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高2倫理の範囲で質問です。

プラトンのイデア論と理想国家論について
よくわからないので教えてほしいです。
関連する語として、理性、現象界、エロースなどが出て来ましたがこれかもよくわからない状況です…

A 回答 (2件)

高校の倫理ならば、教科書にプラトンの項目がまとめられていると思います。


教科書によって記述は違うかもしれませんが、ソクラテスの後にプラトンの項目が配置されていて、『考える』を中心に記述が展開しているのではないでしょうか。
三角形、人、犬、馬、真実などの言葉で何かをイメージできるということは、個々の現実にある物体や図象などから感覚を通じて得るものとは別に、理性で想起できる(イメージできるとは理性の働きのおかげ)というだと考えられます。
理性でいろいろイメージできる人と、そういうことが不得手の人もいるという現実もあります。三角形に見えても実は3つの直線で構成されているのではないものと、真の三角形に近いものとに認識できるように、人であっても現実には理想の人からはかなりズレている人と、理想に近い人がいるし、考えることに熱心でそれで理想の概念(イデア)をしっかり把握することが得意になっていく人と、そうした方向にはなかなか進まない人がいるという現実を見ています。そうならば、感覚に惑わされたり、希望・落胆・喜怒哀楽・親疎などに左右されがちな、理解力の乏しい状態が多い人よりは、論理的に欠陥を排除し整合したことを考える、多くのことを考え合わせて判断する習慣を強めている人に、判断などを任せた方が好ましいということでしょう。だから、組織ではトップの存在を重視するのでしょう。 プラトンは、欲望を節制し、気概と勇気を重視し、理性による認識と判断を重視したので、国のトップ(国王)は哲学(理性を愛し徹底して考える)する人がするのが良い(哲人政治)と思ったようです。
ところで、現実に見える三角形は3つの線分で区切られたものではなく、現実に描ける円は一点を固定した線分を平面上に回転させた図形そのものとは違います。この世で見聞きし触れるもの実感できるものは現実の世界であるが、例えば4Kに映っている画層、仮想現実で見え聞こえ、揺れるもの、測定器や観測機にセンサーなどで調べられるものと、さして変わらない世界です。それをまとめて表現すれば、『現象の世界・現象界』です。
一方、多くの人が、三角形を思い描ける、人間とサルと犬と猫を別のものとして思い描けるのは、何かのものがあってそれが脳内でイメージになるからだと思えば、その『イメージのもとになる何かのものがある世界=実際に見聞きしたり触ったり計測したりはできない世界』を『イデア界=イデアの世界』、イデア界に属するのがイデアです。精神的、理性でのみさらに追求が可能な万物の本質・原形のようなイメージです。
理性って、考えている内容に矛盾がない、すっきり効率的な筋立てで考えの内容が比較的わかりやすい単純なことの組み合わせで構成できるように努力している、好き嫌い敵味方善い悪いなどの相対的な関係を判断や認識のベースに組み込んでしまってないということでしょう。理性を一般的な言葉で具体的な内容を含めないように説明するのは、私には難しいので、例を挙げてみます。感覚をベースに認識すると陽は東から昇り南天を通って西に沈むと理解されます。これに、恒星が見える位置の観測値の年間の変化、惑星の動き、太陽軌道の季節変動の整合的理解、加速度と力の理解などを総合して、数学的な才能にも恵まれた方が発見した天体の空間的配置と運動力学の整合のとれたものを、簡単に一般人にわかりやすく説明した図などで「銀河系、太陽系、惑星の公転軌道、地球の公転軌道、地軸の傾き」をそんなものかとわかったような気になるのが理性です。{そうした理性で、[日常の感覚ベース、経験ベースの理解やその理解に基づく気分の変動]を抑制・コントロールする}のも理性といいます。お腹がすいた、喉が乾いた、何か眠たいという場合に、「今は授業中だし、あと30分で授業が終わり、昼休みになるから、それまでは授業に集中しよう」というのも理性です。この科目の先生はえこひいきするからまじめにやる気がしないという気持ちを抑え、どの科目もきちんと学習し身につけていかないとまずいなというような気分のコントロールをするのも理性です。感情や感覚、経験、好悪、志向性や嫌悪気分、権威や伝統、風習、プライドなどから、離れて、できるだけ離れるようにして、自分の認知や判断、行動、感情、認識を《見直そう》というのが、理性の共通点だと思って良いのだと思います。
エロースとなると、ちょっとやっかいです。 イヤらしい・エロい・エロって言葉があります。嫌だと、嫌らしい・イヤらしいとは違う面があります。嫌らしい・イヤらしいは、単に嫌なのとは違って、惹き付けられている・否応なく気持ちが引かれるというのが重要な点です。ちらちら見たり、覗いてみたり、隠れてみようとしたり、しっかり見ようとしたりというところがあるのです。 性的なものだけが、そうした志向性の対象になるわけではないです。 好きなアイドルを追っかけたり、スキなミュージシャンの画像を求めたり、好きなアスリートや俳優についての情報を集め続けたり、化学が面白くていろいろ調べたり、数学の難問を解くのに夢中になったり、何かを追い求めるようなことが人間にはあります。ネコやイヌは幼いときにしかしないのに、人間は思春期になっても、追い続けるオタッキーなところがあります。今の状態で満足できず、さらに上を、さらに深いところ、もっともっととなるのは、手近に得られる現象界ではないものを求めているからでしょう。今手にしているのは一模造に過ぎない、真の姿、根本、本当の大事なものがあると思い込んでいるので、現状に満足せず、次々追い求めるのかもしれない。そうした[もっと(ピュアに・これこそというのを)求める]志向は、《あこがれ》と同じようなもの、そうしたどうにも止まらない憧れをエロースと呼んでいるのだと思います。もちろん、「憧れなど懐いても無駄だし、得られっこないのだ」ということからなのか、「現状手にできる範囲で満足して生きていくのが良いんだ」という人は大勢います。むしろ、そうした「現実的で、ほどほど」を重視する人の数の方が圧倒的です。 プラトンも、そのことは知っていて、イデアを理性で考え、イデアにエロースを持つ人は少ないと思っています。 だから、理性に従えば、哲人が王になって政治をするのでなければ、国や人類は不幸になると言わざるを得ないと思っているのです。 (ただ、王が哲人になるのも、哲人を権力の頂点において能力を発揮させることも、それは、人間がこの世でできることではない、と言うことでしょう)
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そんなもの、「知識」として覚えたって、なんに役にも立ちません。



あなた自身が、この世のものの「存在」「人間とは?」「見えているものと真の存在との関係」などについて深く考え、悩んだときに初めてその意味が分かってくるでしょう。まずは、「人間」「もの」の存在とは何かを突き詰めて考えてください。
考えないなら、悩まないなら、学ぶ意味はないです。
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この回答へのお礼

そうですよね…考えてみます。ありがとうございます

お礼日時:2017/10/26 22:24

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