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落語の世界では、赤門御門守(あかいごもんのかみ)のお禄高(たか)は、“十二万三千四百五十六石七斗八升九合一掴(つかみ)半”です。

ところで、落語の解説書に記載されていたことです。天保九年の調査で、会津松平家は、“八万八千四百三十一石四斗三升七合八勺四才”だそうです。

質問は、実際の禄高は、“三升七合八勺四才”のように細かったのでしょうか?

A 回答 (3件)

細かかったです。


高(たか)は田、畑、屋敷の面積から算出します。
その概要を記すと以下のようになります。(田について書きますが、畑、屋敷も同様)
1.田の面積を測る。
2.良否を判定。一般に5段階が多い。上田、中田、下田……のようにランクの名称がある。
 各ランクには石盛(こくもり)という評価値が設定されている。上田は2石、中田は1石8斗、下田は1石6斗……のように。
3.面積に石盛を掛けたものがその田の高になります。
例として、1畝22歩の下田があったとします。1畝22歩 は 52/300反 です。これに下田の石盛1石6斗を掛けると、
 52/300 × 1石6斗 = 2斗7升7合3勺  となります。これがこの田の高です。
畑も同様の手順ですが、石盛は一般に田の半分程度です。
一般に屋敷にはランクがありません。石盛は2石の1段階だけです。

この調査を領地内の全部の田、畑、屋敷について行い、それを村ごとに集計したものが村高、領地全体について集計したものが知行高とか領有高といわれる数値です。
合、勺の単位まである数値を集計したものですから、その合計値も合、勺の単位まであることになります。
いちいち細かいところまで言うのは面倒なので「12345石余」のように「余」で略したり、単に「12000石」と簡潔に言うこともあります。

まれですが、大名の中にはピッタリ ○○万石 というのがあります。また旗本は3000石とか600石とかピッタリが多いです。これは最初からその高の大名・旗本を作ろうとしたためで、領地内の少なくとも1カ村を分割して領有高をピッタリになるよう調整します。(その村の残りの部分は幕府領や別の旗本領にします。)

国立歴史民俗博物館(れきはく)から旧高旧領取調帳がデータベースで公開されています。
明治維新当時の全国の村高を調べたもので領主名の検索や高の集計もできます。
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=par …
江戸時代の知行高(公称値)とは少し違いますが、細かい数値が並びます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<合、勺の単位まである数値を集計したものですから、その合計値も合、勺の単位まで>なのですね。四捨五入など気を利かせると、あやふやになってかえって面倒になるのですね。

お礼日時:2020/07/09 18:24

一歩案的には1日一人5合の米と計算して、ひと月1斗5升、年間に1石8斗つまり、米俵5俵分が最低基準です。


禄を計算する時に「収穫高」で行うのは、その一定の土地の収穫をその家臣に全部渡すという意味で、
江戸時代中期にはそうした計算はほとんどなされません。大名の家臣でもほんの一握りです。
旗本の中には、土地で給料をもらっている人もいますが、
それもどちらかといえば少数派です。ほとんど「扶持米」の給料でした
落語では「噺を面白くするため」に「内容を盛る」傾向にありますから、その一つだと考えられます
大名の家臣への給料=禄は、先ほどの基準をもって計算されます。
そして支給されたコメを現金に換えて武士たちは生活していました。

一方、石高→年貢の計算基準となるコメの収量は田んぼの広さや、その年の収穫量などから、
「村度の生産量=村高」が計算され、検見役人が決定し「村方三役」がそれを申し受け、
「各本百姓=土地持ちの百姓」に割り振ります。
落語の解説書は残念ながら見ておりませんが、一般的にはその計算は「~石~斗~合」までだと思います。
のちに、村高を毎年計算する方法から、常に一定額の収量計算に変わりました(定免法)
いずれにしても、「俵で換算」した禄が、武士の基本的給料であることに変わりはありません。
問題は「精米後」の俵の米か「精米以前」の俵の米かによって
俵に入る量が2~3割違ってきてしまうということです。
江戸に白米が多く、それ身寄り脚気が流行し「江戸病(わずらい)」などと言われたのも
そうしたことが原因であると考えられます、
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<一般的にはその計算は「~石~斗~合」まで>なのですね。
これが実際かな、と思っていましたが、生真面目な人が計算し端数までそのまま記載したのかな、とも思っていました。
(出典は、三好行雄編・日本人の美意識なかの延広真治記の落語一二月からでした)

お礼日時:2020/07/09 18:20

禄高と実収入は別ですね



領地●●万石でも実収入は禄高そのままではないよね
また定免法で有っても田地の収穫量により等級分けしたりするし、検見法ならその年の収穫量に依存する
だから、毎年の実収入は変動する事もある

で、石高20万石23万石の会津藩で実収入が九万石弱だとすれは、四公六民なのか、五公五民かもしれない
実収入は当然机上の計算ではないから、細かくなっても不思議ではないと思われる

石高の場合であっても、検地などで村々の田地の免責は性格に計測するだろう
田地の面積に面積あたりの平均収量を掛け合わせれば、出てくる数値は細かくなっても不思議ではない
一個一個の耕地単位ならね

それを、郷村毎に集約して郡毎に纏めていく過程で数字の丸めが起きる可能性は否定できないけど
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<一個一個の耕地単位なら>
<田地の面積に面積あたりの平均収量を掛け合わせれば、出てくる数値は細かくなっても不思議ではない>
しかし、<郷村毎に集約して郡毎に纏めていく過程で数字の丸めが起きる可能性は否定できない>のですね。

お礼日時:2020/07/09 10:24

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