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最近、少女殺害なんていう、信じがたい事件がありました。
その事件を知った時、私は、少女の痛みに恐怖、家族や知人の無念を思い、涙しました。

なのに、犯人が捕まって、犯人が人間だと思うと、犯人にも同調してしまうのです。

例えば、私は感じたことが無いので分かりませんが、露出をしたい人というのは、本当に強い欲求が襲い狂うのだと聞きました。
それがどれ位の苦しみか、私には分かりません。
 自分でいうのも変だと思いますが、私は意志が弱いです。
例えば、その露出をしたいという欲求が「1日ご飯を食べてはいけない」と両親に命じられれた時の「ご飯が食べたい!」という欲求と同じ位だとしたら。
私は万引きをしそうです。=犯罪を犯してしまう。

 小児性愛を持ってしまったら、本人も戸惑うと思うのです。世間に認められる訳もなく、相談することも出来ず。苦しいと思います。
それが元で犯罪を起こしたのに、直ぐに世間に戻されてしまったら??何年後かに、殺人をしてしまった時「何故、1回目に捕まえた時に、自分を殺してくれなかったのか」と私なら思いそうです。(人のせい)

 また、小児性愛を持つことが病気なのですか?欲求を抑えられず、人を傷つけると病気ですか?小児性愛は小児性愛で、病気ではない?
 
 そして、犯罪者を可哀想だと思ってしまう私は、酷い人間なのでしょうか(この質問をする時点で「酷くないよ~」って言って欲しいのは明白なんですが)
カウンセラーに話してみる様なことでしょうか。

 勿論、被害者側への悲しい気持ちが消えた訳ではなく、加害者には強い憤りを感じてます。

A 回答 (15件中1~10件)

ただ犠牲となった子供は比較にならないほどかわいそうなわけです。


その犯罪者さえいなければ一生平穏に暮らせたわけですから。

ですから犯罪者はかわいそうな嗜好を持ったかもしれませんが、
そんなことは社会には関係ありません。死刑でいいです。
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あまり深く考えなくていいのではないですか。


人間だれしも一切悪い事しないで、一生を終わる人はいないと思います。(程度の差はありますが)

つまり、人間の脳はいろいろの事を考えるから、いろいろなことを行うようになる、(人それぞれ、いろいろな人が存在すると言う事です)

この行動こそが世の中の発展に寄与している。(色々な分野で進歩が進んで行く)

脳の構造は犯罪者の考え(思い)も少しは理解できるし、被害者の思いも理解できるようになっているのでは、と思います。
(実行に移す、移さない、は個人の問題です)
気にしないで、いいと思います。
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アメリカに36年住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

どんな人間でもその人(犯罪者)が普通の人間として人生を過ごしてもらいたいと思うとすることは大切な事ですし、できれる事ならばその人を手助けすることを誰もが思いたいと思います。 それがここのサイトでの荒らしであろうと殺人鬼でもです。

しかし、したいと思っても相手も人間です。 善意をどれだけその人自身のために使うようにガイドしてやってもかえって裏目に出てしまうときもありますね。 その為に専門の学問や技術があるわけでなかなか難しいものだとおもいます。

犯罪者をかわいそうに思うのはBeshinyさんがやさしい人なんだろうと私は思います。 私もこのようなサイトに来る荒らしをかわいそうだと思います。 たぶん、自分のやっている事がわからないのでしょうし、だからといってアドバイスを聞く耳を持っているとは思えません。 

人に迷惑をかけるということを平気にするということ自体精神異常以外のものはありません。 犯罪を犯す人は、特に何度も犯す人はこの精神異常者とレッテルを貼られても仕方ないのです。 そして、一般人がそれを改善すると言う事は不可能と言える事だと思います。

私は仕事上、目の前で人が武器で殺されるのを3度見ています。 流れ弾に2度当てられています。 レープの犠牲者は1000人以上話しを聞いています。 直後の犠牲者はもちろん、20年も人間として生活ができなくなった彼女たちを見ているのです。 それも正常に生きていけないもう一人の人間の犠牲者としてです。 

人は考えられる以上簡単に殺されます。 あっという間です。 その一瞬でその人と繋がって生活している家族、友人、同僚、その人が働いている会社、そして、間接的に繋がっている世界の人との繋がり、そしてそれらの将来を一瞬にして奪うのです。

そのような犯罪者は私は許す事ができません。 しかし、許さないと言う事はまた犯罪を私がすると言う事になります。 それをする機会を少なくする事ができれば私自身が犯罪を犯すことがなくなる、と思い始めて既に15年ちょっとたちました。

何を言っているかというと、犯罪者を裁くのではなく犯罪を減らすように努力すればいいと判断したのです。

つまり、レープであればレープされないように護身術を徹底的に使える物にしたり、銃・拳銃であれば引き金につける鍵の使用と管理を教え、更に一般人の命を救うために命を張っている警察官やスワットチームの訓練及び指導方法の向上、また警察官が使える護身術等私ができる事のひとつとして頑張ってきたつもりです。

