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しかし、仮に本当は西欧列強のように支配したかったのとしても、西欧列強の支配よりはマシなものになる気がします

A 回答 (7件)

聞いて呆れる回答があったので書き込みますが



日本は太平洋戦争でアジア諸国を解放しようなどとは思ってもいない

インドネシアやマレーは御前会議で大日本帝国領土に編入することを決定しています

ベトナムのホーチミン市に日本軍による米徴発により200万人が餓死したことを記憶するために慰霊碑が建てられ

インドネシア政府は泰緬鉄道建設などで強制労働で30万人が連れて行かれ、内23万人が死亡したと主張している
インドネシアでは強制労働で従事した者をロームシャ(労務者)と呼び日本語の外来語となっている
インドネシアの高校の歴史教科書に日本軍が独立を援助したとは1行も書かれておらず、むしろ日本軍が武装解除に応じないので戦ったと書かれている

インドネシアの対日感情は70年代の田中首相の訪問時の激しい反日運動が起き、日本製の車やオートバイ約1000台が破壊された

これを契機にようやく日本人のインドネシア人に対する傲慢で見下す態度を改め、地元民にも利益が還元されるようにし対日感情が良くなったのです

アメリカが1947年に独立を認めていたフィリピンでは
その独立準備中に日本軍に邪魔され、中国に次ぐ抗日運動が盛んになった

日本軍によるセント・ポール大学の虐殺などの蛮行でフィリピン人の対日感情は最悪となり、フィリピン人部隊による日本兵の敗残兵狩りはサディスティックになり
日本兵の捕虜収容所の回りのフィリピン人の老若男女は日本兵がはぐれたらリンチしようと待ち構え、移動の際は投石の嵐だったと言われ、日本兵たちは守ってくれた米軍のMPに感謝しているぐらいだった

とにかく当時のフィリピンでは日本人だとわかると殺されかねない状況だった

戦後、キリノ大統領は日本兵戦犯に恩赦を与え釈放したが
日本政府はそれに対し謝罪でなく感謝を述べ、再びフィリピン人を怒らせた
(キリノ大統領は大戦中、避難する幼い三女を抱えた妻と長女を日本兵に狙撃され即死
即死した妻に抱えられていた三女が道に落ち泣きじゃくっているところを日本兵に銃剣で刺殺されているのである)
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結果論じゃなくて、右翼の妄想論です。

このような歴史修正主義のせいで日本は未だに嫌われる国です。
日本はアジア諸国を独立させるためじゃなくて、植民地にするために侵略しただけだ。
ちなみに、列強は西欧だけじゃない。ロシアもアメリカも列強だっただろう。
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いろんな意見がありますが歴史というのは「そのすべてが正しい」といえる場合があります。



まず、日本の指導者が「アジア各地を支配している西洋列強を排除してアジアを解放しよう、と考えたのはウソではありませんし、結果としてアジアが解放されたのも事実ですが、じゃあなぜ「アジア解放」と考えたかと言うとそこには理想論から経済論、さらには自己中心主義までたくさんの「思惑」があったといえます。

明治維新後の日本が見た「世界の現実」は「西洋国が世界を支配している」ということでした。日本は曲がりなりにも独立を維持しましたが、清は汚染され、朝鮮は列強の草刈り場、東南アジアから西はすべて植民地、と言う状態でした。

幕末から明治以降にかけて、西洋や世界を視察した日本のエスタブリッシュ層は「威張る白人、虐げられるそれ例外の人種」を苦々しく感じている人も多数いたのです。なにせ日本人自体が「東洋人」であり「黄色い猿」と言われていたわけですから。

この理想を胸に「日本が強くなれば西洋は退き、アジアの解放が訪れる」と考えたのは、日露戦争以後から第一世界大戦までの間であったといえます。だから一次大戦後の国際連盟では「すべての人種が平等に権利を持つこと」と日本政府が提案しているのです。このように「アジア解放」の理想そのものは確かにあったといえるでしょうし、そういう理想を胸に第二次大戦中に大陸で戦い、戦後現地に残った将兵の中から、各国の独立運動に参加する人々が輩出されていく、ということになっていったといえます。

