歴史の本や歴史小説を読んでいると、徳川江戸幕府ができる前、波乱万丈の戦国時代の真っ只中でも、奉行(大名)が登場してきます。(城を持たない人)
彼らは自分のオヤカタ(信長、秀吉、家康など)に仕え、手柄をあげて土地を増やしてきました。
彼らはその与えられた土地、つまりそこにいる農民や収穫物など支配できる反面、土地を治めなければならないのですが、
(1)その支配下の土地で農民同士がいざござを起こした場合、農民は誰にどういう手順で訴えるのか?
(2)江戸時代とは違い、その中で、彼らは年貢を自由に決められたのか?
(3)戦国時代のまっただ中で一揆などのようなものはなかったのか? あったら誰が鎮圧していたのか。
を教えてください。
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
信長以前の戦国大名の領土は、
(1) 大名の直轄地
(2) 所属武将の支配地
(3) 寺社の支配地
などが入り組んで存在していました。
それもひとつの農村に一人の領主という訳ではなく、同じ村に公家・寺社の荘園や小領主の領地、大名の直轄地などが入り組んでいたのが実情です。
戦国時代では「奉行」と言う言葉は「~業務の代行責任者」と言う程度の意味に使っていたようです(薪(まき)奉行・納戸(なんど)奉行etc)。
奉行といわれる人は、その人自身も大なり小なり領主で、自分の親分の仕事もしている立場です。
管轄する仕事と自分の領土の支配は別もので、自分の領土内については自由ですが、仕事の内容については決定権は親分が握っていたのが通常です。
(1)戦国大名はわりと民政に意を注いでいますが、農民の訴訟を扱う機関を持った家は聞いたことがないです。
基本は農村内の仲裁で解決したのではないでしょうか?
(2)親分が馬鹿な場合、土地を横領したり、勝手に徴収額を変えて集めた年貢を渡さなかったりしたようです。
親分に力があればそういう不正はなく、決められたことをしていたようです(殺されますからね・・・)。
(3)領主の支配をくつがえす目的を持った農民一揆は、一向一揆が現れる前にはほとんどないでしょう。
金貸しである土倉を相手の「徳政一揆」や馬で荷運びする馬借の暴動などは発生していました。
戦国時代後期になるまで、各農村はそれほど大きな横の繋がりは持っていなかったようです。
むしろ当時の農民に出来たのは「逃散(ちょうさん)」と言う土地からの集団逃亡くらいでした。
関所は本来この集団逃亡を監視するための施設で、土地の所有者が入り組んでいるところでは、
わずかの距離に何百という関所があったほどです。
土地に土着している武士が主導した国人一揆(山城国)はありましたが、本格的に農村が主体となった一揆は、
一向一揆以降だと思います。
一向一揆を鎮圧できたのは織田信長だけで、大抵の領主は一揆側と和解しています(徳川家康や上杉謙信など)。
No.2
- 回答日時:
「奉行」について『角川新版日本史事典』より引用します。
「上位者の命令を奉じて公事や行事を執行すること。転じて、その担当者のこと。朝廷では、実務を担当する弁官・蔵人をさす。鎌倉・室町幕府では、公事を執行するもの一般を奉行人と呼んだが、しだいに実務担当者を職種名をつけて官途奉行・安堵奉行などと呼ぶようになり、中・下級事務官により奉行人層が形成された。戦国大名も年寄衆の下に奉行衆を組織し、行政実務にあたらせた。豊臣政権では、五大老のもとに5人の奉行が置かれ、政務を分掌した。江戸幕府では、のちの老中である年寄を奉行と呼んだが、寛政期の幕府職制の分化・整備とともに、寺社・町・勘定の3奉行、作事・普請・小普請の奉行、直轄都市などに遠国奉行が置かれた。職掌の分化が進むのに応じて、ほかにも各種奉行が設けられた。」
とありますので、ご質問の対象者が「奉行」ではないとをご理解ください。大名という表現も信長存命中ではしっくりきません。信長も所詮は戦国大名の一員でしか過ぎず、大名の下に大名というのは変な感じがします。知行を与えられた有力家臣とでも表現しましょう。
(1)色々なパターンがあったと思いますが、例えば、ある村の中で農民間の紛争があったばあい、村の「おとな」や「年寄」が紛争の解決者になったことでしょう。例えば、村同士の紛争が発生した場合には、その土地の領主がしっかりしていない場合、時には村同士の実力行使(戦い)に発展した場合もあるようです。あるいは、どこかのしっかりした村のおとなが仲裁に入ったのかもしれません。領主がしっかりしている場合には、領主が仲裁したことでしょう。特に戦国期は農作物を作るのに必須の水に関する争いが多かったようです。
(2)知行を宛行(あてが)った人(=大名)と宛行われた人(=有力家臣)の立場によると思います。大名が圧倒的に立場が強い場合は、大名側の監視が厳しく、有力家臣の思うがままになったとはとうてい思えません。有名なところでいえば、織田信長が天正三年に柴田勝家へ越前という大国を宛行う際、「掟 条々」という厳しい国の統治方針を示しました。これには、年貢の収奪率に関しては記載は無いのですが、目付として前田利家ら3名を指名し、常に監視されていました。一方で、従前よりその土地を支配していた大名が、ほかの大名の傘下に入る場合、その土地の税率まで口出しはしなかったことでしょう。
(3)一向一揆は有名ですよね。最近は信長と本願寺との抗争を「石山戦争」とまで言われるようになってきました。信長が京を制圧して以降の戦国後期では、そのほかの一揆はあまり見られなくなりました。これは、各戦国大名の力が大きくなり、百姓らの力が相対的に落ち込んでしまったためと思われます。
No.1
- 回答日時:
ご存知かと思いますが、戦国時代まで農民と武士の区分は曖昧でした。
農民達の中で大勢力のもの=土豪、地侍でした。つまり、わりと領主と百姓の距離は近く、上下の風通しはよかったものと思われます。農民同士で揉め事が起これば、自分達の中のオトナである領主に訴えるという道はあったでしょう。
ご質問は、こういう古いタイプの領主ではなく、織田家における領主、「代官」についてですか?
代官は明確に法の執行者たることを求められますから、代官に訴えることができたと思われます。
年貢はトップの大名から指示を受けて代官が徴税するもので、あまり自由はなかったでしょう。
一揆についてはたくさんありました。「一向一揆」はその最たるものです。また本能寺の変後、織田家が占領していた甲斐で国一揆が起こり代官が殺害されています。鎮圧するのはもちろんまず代官ですが、このように手に余れば大名にすがることになります。
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