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質問です。

植民地にするための条件とはなんでしょうか?

日本は列強諸国の植民地にならず、列強国と肩を並べることが出来たのでどうしてなのかな?

と思った次第です。

その土地を開拓しようという名目で、領土を広げるのに適していたから?
その土地に住む人たちを支配しやすかったから?

教えてください!

A 回答 (7件)

植民地化するのに「条件」はありません。

もし植民地化するのに適している/適していない、という条件があったなら、世界のどこかに「植民地化されなかった使い道の殆どない土地」があるはずですが、実際には砂漠地域も含めてすべて西洋列強の植民地になっています。

ですから「植民地化されなかった理由」はあっても「植民地化された根本的な理由」はないと思います。ただし、植民地製作と植民地経済については、その場所にあった様々な方法がとられたといえるでしょう。

初期のスペインとポルトガルが植民地を取得した時期は確かに香辛料などの産出物によって、植民地化するかどうかが決まっていたといえますが、産業革命以降はむしろ「本国の工業製品を売りさばくための消費地として」植民地を利用するようになっていえます。これを「重商主義」といいます。

ですから18世紀ぐらいからのイギリスをはじめとした西洋各国の植民地政策は「まずは場所と人口、それに見合った政策と搾取できる産物と売り込める工業製品」を見極めただけなのです。ですから、清国ように超巨大な地域では、現地政府を崩壊させるより、現地政府を裏で操りながら、産出物の搾取と本国製品の売り込みを図るほうがよかったのです。

日本については、ロシアを除いてどこの国も「植民地化」を考えた様子がありません。
まず、日本は西洋の国から一番遠く、輸送費を考えると効率が悪いこと、アメリカは欧米の中で日本が一番近いアジアですが、明治維新時期のアメリカは南北戦争という内乱の前後で植民地どころではなかったという理由が一番先に上がるでしょう。

別の理由は「日本の政治・軍事制度が高度に発達していたから」と「島国が一つの政府によって管理されていたから」であるといえます。

西洋国が植民地化を進める時は、まず船で現地に入り、現地に入植地を作って発展し、入植地に置いた駐屯軍と宣教師活動による内陸部への拠点造り(教会造り)とその地域の政治的事情を把握することが十分になってから、徐々に勢力を拡大していく方法が主なモノでした。もちろん南アメリカにおけるスペインのように、圧倒的に武力の差があれば一気に制圧することもありました。

しかし、日本は島国でそもそも「入植を許容する場所」がありません。特に徳川幕府は西洋国の出入りを出島に制限していましたから、他の場所に植民地を作ることもできませんでした。それに日本の軍事力は常に巨大で、とても船で軍隊を派遣して勝てるようなものではなかったといえます。

ただ「船で軍隊を派遣して、日本を制圧しようとした国」がひとつだけあります。それは「ロシア」です。ロシアは徳川幕府が北海道経営に乗り出したころ、シベリアを征服してシベリアルートを作り日本海側から北海道や樺太・千島の覇権を狙うようになっていきます。

間宮林蔵が樺太探検をしたのは、実は「このままだとロシアの領土になってしまう」という危惧があったからです。

ロシアはシベリアや千島の北東の発見(たとえばアメリカ大陸とはつながっていないことなど)を西洋の学会に発表しており、日本はオランダ経由でそれらの情報を仕入れていて「南下すれば千島か樺太あたりから北海道に至ってしまう」と理解している人たちがいたのです。

それらの人々は幕府を説得し、間宮林蔵が長になって北海道などを調査することになったのです。

ロシアもこれに負けておらず、樺太探検や千島列島の確認と北海道東岸の調査まで行いました。その際藩の役所が置いてある地域も侵入し、当時の幕府は「異国船打ち払い令」を出していたので、藩側とロシア側での争いが何度も起きてしまいました。また、ポサドニック号事件として知られるロシアによる対馬占拠事件は「ロシア側が本気で対馬を植民地化するつもりだった」と言ってもいい事件であります。

もっとも、この事件はロシア本国の意向とはいえず、一部勢力と派遣された司令官の一存で行われたものであり、イギリスの介入もあって日本側が勝利していますが、もしこれがロシア本国の意向であったなら、対馬は「戦後もロシアが管理する場所」だったかもしれない、ということです。

ただ、ココで分かるように「軍艦の圧倒的な火力があっても、占領できるのはせいぜい対馬ぐらいの島だけ」だったのです。なぜならロシアも日本も「船を使わないと軍隊を送れない」という点では条件が同じで、当時の西洋船のほうが圧倒的に航海力が優れていたからです。ですから対馬のような島は占領することができたといえます。

しかし日本本土は違います。西洋人が日本征服を完了させられるのに必要な「上陸拠点を作って進出する方法」は日本では取れなかったし、たとえ日本に大量の軍隊を送っても、陸地に上がれば幕藩体制で武力の動員が簡単にできる日本では人数の上で対抗できなかったからです。

これらのロシアの動向は、西洋の各国要人が集まるサロンで常に報告され、日本はオランダ経由で数ヶ月遅れでそれを知るすることもありましたので、日本がどれぐらい「侵略しにくいか」を西洋国は理解していったといえます。

その上で、清国政府に食い込こめたような「汚職や不正」も日本の幕府には少なく、またそもそも西洋人嫌いであり、幕府に食い込んでも藩を完全に制御することはできなかったことが、日本占領を難しくしていたといえます。

その間に日本は明治維新を起こし、西洋国をうまく利用しながら富国強兵政策を行って「近代的な軍隊・政府・産業構造」をなんとか作ってしまい、そのうえ日清・日露と勝ち進み日英同盟から先進国クラブに入り込むことに成功したので、日本は「植民地支配を受けなかった国」として今があるわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

植民地の条件にあてはまるのは、戦前の満州国だけですね。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

英仏独西米葡蘭露ベルギーなどの宗主国の所有、言いなり、奴隷。


資本家や貴族と労働者階級の様な。
サハラ以南のアフリカなどではそこの現地人は、奴隷や虐殺されてしまう。
そして今も続く人種差別。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:54

植民地にするための条件とはなんでしょうか?