ただ、悲しいことに現実社会はそれでは動きません。社会を動かすのは「欲望」だからです。

日本の方策が、理想と現実に乖離を見せ始めたのは「満州国建設」からであるといえるでしょう。満州国は理想から言えば「五族共和」であり八紘一宇の最初の一歩でしたが、経済人の欲望からすれば「大陸で商売をする足がかり」であり、軍人の野望からいえば「ロシアを抑えつつ、中国大陸を平定する拠点」だったわけです。
これを西洋側から見れば「理想そのものも西洋人から見ればとんでもないが、実際にやっていることは欲望の塊」ということであったといえます。

だから、西洋列強はことごとく日本のやることを邪魔することになり、それが第2次世界大戦に突入するきっかけを与えることになります。

この大戦に参加した将兵たちも、指導者から「八紘一宇、日本はアジアを解放し、ともに西洋列強に打ち勝つアジア人との共同戦線」というような檄をうけていたでしょう。
理想を現実化するためには「清濁併せ呑む」のが社会の現実ですが、一般の将兵はある意味そういう政治指導者たちの理想と欲望の狭間に落ちて戦死した、と言う部分もあるのです。

日本に大義がなかったのか、といえばありました。でも日本が勝っていたなら、今の社会は「日本の覇権による秩序」でしかなく、アジア各国が植民地から脱出し自前政府を持てたとしてもそれは「日本の傀儡政権」でしかなかったでしょう。戦後アメリカが南朝鮮政府を作り、ベトナムにも親米政府を作ろうとして失敗したような紛争が「日本を排除して正しい政府を作ろう」と起こっただけだったかもしれないのです。

いや、共産主義との争いを考えれば、確実にそうなっていたでしょう。でも、共産主義も「日本(アメリカ)を排除してだ正しい民族政府を作る」といっても、それは共産主義の理想でしかなかった、というのが今の社会の現実であるわけです。

結果として、「日本が負け、アメリカとソ連がその空白地帯にこぞって群がったからこそ民族独立が成立した」といえるのが今の世界情勢であり、日本は負けたことによって真のアジア独立を作れた、と言うことが一番の皮肉なのだと思います。
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結果論ではなく、大東亜の独立は戦いの目的でした。


当時の日本は連合国と比べると国力は20分の1でしたがそれに臆することなく大東亜解放のため果敢に
戦いの火ぶたを切りました。その決意を歌ったのが下です。



イギリス東洋艦隊を壊滅させ
https://www.youtube.com/watch?v=ZWPvNIz8KLo
シンガポールを落とし
https://www.youtube.com/watch?v=x3bGV6VTVD8

オランダの植民地であったインドネシアを急襲・解放するとともに戦うために必要な石油を抑えました。
https://www.youtube.com/watch?v=Uk3lmlGFJdI

よく満州国は日本が中国を侵略し打ち立てた傀儡政権であったという言葉を聞きますが、それはとんでもない誤解です。
満州国は漢民族最後の王朝である明の作った万里の長城の外側にあります。つまり、漢民族にとって満州国は
化外(けがい)の地であったわけです。化外の化とは中国文化の事、すなわち儒教のことです。

清が滅亡し、この地に逃げた満州族を助け、日本と協力して東アジアに秩序をもたらせる国を打ち立てようとしたのです。
当時世界で秩序の保たれていたのは欧米と日本以外ありません。まさか世界を侵略している欧米の秩序を満州国に
持ってくるわけには行きません。満州国に「適当にやれ!」と手渡したのでは蒋介石一味を始めとする
中国の軍閥にやられてしまいます。そこでやむなく持ち込んだのが日本のルールです。
満州国は満日韓満蒙漢の五族協和の王道楽土として特に日本陸軍の指導の下建設が勧められました。
そして、当時の独立国の3分の1以上の国から承認されていたのです。

