コタバル上陸作戦の際、日本海軍による艦砲射撃が行われなかったように思われるが、その理由を知りたいです。
コタバルの場合、敵軍による上陸阻止攻撃が行われることはほぼ想定されていたと思います。
アメリカ軍などの場合は、通常、上陸作戦を行う場合、事前に敵の防衛線に対して艦砲射撃を行っています。
そうすることにより上陸時の味方の兵士の損失を減少させることを目的としていると思います。
日本軍によるコタバル上陸作戦において、事前に艦砲射撃が行われたのかどうか、もし行われていなかった場合、なぜ行われなかったのか?
ご存知の方がおられましたらお教え願います。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
Wikiにあるように、陸軍が速攻を重視したから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC …
(Wiki マレー作戦 コタバル強襲上陸)
ちなみにWikiにあるように、当時のイギリス極東軍の限られた兵力で
日本軍がどこに上陸するか分からないというのは間違いで、
1個旅団を配置したうえでトーチカ陣地を構築していました。
この時は悠長に砲撃支援をして上陸という過程を踏まずに
強襲上陸で制圧することを優先しました。
ところで、この時の情勢を考えてみると、開戦にあたって
多方面で同時に作戦が行われました。
海軍の場合、例えば空母は主力6隻が真珠湾攻撃、
鳳翔が本土防衛、瑞鳳が習熟訓練、春日丸は低速で作戦随伴が困難、
唯一この方面で稼働していた龍驤はダバオ攻略に就いていました。
このため、この地区の制空担当は陸軍の飛行第64戦隊。
派遣されたのは隼が7機で、航空優勢は困難でした。
航空優勢が確保できないとはいえ、当時は航行中の艦船を
航空機で沈めることは困難と考えられていました。
その常識を破ったのが、この直後のマレー沖海戦。
とはいえ、上陸支援では行動が制約されるので航空戦力は脅威で
構築された陣地を艦砲で攻撃するには、陣地の位置を熟知し
大口径砲を用意する必要があります。
実際に、硫黄島などではあれだけ事前に艦砲射撃をしても
大部分の日本軍火器は健在でした。
しかも、前述のようにコタバルはイギリスが守りを固め
そこへ軽巡の砲撃では効果が無いばかりか「今から攻撃するよ」
と知らせるようなものです。
この様な状況なので、あえて事前の艦砲支援よりも
速攻を重視したものです。
お気に障るかもしれませんが、当時の強襲上陸としては一般的です。
アメリカが強襲上陸で事前に艦砲射撃を重点的に行うのは
1943年11月にタラワで10倍の戦力にもかかわらず
全滅した日本軍と比較して8割にあたる死傷者を出したから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9 …
(Wiki タラワの戦い)
大戦末期の余裕がある米軍の物量をお考えかもしれませんが、
実際には余裕綽綽で日本をなめ切っていたペリリューでは
第一海兵師団が全滅判定を受けています。
死傷者数で比較すると、あれだけ支援があってもそれほど変わりません。
開戦当初の頃なら、米軍はフィリピンで現地からの再三の要請を無視して、
防御陣地の構築や備蓄を軽視していたので、コレヒドールまで後退する時に
ものすごく疲弊しました。
結局、マッカーサーだけ脱出させて降伏したため大量の捕虜が出ました。
これを移送させるときに重装備の日本軍より手ぶらの米軍が
バタバタ倒れたのがパターン死の行進です。
この様に、アメリカが兵士の人命尊重をしたかというと
そうとは言えない面もあります。
余談になりますが、この時に参加していた三水戦は、
北部仏印進駐の時に直接上陸部隊の掩護をしていました。
現地陸軍部隊が大本営の平和進駐の方針を無視する方針で
海軍は一昼夜に及んで陸軍の説得を行いましたが
それでも強行上陸されたので護衛を打ち切って帰投しました。
こんな状況なので、陸海軍の意思の疎通以前の問題です。
長文の解説、ありがとうございます。
単純に「艦砲射撃=上陸兵擁護」ではなく、また、日本軍と比べてアメリカ軍が兵士の命をどこまで重視していたかも単純には言い切れないこと、勉強になりました。
前にも書きましたが、私の父は現在98歳で、マレー作戦に一兵士として参加し、シンガポールで負傷したことが不幸中の幸いとなり、その後の過酷な従軍を経験することなく今日まで生きながらえています。この頃、当時のことを思い返し、とりわけ兵卒をぞんざいに扱い、兵士の命を尊重しなかった当時の軍上層部に対して、大きな疑念を抱いているようです。
