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「殺人がいけないというなら、死刑も殺人です。
恨みで殺すのはいけないけど、
法律で殺すのはいいのでしょうか。」と言う人がおりますが、
死刑も殺人というのは屁理屈というものです。
法に則って法律が裁くのですから、殺人でも何でもありません。
死刑反対の理由として、こじつけているだけのような気がします。
みなさんは どう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • テルベックさんは死刑には反対でしょうか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/16 08:14
  • うーん・・・

    >死刑よりもっと残酷な刑があってもよいと思ってます。
    江戸時代の打ち首獄門とかアナクロな刑ですか?

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/16 09:55
  • うーん・・・

    >殺人を犯した奴は取らまえられる前に自殺するでしょう。
    いや、もっと悪賢い奴なら、海外に高飛びするでしょう。
    すると、皮肉なことに 今度は 日本の死刑制度が足枷になって、犯人引き渡しが出来ないことも多い。
    餃子の王将の社長を殺した犯人も 多分、その口だろうよ。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/30 05:49

A 回答 (20件中1~10件)

足の指を順番にハンマーでたたきつぶす、次は手の指、足の甲、手の甲、脛、手首と治療を続けながら切り落とす。

こんな刑が必要になる。おそらく殺人事件は激減する。殺人を犯した奴は取らまえられる前に自殺するでしょう。
この回答への補足あり
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>死刑も殺人



こじつけじゃなく事実ですね。
日本では他者が意図をもって人を死に至らしめることは殺人と表現されますんで。
法手続きの問題として発言されたものではないことを承知の上でこの表現を取り上げて、「こじつけ」とするのはいささか子供じみているのではないでしょうか。それこそ揚足取りのこじつけに見えます。
その行為は火を見るより明らかな殺人です。
逆にこの場合の死に至った人に対する他者の行為をなんと呼べばいいですかね。死刑の執行?処分??
この部分は「そのとおり殺人ですよ」と回答しておいていいのではないでしょうか。


>法に則って法律が裁くのですから、殺人でも何でもありません。

これも上述と一緒で殺人は殺人です。法律上だれも罰せられることはないだけです。
人の命を絶つという行為を意識から拭ってしまおうということなのでしょうか。
それではあまりにも惰弱な責任回避思考じゃないですか。法に乗せれば自動的に行える行為なのでしょうか。
やる側に「人を殺す」という強い自覚と覚悟がなければいけないのでは?


そもそも死刑反対の方がおっしゃるというこの台詞、いの一番に間違っているところがあると思うのです。
「殺人がいけない」=「全ての人を殺す行為はいけないこと」という理屈で死刑を語るところです。
これは信仰や宗教あるいは超越した存在の見方であって、最終到達点の看板として掲げるにはいいかも知れませんが、今の人類では実現し得ません。完全博愛が実現していればと仮定すれば理解出来ますけど、現実ではありません。
現代では「殺人はいけないことだけど、なかにはしてもいい殺人もある」というのが正解なのではないですか。

「してもいい殺人」?表現が気になるでしょうかね。でも事実は事実です。
悲しいかな今の人類が庇護されたり、管理されたりしている最大組織は超越者ではなくて国家です。国家に多少影響力を持つ組織はあるにはあるでしょうけど、それ以上の力を持った組織がないものですから、その国家が採用している法がそこに住む人間の最終的な決めごとになってしまうわけです。

習慣や慣習、習わし、マナー、伝統、倫理、道徳など強制力は保証されていなくても人間の集団のなかで生存や安全、富を生み出す力の効率化のために守られてきた枠をまとめ上げて公にしたものが法です。100:0の人類愛で作られたものではありませんから、コミュニティに害をなすものをも愛するというわけにはいかず、害が及ばないよういろいろな手段を講じています。その中の一つに死刑があるというだけのことです。法の中に死刑があればそれが「してもいい殺人」の一つです。

ここに至ると逆に法に謳われていないことは「してもいいこと」だと考える人や「死刑は殺人ではない」などと言い切る人が現れますが、とんでもないことで、法なんて「決めごと」のなかでは後発も後発でいいところだし、穴もあれば解釈も分かれるのはだれもが知っていること。勘違いのし過ぎです。

この台詞に対して言うべきは、
「死刑=殺人で間違いありません。
現在我々を人として庇護してくれる最大最強のシステムは国家であって、従うルールも所属国家が採用している法です。
もっともっと崇高で理想となる信念や思想などが存在することは承知していますが、ほとんど誰もその境地には達していないし、それが経済活動や医療・福祉、インフラ整備、災害対策などしてはくれません。
庇護を受けるならば土地の法に従わなければなりません。自明の理です。
その今のところ最強権威である国家で死刑が採用されているのであれば、少なくともその国家では死刑という名の殺人に関しては罰せられることはないということですから現実世界ではしてもいい殺人が存在するということになります。
想像の精神世界ではいけないことでも、現実の世界ではいけなくない物事があるのが現実です。
現実世界に照らすなら殺人が全ていけないこととイコールにはならないので仰っていることは前提から成り立っていません。」となるでしょうかね。

死刑を採用するかしないかはまた別問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/23 17:45

死刑は殺人ですが、刑法第三五条で、違法性が阻却されます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/23 17:45

