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おしえて! ぐー。

論理が破綻してますよね?

A 回答 (6件)

「論理が破綻してますよね?」


⇒破綻していませんよ。

そもそも、そのように望んで考え出したものだからです。
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この回答へのお礼

反論の判断内容について その理由や根拠を説明しているかたち
を採っていますが 見るべきつながりがありません。

《論理が破綻していても構わない》内容として 《望み考え出し
た》と言っているにすぎません。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/08/26 08:05

人知を超えた神を 人間はその人知でつくった?


   ↑
人知を超えた、とするから矛盾していると
感じるのです。

実際は人知など超えていません。

人知を超えたと想定した神を、創っただけです。

想定なら、どんな想定も可能です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人知を超えた、とするから矛盾していると感じるのです。
☆ たとえば日本神話における神々にしても その多神というのは
それぞれが ひとつなる普遍神の分身だと考えられます。

言いかえると 神々は 普遍神の依り代です。

つまり 神々は自然現象やもろもろの経験事象ですから 人知を超
えていませんが 普遍神は 超自然・超経験なはずです。人知を超
えています。

つまり:
★ 実際は人知など超えていません。
☆ は 受け容れられませんし 一般にも間違った認識だと言って
よいと思います。



★ 人知を超えたと想定した神を、創っただけです。
☆ これも おかしい。《人知を超えた》というのは その内容が
ナゾであり 何が何だか分からないはずです。分かったら 人知の
およぶ範囲内にあります。

つまり この〔超経験ないし非経験の〕ナゾを《想定》するという
ことはあり得ますが それを 経験存在たる人間が人知で《創る》
というのは あり得ません。

人知の及ばない何ものかを どうやって創るのでしょう。


★ 想定なら、どんな想定も可能です。
☆ いまは 超経験なるナゾについての問題です。

お礼日時:2017/08/25 22:21

人が神を創ったのなら それでもイイだけです・・



神は 人間が全員幸せに暮らせば 何も望まない・・
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神をはじめにつくったときの状態?



おそらく、それは、雨が降ってほしいとか、幸運をもたらしてほしいといった願いの対象だったんじゃないですかね。とりあえず何か対象が欲しかった。その時に人知を超えた存在だとか、対象を規定するようなことは、あまり考えてはいなかったんじゃないですかね。

で、願いが現実のものとなった人たちが、少しずつ思い始めるわけです。ああ、何でも願いを叶えてくださる、有難いなあ、人知を超えてるなあって。

以上の時間差のことを申し上げたまでです。気に入らないなら無視してください。

宗教上いや教義上かな、ほぼ一瞬ともいえる時間差をコメントするのは、言いがかりだと言われれば、そのとおりです。すみません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 神をはじめにつくったときの状態?
☆ そうです。《これこれこんなものをつくろうというハカラヒが
あってつくった》はずですから。

★ おそらく、それは、雨が降ってほしいとか、幸運をもたらして
ほしいといった願いの対象だったんじゃないですかね。とりあえず
何か対象が欲しかった。その時に人知を超えた存在だとか、対象を
規定するようなことは、あまり考えてはいなかったんじゃないです
かね。
☆ 《雨乞い》の事例を取り上げましょう。

初源には――《原始心性》とよぶべき心と理性の状態にて―― 空
や川や水などに寄り憑くアニミズムとしての神々(精霊)が持たれ
た。

このときには 人知の及ぶ範囲かどうかは 確かに考えてみなかっ
たのでしょう。

ですが このアニミズムの神々は 世界とわれとの言わば未分化の
状態で それとして自己表現をしていた人間と社会だったのでしょ
う。

この未分化で主客一体の世界は やがて《時間――生と死――》の
観念を得て 分かれて行きます。

ということは 時間の範囲内で経験しうることか それとも 時間
を超えたものごと(つまり ナゾ)なのかという区別が 生じたは
ずです。

すなわち:
★ で、願いが現実のものとなった人たちが、少しずつ思い始める
わけです。ああ、何でも願いを叶えてくださる、有難いなあ、人知
を超えてるなあって。
☆ という認識を 一方で持つと同時に そうではなく いやいや 
雨は降るものだ 永遠に降らないということはない なら 必ずし
も願いが叶えられたからと言って 人知を超えたところ(ナゾ)を
想定するのが正解だとは限らないとも認識されましょう。