  ↑
植民地にするのは、いじめるためではありません。
儲ける為です。
だからまず、資源などが存在することが
必要になります。

次は、その国家が植民地されやすいこと、
具体的には弱いことですね。




日本は列強諸国の植民地にならず
  ↑
1,資源が乏しかったこと。
2,武士が支配しており、それなりの武力が
 あったこと。
 幕末に来日した英国人の手記が残っていますが
 百万もいるローニンが、あの恐ろしい両手刀を
 持ってテロしたら、メチャクチャになる、という
 ようなことが書かれています。

 つまり、乏しい資源の為に、ローニンとやり合う
 のでは採算が取れない、と計算したのです。




列強国と肩を並べることが出来たのでどうしてなのかな?
  ↑
列強が強かったのは、国民国家化に成功したから
です。
それまでは、国家は王侯貴族だけのモノでした。
戦争も、王侯貴族と傭兵がやりました。

それが国民国家化に成功したので、国民を戦争に
かりだすことが可能となり、強くなったのです。

日本も遅れながらも、天皇中心の国民国家化に
かろうじて成功しました。

当時の清国などは、国民国家とは言えない状態
でした。
大正時代の留学生ですら、北京人、上海人、という
意識しかありませんでした。

これがアフリカになると、国家すら存在しません。
部族だけです。
これでは、国家の軍隊に対抗出来ません。

日本が日清日露戦争に勝利した基本的理由も
ここにあります。

日清戦争では武力に勝る清国が完敗でした。
清国でまともに戦ったのは李鴻章の私設軍隊
だけだったからです。

日露戦争も同じです。
当時の米国大統領ルーズベルトは次のように
述べていました。
「日露戦争は日本が勝つ。
 日本は民主国家だが、ロシアはニコライの
 独裁国家だからだ」
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

植民地にするための条件、ですね。

何個か挙げさせて頂きます...
1つ目にあげられるのは、それらを植民地化することで植民地化する過程で生じる損害を上回る、何らかの経済的、及び人的な利益が生じることです。

南米を例にとると、南米からは大量の金銀が採掘することができ、人も豊富にいました。それらを支配下に置くことは、欧州の人々にとっては経済的な利益に繋がりますよね?
そういった利益が生じることが最低限の条件です。

2つ目は、いわゆる宗主国と言われる支配する国の人種と、植民地化される地域の人種が異なることです。歴史を振り替えると、同人種同士での植民地化は近代においてはほとんどありません。その理由としては国民感情があるわけです。同じ肌の色で、同じ言語を話す人間を奴隷にし、搾取し続ける、という行動は道徳的感情で罪悪感を感じます。しかし、白人と黒人のように、大部分の異なる人種同士で、ましてや新しく"発見"されたとなれば、どうとでも解釈できます。その例が白人による黒人をはじめとする有色人種への差別に繋がります。白人は最初、科学、宗教、哲学などの面で黒人を人よりも劣った種であると結論付けました。このように、人種が違うと蔑視する根拠は容易にでき、それも条件です。
あとは、地理的要因ですが、これは他の方が解答されているので割愛します
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

>その土地に住む人たちを支配しやすかったから?


これは要因として大きいよね

>日本は列強諸国の植民地にならず、列強国と肩を並べることが出来たのでどうしてなのかな?
ちょうど戦国時代頃から徐々にアジアへの進出が始まりましたね
当時、欧州人にしてみたら信じられない程多数の戦闘員が国中に犇めいていて
流石に武力で制圧する事は無理だったので、キリスト教の布教と貿易関係という関係性に留まった

戦国時代が終わると今度は徳川幕府により、確固たる統治機構が成立してコレもまた
侵略するには容易ではない状況だった

で幕末に到り、旧幕軍と新政府軍による内戦状態という列強が介入するには恰好の状況になると思われたのだが
以外に内戦は早期に終結して行ったのと、各国が互いに牽制する状況もあり植民地化は出来なかった

比較して見れば、中国の場合、満州族が支配する側漢民族が支配される側という対立構造もあり
また、必ずしも国土の全体に中央政府の統制が効いていない地域もあった

他の植民地を見ても、宗教の違いや民族の違いなどにより国民が必ずしも一体ではなく
国民を分断して間接的に支配するという植民地経営の手法が有効に機能しているところばかりですね

例えばブラジルの珈琲やゴムなどは、植民地として確保してからその植民地でいかに
収益を上げるかというテーマの中で、他所の地域から持ち込んだ作物の栽培が軌道にのって
今では世界有数の産地になったということですから

まずは領地・支配地を確保して、その地で産出するものを探しその他に何か使えるモノが無いか探すって感じかと
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

リスクが限りなく少なく、どの位の利益が得られるかが重要でしょう。


日本が植民地にされなかった理由も上記を考えれば出て来るでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/10 17:55

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