>殺人がいけないというなら、死刑も殺人です。



どういう意味の殺人という言葉を使っているかで、正しいか間違っているか別れます。

辞書に書いているような広義では、殺人と人を殺す事は同じ意味ですので、「死刑は殺人」となります。
しかし、法律用語の狭義では「死刑は殺人」とはなりません。



>法に則って法律が裁くのですから、殺人でも何でもありません。

法律用語の狭義の殺人の意味ならばそうなります。法律用語の殺人とは、殺人罪に該当する行為の事です。法的正当化がなされた人を殺す行為は、殺人に当たりません。

武力と暴力の関係です。法的正当化がなされた力の行使を武力と呼び、法的正当化がなされない力の行使を暴力と呼びます。

死刑は、法的正当化がなされた人を殺す行為に該当し、殺人には当たりません。
法的正当化がなされない人を殺す行為は暴力であり、殺人となります。







>「殺人がいけないというなら、死刑も殺人です。
>恨みで殺すのはいけないけど、
>法律で殺すのはいいのでしょうか。」

この質問、私ならこう答えます。


一言で殺人と言っても辞書に書いている広義の殺人と、法律用語の狭義の殺人では意味が全く違います。広義の殺人は「人を殺す事」と同じ意味です。法律用語の狭義の殺人は殺人罪に該当する行為の事を指します。

法律用語の狭義の殺人の意味で、「殺人がいけないというなら、死刑も殺人です。恨みで殺すのはいけないけど、法律で殺すのはいいのでしょうか。」といっているならば、「いいえ、恨みで殺す行為は殺人ですが、死刑は殺人に当たりません。」としか言いようがありません。

広義の殺人の意味で「殺人」と使っているならば、「人を殺す事がいけないというなら、死刑も人を殺す事です。恨みで人を殺す事はいけないけど、法律で人を殺す事はいいのでしょうか。」と言い換えたほうが良いでしょう。



以後、「人を殺す事がいけないというなら、死刑も人を殺す事です。恨みで人を殺す事はいけないけど、法律で人を殺す事はいいのでしょうか。」について回答します。


「人を殺すことはいけない」というのは事実ですが、「(一般人は)人を殺すことはいけない」が正しいです。一般で無い人は、場合によっては人を殺してよい場合があります。

例えば、警察官の合法的な手続きによって発砲され、対象者が死亡した場合。自衛隊員の合法的な手続きによって銃火器の使用により対象者が死亡した場合。合法的な手続きによって死刑執行を行った現場の職員。などです。

何故、これらが「人を殺してよい」のかというと、法的正当化がなされているからです。

では、何故、これらの「人を殺す行為」を法的に許されているかというと、皆で決めたからです。

実際に一億人以上の日本全国のみんなで話し合って決めることは不可能なので、地域の範囲に区切って、その地域の代表者を選挙で選び、その代表者が有権者の意思を国会に持ち込み、有権者の代表者が国会で審議し、採決するという方法を採用しています。

つまり、現在法的に「人を殺しても良い行為」とは、有権者の合意を得ているものだけが、「人を殺しても良い行為」となり、有権者の合意を得ていない人を殺す行為は、「人は殺してはいけません」となっているのです。



ただ、ここで大切な事は、「皆で決めれば何でも許される」という訳ではないという事です。例えば「一部の民族を浄化しても良い」という法案が憲法改正も含めて、民主的な手段によって圧倒的多数の有権者の支持の下で可決しても、それは許されません。何故なら、明確な国際法違反だからです。逆に言えば、国際法で許される事であれば、有権者の合意が得られている限り、どの様な憲法や刑法を作ったり改正しても構わないと言う事です。




「人を殺しても良い行為」は、はっきり言って一般人が行う事はありません。殆どの人は一般人です。そのため、「人は殺してはいけません」といわれるのです。





*相手の年齢にも、回答の仕方は変わります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/17 15:00

なぜ死刑の存続にも廃止にも合理的な理由がないのか?というと


先程書いたとおり、殺人にも強盗殺人・正当防衛・安楽死・戦争・死刑といろいろあって
人道的に許される殺人もあれば許されない殺人もある
つまり殺人自体には罪はなく、殺人の理由に対して罪がある

ある罪をおかして5年が妥当か10年が妥当かといったことは
それぞれの国の倫理観や歴史で漠然ときまっているモノで
量刑の重さに合理的な理由はない ← ココ大事

死刑もそういった量刑のひとつにすぎず ← ココもっと大事
廃止(5年)が妥当か存続(10年)が妥当かに合理的な理由はない

にもかかわらず死刑の存続・廃止が度々議論となるのは
「死」を人が無意識に特別視しているから
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死刑を廃止すべきか否かはコミュニティの宗教観によって決まることが多く、存続にも廃止にも合理的な理由はない


キリスト教文化が根付いてる国は死刑を廃止しつつあり、そうでない国は死刑存続が多い
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死刑は殺人です


死刑囚と言え
最後くらいは人として
殺人されるべきだからです

それすら否定されたら
国としての機能が無くなるのじゃないかな?

善行を積むのも人
悪逆非道するのも人

(  ̄▽ ̄)ニャリ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/16 10:40

死刑制度の存続か廃止かというスレだろうから、死刑以上〜云々は話がブレるのでスルーでいいよ

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死ねばそこで苦痛は終わりだから死刑が最も厳しい刑罰ではないということ

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>テルベックさんは死刑に反対でしょうか?


死刑に反対はしませんし、死刑よりもっと残酷な刑があってもよいと思ってます。
あと、せっかく死刑にするなら死刑囚をもっと有効活用してもいいとも思ってます。
この回答への補足あり
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