時間を知ったひとは その限りがあり朽ちざるを得ない存在をもっ
て世界にイリ(入り)する。つまりは 《世界‐内‐存在》の誕生で
す。

この世界の範囲内かそれとも超えたところか。この区別をしっかり
と考え その判断基準を持つようになります。

★ 以上の時間差のことを申し上げたまでです。・・・ほぼ一瞬と
もいえる時間差
☆ だけの問題ではない。と考えます。時間を超えたところが問題
となる。

つまりはたとえば 父・祖父・曾祖父といったように世代をさかの
ぼるとき やがて時間そのものを超えた無限の世界を ナゾとして
想定するようになりましょう。

お礼日時:2017/08/25 14:25

どこが論理破綻しているのか、解りません。



人間が、1~10までしか数えられないとして、10を超えた数を想定し、
それが数えられる存在を、神と定義すれば、良い。
詰まり、人知を超えた、ということでしょう。

だから、不思議なこと、理屈の解らない事を、神と言う
存在のせいにして、精神的安定を保っている、と
言う事でしょう。

私は、唯一神教を、全く信じていませんが、
それでも、論理破綻と考える方が、おかしい。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ どこが論理破綻しているのか、解りません。
☆ 回答№1へのお礼欄にて説明しています。字数制限がありますので引用
をはぶかせてください。

★ 人間が、1~10までしか数えられないとして、10を超えた数を想定し、
それが数えられる存在を、神と定義すれば、良い。
詰まり、人知を超えた、ということでしょう。
☆ いえ。その論理も破綻していますよ。

《10を超えた数》というのは 確かに《想定》だとことわってはいますが
《10》というのは 経験的で相対的で有限なものごとです。そしてしかも
その想定に成る何かは 《数》だと分かっています。

つまり 《10を超えた》と《数》という規定があるのなら 仮りの想定で
はなくなります。つまり 《人知のおよぶ範囲》のものごとを扱っているの
です。

《10を超えたもの》は 《10》に一を加えて成ると分かっています。そ
こからその《数》が始まると分かっています。

これを《神と定義する》ことは むろん自由ですが まづ神論としては話に
ならないでしょう。


★ だから、不思議なこと、理屈の解らない事を、神と言う
存在のせいにして、精神的安定を保っている、と
言う事でしょう。
☆ 《不思議なこと》は 《未知》として認識することがあります。つまり
人知のおよぶものだという扱いです。

むろん 神として想定したナゾについてそれは 《不思議なこと》だと言う
ことが出来ますが そのあと必ずそれは 《人知の及ぶ範囲内》かそれとも
《人知を超えたナゾ》かと問わなければなりません。そのどちらかに区別さ
れ 両者はしっかりと 別扱いとなります。

★ 私は、唯一神教を、全く信じていませんが、
それでも、論理破綻と考える方が、おかしい。
☆ 以上で なぜ・どこが論理破綻かを説明しました。

人知が及ぶか 人知を超えているか。これを 峻別してください。

お礼日時:2017/08/25 13:54

人間は神をつくった後で、


その属性を崇高なものに
したかったんですね。

なので「素晴らしい」とか
「万能の」「全能の」とか
いう属性とともに、つい、
「人知を超えた」という属性
も与えてしまった。

神も悪魔も、もともとは、
人間がつくったものなのに
現在では人知を超えた存在。

我々のあずかり知らないところ
にいるはずなのですが、そこは
功利主義者たちに利用されて
いますね。宗教という名前で。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人間は神をつくった後で、
その属性を崇高なものに
したかったんですね。
☆ 《崇高なもの》と《人知を超えたもの》とは 別です。

げんみつに言えば 《人知を超えている》なら 知覚も認識や思考
もいっさい超えています。つまり 人間に分かるかどうかは 分か
りません。

知り得るか知り得ないかが 知り得ないナゾだとなります。

★ なので「素晴らしい」とか
「万能の」「全能の」とか
いう属性とともに、つい、
「人知を超えた」という属性
も与えてしまった。
☆ 《全能》というのは 概念として概念である限りでその意味内
容は 《あらゆるチカラを凌ぐチカラを持つ》として分かります。

ですが そのような内容は 経験的なものごとには見つかりません。
つまり《人知を超えている》ものです。だとすれば この《属性》
は はじめから持ち合わせていたとなります。

つまり 《はじめに神をつくった》その時点で じつは《つくった》
のではなく 《人知を超えたナゾ》なるものを《想定した》となる
はずです。

あとから:
★ 「人知を超えた」という属性を与えた。
☆ ということは 実際にはありえません。



★ 神も悪魔も、もともとは、
人間がつくったものなのに
現在では人知を超えた存在。
☆ これが おかしい。《つくった》ということは それが何であ
るか 分かっていてつくったのです。分かっているものをつくった
はずです。

★ 我々のあずかり知らないところ
にいるはずなのですが、そこは
功利主義者たちに利用されて
いますね。宗教という名前で。
☆ では 《はじめにつくったときの状態》から《あずかり知らな
い状態》になったというその過程を説明してください。

お礼日時:2017/08/25 13:40

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