【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

駄文を繰り返し、ご迷惑をお掛けしております。


日本が周辺諸国に悪事を働いていないと、感情的に安定出来ない方がいらっしゃいます。

事実は関係ないのが問題です。

知りたい事は「都合のいい真実」のみで、感情を統御出来ないのは困りモノです。


情報は等しく扱い、整合性を取りながら総合的に判断し、分析と収集を更に繰り返して真実に迫る物なのですが、「片方しか要求していない」事実に気付いていない。


感情の奴隷だと思いますが、いかがでしょう?

A 回答 (4件)

19世紀末~20世紀初頭に社会科学分野において「価値判断論争」という論争が起こりました。


歴史主義学派の経済学者シュモラーが倫理的理想を歴史的に把握し,この理想によって社会問題に実践的・政策的提言を行うべきであると主張しました
それに対して,たのに対して、マックス・ウェーバーは社会科学的認識において、認識の客観性を保つためにはそこに実践的な価値判断を持ち込んではならないと力説します。



「歴史認識」についても,彼らの論争は大変な示唆に富んでいます。
例えば,よく「朝鮮のインフラは日本が統治時代に整備したものだ」と主張され,さらに「だから日本は良いことをしたんだ」との主張がよく聞かれます。
しかし,前者はただの「事実」であるのに対して,後者は「良い・悪い」という「価値判断」が含まれています。

「良い・悪い」というのは,多分に主観的な「価値判断」です。
韓国のインフラについて,「良い」と判断すれば「日本が統治時代にインフラ整備してあげた」となります。
逆に「悪い」と判断すれば,「日本は統治時代に無理やりインフラを整備した」となります。
どちらも「朝鮮のインフラは日本が統治時代に整備したものだ」という「事実」に対して,「良い・悪い」の価値判断をしていることになります。
果たして,そうした価値判断を学問(この場合なら歴史学ですかね)に取り入れるべきか,排除すべきか。
難しい問題です。

>感情の奴隷だと思いますが、いかがでしょう?

感情の奴隷とはユニークな表現ですね。
歴史学に限らず,学問において感情に囚われすぎると事実を見誤ることが多々あります。
どこまでその感情を抑えうるか。
「感情」となると完全に主観的な問題ですから,いきおい意見も十人十色になりやすい。
そして「感情」と「感情」は屡々衝突します。
こうなると後は水掛け論に陥りやすい気がしますね。

まとまりのない文になってしまいましたが,参考になれば幸いです。

この回答への補足

今回の私の迷惑行為に対して、皆様の書き込みをありがたく思います。

其の中で問題のポイントを端的な言葉で表して下さった事に感謝をし、ベストアンサーとさせて頂きます。

ありがとうございました。

補足日時:2014/05/19 21:02
    • good
    • 0
この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

「価値判断論争」

お教え下さりありがとうございます、ゼロか全部かと言うのは不可能な話ですよね。

人間は感情と不可分な生き物です。

しかし自身の都合の満足の為に、世界を作り変える事は不可能な話です。

自ずと心が乖離を起こしてしまいます。

擦り合わせをして行くしか方法は無いと私は考えます。


議論の中に「己」が居ては、事実の究明ではなく、自己実現の為のモノに成り下がります。

大なり小なりこの問題は学問に付いて廻りますが、悲しい事だと私は思います。

貴重なお話、ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/19 05:45

「日本が周辺諸国に悪事を働いてい」るかいないかに焦点をしぼってお答えしましょう。


こうしたばあい、多くは日中戦争と日韓併合など、近代の交戦、外交上の問題をめぐる
日本側の行いを取りざたされるわけです。
日本側が攻勢にでて、植民地政策をとり続けたのがあの時代だったのですが、
植民地政策をとっていたのは、当時の西ヨーロッパ、具体的にいえば、イギリス、
フランス、ドイツ、イタリアなど、ほとんどすべてでした。アメリカは、外国の紛争に
介入しないという「孤立政策」を原則としていたので、植民地主義からは一歩距離
を置きました(しかし、結局第1次、第2次世界大戦に参戦しましたが)。
私個人の感想をいうと、イギリスのアヘン戦争はやり方も人倫上も相当あくどいと思う
のですが、なぜか中国はそれをいいません。
また、中国にしても、解放を名目にチベットを侵攻して多くのチベット人を犠牲にしました。
とかく、20世紀までは、たがいに攻めたり攻められたりという戦争の時代でした。
攻められて、ひどい目にあった方は、けっして相手のいいことは言わないのが世のつね
です。
しかし、武器の近代化と大型化が進んだ21世紀の現在、それをそのままにしたらどう
なるのか、そろそろおたがいに頭を冷やして議論したほうがいいとおもいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

>けっして相手のいいことは言わない~

其の通りですね。

「歴史は勝者が作る」

今、耳に、目にしている事のみが真実とは限らない。

先ずは受け入れる事が第一歩なのです。

>そろそろおたがいに頭を冷やして~

片方が冷静でも駄目なのが、現実なのですよねぇ・・

最後の時の訪れるまでに、間に合えばいいですね。

憂慮を感謝いたします。

お礼日時:2014/05/19 06:39

 一面の真実との言葉がありますが、一つの歴史事象に対して複数の史料に基づく判断を行うことは当然です。

それをこの史料にこう書かれているからそれが真実だとするならば、もう一方の史料に書かれていないことがあるとした場合は、質問者様の基準もあやしいとの話になりませんか?
 日本にとっての不都合な真実を日本が隠している場合も実際にあります。たとえば「沖縄返還協定での密約」の存在は、既にアメリカ国立公文書館の史料によっても確認できる事実ですが、それを外務省や政府が隠していたことを、この質問趣旨からは説明することが不可能となります。
 「情報は等しく扱い、整合性を取りながら総合的に判断し」との言葉はまことに便利で耳障りの良いものですが、それが実際には抽象的で具体性に欠けるのが、実際には最大の軛となっています。
 これは某国だけの問題とはいえず、当事者全てに共通する最大にして最も敷居の高い問題といえますね。目くそ鼻くそを笑うとの言葉は言い得て妙です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

御説のとおりだと思います。

>目くそ鼻くそ~

いや、耳が痛いです。

本当に申し訳ないです。

お礼日時:2014/05/18 20:51

「殺しまくった」などという質問者様の感情的な表現も原因ではないでしょうか。


誰が、いつ、どこで、何人殺した、と言えばいいのです。
事実関係で嘘をつく人間とは議論になりませんが、そうした事実のすり合わせは可能であると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

仰るとおりだと思います。

政治の世界は様々ですから、学術上の研究とは一応の線を引くべきだと考えていいと私は思っています。

自分の感情だけを優先して行動していれば、条件が変わった時に、正反対の事をのたまわなければならない人生になります。

まぁ、それも人間ではありますが・・、しかし学問の場での礼節は弁えるべきだと思います。(何故だろう?胸が痛い・・w)

ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/18 20:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!