プロが教えるわが家の防犯対策術!

①浅見光彦シリーズ水谷豊さん版=「衣装が、原作と違う。」原作者のクレームを、日本テレビが無視。原作者激怒で、放送終了。役名設定変更し、別シリーズとして、継続。
②月影兵庫近衛十四郎版=兵庫と連れ合いの掛け合いが、人気となるも、「原作と違う。」と、原作者が抗議。兵庫が死んだ設定にして、そっくりの浪人・花山大吉と連れ合いが、旅を続ける設定に変更。
③「鬼平犯科帳」などの原作者・池波正太郎=「原作の改変は、しないでくれよ。」と、言い残す。
④アニメ映画「ゲド戦記」原作にない、アレンの父殺しが、描かれてる。
⑤ゴルゴ13「殺意の交差」原作マンガでは、ひねくれチャツクは、爆弾を仕掛けただけ。
アニメ版では、仇敵爆殺後、狂喜乱舞するも、「余計なことするな!」と言う感じで、ゴルゴ13に、
射殺される(アニメオリジナル)。
⑥天知茂の明智小五郎「江戸川乱歩の美女シリーズ」=原作では、明智小五郎が、未登場の作品が、数作あり。
⑦「ルパン三世」原作とアニメでは、描かれ方が違う。
原作小説・マンガが、映画・アニメ・ドラマ・舞台化される場合、改変されてる場合がありますが、改変が許されてる場合は、原作者が、「寛容」なのでしょうか?

A 回答 (5件)

>改変が許されてる場合は、原作者が、「寛容」なのでしょうか?



これがご質問ですね。

例えば、とある小説家は「ひとたび自分の手を離れたら感知しない」とたびたび発言していて、映画の撮影現場に見学にまで行っておきながら「この映画監督、私が書いたあの小説を全然わかっていないと思った(けど感知しない)」などとメディア上で大っぴらに言ったりしています。

そういう場合には、原作ファンからしてみれば「映画化としては駄作だけれど、これは私が好きな原作者のせいではないのね。よかった」と思えるし、映画化版のファンからすれば、「これはこれで面白い映画だから、いちゃもんがつかずによかった」と思えて、みんなハッピーです。

ちなみに、⑦についてはNHKで詳細なドキュメンタリーをやっていましたが、時代などのニーズに合わせて、数あるアニメ版をその都度、変えていったそうです。アニメ版も、そのバージョンごとにファン層が異なりますよね。かくいう私も「ルパン三世」の特定なテレビシリーズのみが好きです、原作以上に。

それをいちいち目くじら立てていたら身がもたないし、言いだしたら「じゃあ、言わなかった部分は原作者が気に入っているのだな」ととられかねないので、私が原作者なら黙っているだろうと思います。とはいえ、本音では言わずにはいられないでしょうから、そういう声が漏れ聞こえてきたり、冒頭で申した小説家のように、堂々と文句は言うけど、口出しはしない、という人もいるでしょう。

なお、改変を許さない原作者が必ずしも不寛容だとは限らず、例えば、原作ファンに配慮して原作を守ろうとしていたり、原作で描いた実在の人に配慮している場合などもあるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。色んなケースあるのですね。

お礼日時:2020/02/01 10:33

寛容というか、そういう権利関係は契約段階で細かく定めれるものであり、


そのあと揉めるとすれば次の2点しか考えられない。
①権利関係について詰めないまま契約を結んだ
②契約後、どちらかが条項に違反した。

①ならば企業や団体としては極めてお粗末で、その程度の企業や団体、組織がこの業界で永続することは到底望めない。
荒川弘氏のおまけ漫画でも『バクマン』の登場人物もそうだが、ふつう原作者は二次創作の内容にはタッチしない。
自分は自分で全力を挙げて取り組まなければならない作品があり、その上もう一つの創作にかかわる余裕は、ふつうない。

一般に漫画や小説とアニメでは、映える構図や場面、動かない絵と動く絵、技術的水準、音との兼ね合い、スポンサー、・・・そういういろいろなことが違い、
原作通りにいかないのが当たり前なのである。
そういうことをとやかく言うのでは映像化は不可能である。
スポンサーについて補足すると、たとえば『めぞん一刻』で、ヒロインが電話に向かって怒鳴る場面が笑顔でしどろもどろに取り繕うように変更されたことがある。
アニメ化された頃にはヒロインについてのファンが望む像が出来上がっており、それに反することは、商業的に望ましくなかったのである。
アニメは巨大な資本を投下しなければできないだけに、売り上げは無視できない要素を孕む。
あのガンダムだって「どうやったらターゲット層に取り入れられ、映像やそこから派生する関連商品で投資を回収できるか」という戦略の下に世界が設定されストーリーが組まれたのである。
だから原作の小説とはまるで違うのである。

ついでに言えば、どんな形であれ自分の作品が後世に残るのは、原作者の夢の一つだろう。
スタンダードとして残れば最高だが、カバーとして他のアーティストのインスピレーションを掻き立てるのも、ある意味自分の作品が生き続けているということである。
でなければ宮崎アニメ『ハウル~』は原作者から猛烈な抗議を浴びただろう。
『ハイジ』もヨーロッパでヒットすることはなかっただろうし原作者が生きていれば「こんなの全然違う!」と悲憤慷慨したはずである。

②ならしょうがない。
上記の事情を考慮すれば当然改変は起こりうることであるが、
それについて原作者の認識が異なっていたか、相互確認が不十分だったか、そういうことだからである。
本当はこういうことが起こることは当然考えられることであり、だからこそ契約前の権利関係は十分に詰めておかなければならないのである。
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逆に、原作に忠実に映画化、アニメ化された作品ってどれだけある?

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横溝正史さんは、映画は原作とは別の作品と、割り切ってました。


③原作無視のオリジナルはNG。池波氏らしいこだわり。人気作家だからこその発言です。
裏側でいろいろ駆け引きがあるみたいです。
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寛容かもしれないけど寛容だけとは限らないでしょう。



無関心なのかもしれないし、金で魂を売ったのかもしれない。

改変が許されるケースそれぞれにそれぞれの理由があるものです。

どうして理由が固定されると思うのかが疑問です。
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