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俳句を読んでいて、どうしても意味がよくわからないので質問させてください。

「何事かある 身にはよし おぼろ月」
加賀の千代女の句ですが、この「何事かある」ってどういうことでしょうか?

おぼろ月はぼーっとした月だから、何か秘密のことをしている人の姿をよく見えなくしてくれていいってことですか?誰かに会いに行くとか?

でも、おぼろ月とは春の天気のいい日にでる月ですから、身を隠すっていうことはできなさそうな・・?ということは、何か思うことのある人には、思いを巡らすのにいい雰囲気のある月だ、という意味でしょうか。

どうやって調べたらいいか分からず、何か教えていただけたら幸甚です。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

おぼろ月は天気にいい日ではなく、昼間に春霞がかかっているいるまま夜に入ると、月のまわりに光芒がかかって、文字通り「おぼろ」に見える月で、春らしい月の見え方です。

このおぼろ月のころが、男女の夜の逢い引きには全く似つかわしい雰囲気の月で、明るすぎもせず、また暗すぎもせず、という気象条件です。ここまで言えば「何事」が分かってくるでしょう。その何事かがある身には、実に都合がいいという意味です。明るすぎれば、人に見られる。逆に真っ暗であると気味が悪い。おぼろ月のころがまったくふさわしいのです。
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この回答へのお礼

な、なるほど!何事かある、とは本当に何事かあるんですね。。。
おぼろ月は晴れていないのですね。よくわかりました。
俳句は奥が深いですね。
ありがとうございます!!

お礼日時:2018/02/23 03:38

句作の経験がおありですか?


私自身は徹底的な散文人間ですから、俳句とは相性が悪いのですが、父親が文系のディレッタントで、書画、骨董、俳句に至るひろい範囲の趣味をもっていました。おかげで、鑑賞の仕方くらいは分かります。
まず、「何事かある 身にはよし」ですが、これは、何事かある、で切ってはいけません。何事かある身、です。何事とは何か、と聞くのは野暮です。何か、自分に鬱屈することがまつわっているのでしょう。それを想像で補うところに俳句の情緒があります。
そういう身(つまり自分のことですね。それを「身」には、と表現するのが俳句です)には、あるいはそういう気分である身には、おぼろ月がふさわしい、というのです。
あくまで、その気分を味わう句です。
同じ作者に、有名な「起きて見つ、寝て見つ 蚊帳のひろさかな」という句がありますね。これも、作者が、子供を亡くした後で読んだ句(その真偽は知りませんが)という説明がないと何のことかわからないかもしれません。ごく短い言葉で表現して、その奥にあるものを推し量る、というところが俳句のミソです。これは東洋芸術に共通している原理かもしれません。水墨画などがそうです。空白の部分が多く、そのところに意味を持たせています。
専門家ではありませんから、よく知りませんが、作者は有名すぎるほどの人ですから、句集も出版されているでしょうし、その解説本もあるのではと思いますが、定かではありません。この句にも何か背景があれば、それでわかるかもしれません。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほど、何か思ったり鬱屈があったりする身にはおぼろ月がふさわしい・・そういう情緒を楽しむのですね。腑に落ちました!
この作者の伝記を読んで、江戸時代の女性の気持ちってどんなかなととても興味をそそられて、俳句集を読んでいるのですが、解説のない俳句の意味が全然わからないんです。自分で辞書を引いたり季語を調べたりしてやっていますが、どうも・・。俳句をつくったことはありませんが、読むのは好きです。
「雪礎 返す間もなし 若菜摘」なんていう句も、春の七草をつんでいるらしい、雪がまだつもっているらしい、というところまでは分かってもそのあとさっぱり何のことやらわかりません(;^_^A
俳句を鑑賞するのって難しいんですね・・
教えていただき、ありがとうございます!!

お礼日時:2018/02/20 18:24

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