしたことがないので、そうした部分で話がわからず、
人が興味を持っている(お金が掛かる)遊びや趣味等では、
必ず相手にされませんでしたね。

その中でも、態度は馬鹿にしつつも、けっして貧富の差を話題にせず、
けっして阻害しない友人がおりまして、
彼から色々と教えてもらったかな。

幼少の頃から普通の家と違うという事を受け入れていました。
誰かを恨んだかというと、それは全くありませんでした。

それ以上に、「多分、自分の人生では、色々と無理だろう」と確信
できるくらい、貧乏だったんですよ。

これは、うかうかしていると、少しの普通も体験できないぞと。
その上で、少しでも普通とやらを味わないと、やりきれない。

自分は普通に成れないだろうけど、ほんの少しでも普通っぽければ、
それがものすごく幸せだと思えたのです。

今は色々と大人に成り、未だに普通とやらは分かりませんが、
普通じゃないまま強くなりました。

しかし、
子供なのにそんなこと考えて、目に涙を浮かべて上を見上げるなんて、
思い返すと不憫ですね。

昔の自分を誉めて抱きしめてあげたいと言うのが、いつも思うところ。

ただ思うのですが、
苦しいからこそ、真剣に悩むシーンが多かったので、充実していた。
一番辛いのは、努力以上に得をしてしまい、
いつかこれを失うのではないかと心配する気持ちです。

頑張っても報われないが、少しは残る。
この方が私はしっくりきますし、安心感があります。

「こんな上手い話いつまでも続かないだろう」

こう思って、その不安から逃げて生きているうちは、
時間が経つのが早く感じ、記憶も曖昧になりますし、本当の意味で
孤独感が強くなります。

真剣に話を聞いてくれる人は、真剣になって話す人だけです。

そうじゃない人は、馬鹿にするかもしれません。
ですが、真剣になれず、馬鹿にする人は、一生誰とも真剣に話をした
ことが無い訳です。

これは本当の孤独であり、本当のコミュニケーション障害だと思います。

大多数の人が昔と違って、浮ついており、真剣じゃないです。

ここで色々と悩みを抱えた人がいても、誰も助けられません。
だからこそ、悩みを抱えた人同士で、濃い話をするのですよ。

いずれ、土に返るのですから、
普通を追い続けて、苦しさを感じて生きていくより、
貧乏が分かるひとをを探して、

話をせずとも、同じ境遇であれば、きっと同じ気持ちであると考えましょう。

ほんとうはこれ以上に深い共感は無いと思います。

富は競争の果てに生まれます。これに付随する幸福もです。
平和は拮抗した戦いの中で、牽制の中に生じます。

だとしたら、常に気を許さず、互いの機嫌を伺って生きなければなりません。

これは本当に孤独ですよ。

怒りを収めて許すこと。ここから、誰もが幻想を追いかけて辛いこと。
そして、孤独に悩み、必死に普通のフリをして生きていること。
こうした不幸を理解して、関わらないと決めることです。

社会に所属することにこだわり、体を蔑ろにしていた事に気づくことです。
少しのカロリーと少しの栄養で、とても喜んでくれます。

まるで幼少の頃の私に様だと思いました。

なるほど、抱きしめてあげたい自分は、物言わず体としてここにあった。
これに負担を掛けて、無理をさせていた。

今では、缶コーヒー一本で、体が喜ぶカロリーを殆ど採れることを知識と
して知っています。

試しにこれを飲んでみる。

すると、ちゃんと体が喜んで、美味しいと言う。

こんなもので・・・と思います。

しかし、
こだわりにより、惨めに感じ、立派な食事じゃないと嫌だと言うのは、
自分の半端な知性のせいでしょう。

だとしたら、安く栄養を取るために、知性を使うことも出来るわけです。

いろんなことに気がつきます。
例えば、無理な姿勢をしている。少し楽な姿勢に移す。
すると、やっぱり体は楽になったと喜んでいます。

これほど素直に感謝するものがすぐそばにあり、
何かにこだわって、仕事をサボっていたのが自分であると気がつきます。

だから、心と体に裏切られてしまったんだなと思います。

質問者さんは、死ぬとまで言っていますが、これは違いますよ。

何も分からず、ただ不安と喜びだけで無垢に感じていた時があるはず。

その人格は体として、今も頑張っています。
この人を抱きしめてあげるのが大事であり、他の人の仲間に入ることばかり
夢中になってはいけませんよ。

体の守護者であることを思い出して、それが生きる意味だと考えましょう。

いずれ死ぬのですから、
それまで、不条理に対する怒りを忘れず、他人も同様であるとして許し、
せめても抵抗を続け、
どのくらい頑張ったかを思い出して、自分を誉めましょう。

質問者さんは良く頑張っています。

私も負けないように、頑張りますよ。
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この回答へのお礼

Gloryさん、返事が遅くなりすみません。体調が大変良くなく今になってしまいました。ごめんなさい。
改めて読んだのですが、折角良いアドバイスをして下さったのですが難しくて分からないです。↓本当にごめんなさい↓回答して下さってありがとうございました。

お礼日時:2014/03/28 06:58

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