開戦後ミッドウエー海戦での敗戦を機に、日本は劣勢に追い込まれ、その後力尽き連合国に敗れたことはいうまでもありません。
しかしその後もインドネシアには2000人にも上る日本兵が残り、沢山の小銃、銃弾、戦車までも連合軍の目を盗んで
インドネシア側に渡し、インドネシアの独立を支援しました。
https://www.youtube.com/watch?v=h_SUjcufT7k

下は日本陸軍の歌ですが、陸軍のみならず日本軍はまさに「天に代わりて不義を打つ」軍だったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=C_dYMdxGCbs

台湾人も日本の兵隊さんは本当に素晴らしかったと証言しています。
https://www.youtube.com/watch?v=lU1qpkVe7rA
日本の兵隊さんに感謝です。
https://www.youtube.com/watch?v=TIdDhG_kj2s

劣悪な環境をものともせず戦い、今日の日本の礎を築いたばかりでなく、広くアジア、ひいては全世界から植民地をなくした父や祖父そして
英霊たちに感謝し、私は靖国神社を参拝しています。
https://www.youtube.com/watch?v=5XXggeAttdw
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米国と英国は長くの植民地政策で学んだのである。

圧力で押さえ込めば反発・自由爆発を招く。
(その例がインド)。
懐柔・柔和で懐で軍事・経済圧力をちらつかせる。文化・学問で開放主義を表せて米国主義(パックス・アメリカーナ)を叩き込む。「アメリカは良い」。
各国の自国の機敏な人はオックス・フォード、スタンフォード、ハーバードを学んだ者を売国奴とののしる。
植民地主義を金のかからない軍隊の要らない植民地主義に変えたのである。
日本人はまんまと引っかかったので米国を悪とは思わない。
米国の施政を調べればなんと賢いのだろうと思う。先の先まで読んでいる。
今はその米国も無いが。過去は舌を巻く。
ゆえに、ついでをいうと日本がアジアを開放したという説は日本人のコンプレックスである。
資本主義者は先を読んで富裕層以外を奴隷化する。



日本が米国のポチになっているのだから結果は見えている。
人を人としてみていない。
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必ずしも結果論ではありません。

開戦直後から、攻め込んだ各地を味方にする為、日本軍は宣撫工作をしました。この中心は民族の独立でした。そして各ヨーロッパの植民地から独立する、独立軍を立ち上げたのです。今でもインドは、当時の独立の英雄チャンドラボースを独立の父と尊敬しています。

戦後、インドネシアやベトナムでは、旧日本軍が独立軍に参加し、宗主国の軍隊と戦いました。彼らの協力なしには両国の独立はなかったと考えられます。日本が傀儡政権を作る為にこんな事を行ったと言う歴史書こそ、太平洋戦争に勝った者のいい訳なのです。ヨーロッパこそ、真の侵略者なのです。

そうは言っても、資源欲しさに他国やヨーロッパの植民地に侵入した事実は消えません。従って日本が独立させたのではなく、独立の可能性に目覚めさせたとの表現が妥当です。日本はあの戦争を「大東亜戦争」と呼びましたが、敗戦で米国が名付けた「太平洋戦争」としか呼べません。これはどちらでも良い事なのですが、一番多くの兵士が戦っていたのは、中国だったと言う事実を忘れてはなりません。従って、アジアを独立させたなんて、恥ずかしくて言えません。
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結果論ではないと思います。

第1次世界大戦後のパリ講和会議のなかで、植民地の問題も含めた人種差別撤廃を主張していたと言われています。したがって、八紘一宇というのはとってつけたスローガンではないと評価されるべきです。

併合して一つの国になった以上、日本にハングルを朝鮮人に使わせるメリットはありませんが、識字率向上のためにハングルを教えていました。日本の統治下にある地域についてのアプローチは、ヨーロッパの国々のそれとは明確に異なっていたと言えるでしょう。
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