戦争という極限状況において、それを計画・実施する軍上層部の思考方法、判断内容は相当複雑なものがあったと思われます。
しかし、結果として、死ななくてもよい兵士を多数死なせたことがあったのではないかという検証は続ける必要があると思います。
もちろん、多くの人々を悲惨な目に会わせる戦争そのものを再び起こさないことが重要ですが、太平洋戦争時の特に軍上層部の作戦と判断の誤りを明確にしておく必要があると思います。
私は、戦後生まれで、直接戦争を体験しておらず、知らないことが多いですが、父との会話の中から少しではありますが、問題の一端が見えてきたように思います。
いずれにしても、具体例を挙げて当時の状況を解説していただき、ありがとうございました。
改めてお礼申し上げます。
No.4
- 回答日時:
当時の帝国陸海軍にそのような用兵思想が無かったからです。
また、付け加えて言うならば、当時のイギリス極東軍の限られた兵力では、敵(日本軍)がどこに上陸するか分からない限り、海岸線に充分な防御兵力を配置する事など不可能です。したがって、攻撃側としては、上陸地点を臨機応変に選べるのならば、援護なしに急襲しても敵の反撃は散発的なものになるであろうという目論みで作戦を実行したと考えられます。
「当時の帝国陸海軍にそのような用兵思想が無かった」との明快なご指摘、ありがとうございます。
マレー作戦は結果的に成功しましたが、その後の用兵の仕方を見ると、兵士の命と労苦を顧みないことが日本軍の体質としてあった、と言えると思います。
貴重な情報を寄せて頂き、ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
簡単に言えば、コタバルへの上陸作戦の方法としては、制空権を奪取した上で敵陣へ準備砲爆撃を加えるという正攻法も検討されたが、マレー作戦全体の所要日数を考えればそのような時間の余裕はなかった。
かくして準備砲爆撃なしにいきなり敵前への上陸を敢行するという強襲上陸が決行された、ということ。 詳細は以下をご参照乞う。https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Matador_ …
https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasion_ …
準備法爆撃も検討されていたとのこと、情報ありがとうございます。
英文資料も紹介していただき、参考になります。
No.2の回答者さんも言われていますが、やはり制空権のない状態での海軍による砲撃は無謀ということだったのでしょうか。
いろいろと考えさせられるところです。
No.2
- 回答日時:
海軍は元々砲弾の口径とその精度で勝負します。
その結果、勝算なしとなれば出撃しません。あの大和でさえ、僅かな勝算を見出して出撃しました。私の父が日中戦争当時、福州からの撤退作戦には、海軍駆逐艦4隻が艦砲で援護をしてくれ、又馬公経由で広東迄駆逐艦で輸送してくれたそうです。福州は台湾に近く、制空権は日本に有ったのです。陸軍は余りの快進撃に酔って、戦術の基本を破り、それが偶然的中して、それ以後作戦を誤ります。上陸を支援しなかった海軍の戦術が順当で、強行した陸軍が無理押しだったのですが、結果良ければ全てよしの風潮が出来、ビルマに侵攻してからの陸軍は、全く良いところが在りません。航空支援のない作戦なんて、当時の海軍には受け入れられなかったのです。
陸軍の飛行兵力は、海洋上空の飛行が不可能で、海軍の倍以上の戦力を保有しながら太平洋や、海上では作戦出来なかったのです。作戦起案者は、空の戦いに全く不勉強だったと言わざるを得ません。あのソロモンの航空戦に、陸軍は大量の飛行機を派遣しましたが、ラバウル到着は、1%程度で、残りは墜落して行方不明との事です。つまり事前調整どころか、陸軍は飛行隊の運用自体がまるで出来なかったのです。米軍が陸軍飛行隊を空軍に編成したのとは、大違いだったのです。
大変興味ある背景説明、ありがとうございます。大変参考になりました。
実は、私の父がマレー作戦参加者で、今になって、なぜ上陸船団を護衛していた海軍の軍艦が艦砲射撃を行って上陸兵を擁護してくれなかったのかと疑問に思っています。
その後の用兵を見ても一般兵士を無駄死にさせる場面が多くあったように思います。
日本軍と比べ、アメリカ軍は兵士の命を大切にし、十分準備を行ったうえで進軍し、状況が悪いとなるとすぐに撤退しています。
父は、コタバル上陸作戦時に艦砲射撃がなかったことを、日本軍上層部が兵士の命を軽視していた体質の表れとみているようです。
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