去年は1/10秒の差で私が撃たれるか私が私の拳銃の引き金を引いてしまったかもしれない情況にたたされた事がありました。 しかし、SWATの一人のお陰で殺人犯を作らず、正当防衛と見なされる私の「殺人」を防ぐ事ができたのです。

さて本題に近づきました。 10年程前にはこちらで言うMegan's Lawという小児・性犯罪者が釈放されで住居を定めた時点でその地域に犯罪者が住み移ったと言う事を公表する政府の法律案をその州だけではなく、連邦政府がすべての州に義務付けました。 州によって細かい点は違ってきますが、住民は犯罪者が住んでいる事を知り、その為に「常に犯罪の防止」ができるようになったわけです。 もちろん、私はこの案に飛びつき2州にわたってこれが確立するよう参加させてもらいました。

私事を長々と書いてしまいましたが、本題は、加害者や被害者に対しては何もできないかもしれないけど、犯罪自身を未然に防ぐ事は一般市民にもできるはずだと私は回答としたいのです。

犯罪を作るのは加害者ですが、被害者になるのは一般市民です。 一般市民が個人としてまたは団体の一員として犯罪を起こさせないような社会を作る事で加害者である精神病患者が犯す犯罪の機会を作れなくすることができる、と言うことです。

そうする事によって、加害者に怒りを感じたり同情する事も少なくなり、また、被害者を作り出す事を減らす事ができると私は信じるのです。

みんなに知られたらみっともないと感じるのは「犯した犯罪への償いの一部」として仕方ない事であって、それが次の犯罪や次の犯罪者を作り出す事を減らせる手段として今のところこちらでは一番有効なものとなっています。 また、それらの人の事が写真付きで公表される事が結局その人ができる「社会への償い」となり「社会への貢献」となるわけですからあまり同情する必要のないのではないかと思います。

ひょんな事でこのカテに紛れ込んでしまいこの質問を読み全くの自己主張を書かずにはいられなくなりました。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334961 …

これにどうして幼児性愛者になるのか、普通に生活する能力がある人が、裏では大量殺人を犯してしまうのかが書いてあります。

脳のせいで起こりますが、じゃあ脳のせいにして罪を問わないとするかというと、現行の法律では殺意があり、犯行当時判断力があったとなれば、無罪にはなりません。

どこから異常行動、どこまでが正常かの線引きは難しいです。

そういう連続殺人犯の脳を持ってしまった人の悲劇として殺人を何度でも犯してしまう人に同情して涙するだけでは、全然不足だと思います。

涙せずに、どうしたら止められるのか、連続殺人犯の脳を持った人がどうすれば殺人をせずに一生を過ごせるのかを研究している人もいます。
こちらの方が社会に役立つと思うので、冷静さを保ちつつ、原因究明や対策を考えてみてはどうでしょうか。


その本の筆者は連続殺人犯の脳を持っていることがわかったそうです。
でも、一人も殺していません。
殺人に興味を持つかわりに、正常な判断力がある人が、どうして何人も人を殺すのだろうと興味を持ち、原因は脳のここの部分だとおおよそわかったことで満足を得られ、また同じ脳の気質を持っていながら、どこが彼ら殺人犯と自分は違うのだろうと研究をしたことで、殺人を犯さないんだろうって言ってました。

こんな本を読むと事件があっても涙する代わりに(確かに憤りは感じますが) 何故起こったのか知りたい思うようになります。
その裏に何が隠されているのか、推理して後に精神鑑定が出て、自分の推理と同じだと、結構納得するもんです。
後は脳医学の分野の研究者が頑張って究明して早期発見・早期治療・早期予防の現実的な対策を打ち出してもらうのを期待するしかない。
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私も同じです。

単純に犯罪者=悪人と斬ってしまえません。勿論犯罪をのさばらせておくことはなりません。罪は罪として、きちんと償うのは当たり前のことです。しかし犯罪をどう捉えるか?というご質問のような考え方はとても重要なことだと思います。

弱者というのであれば、両者とも被害者でしょう。被害者=加害者にとっての被害者、加害者=そういう行為に走らざるを得なかった内部からの衝動やそれをコントロールできなかったこと、社会的要因、そういうことを背負ってしまった運命によっての被害など。例えば幼児虐待の問題、これも一概に親=犯罪者としてくくれないのは、虐待する親も、その親から虐待があったという事実もあるからです。つまり暴力の連鎖ですね。暴力の連鎖は、何も個人間だけとは限りません。折りしも中東の国などでは、延々と続いています。

「幼児性愛」が異常性愛ならば、「物」に嗜好する「フェティシズム」や制服が好きな人、サディズムやマゾヒズムなど様々な性的嗜好があるわけです。客観的にそれを正常か異常かということはわかりません。本人はまったくの正常な性だと思っている人もいれば、それに対して葛藤がある人もいるでしょう。

ではなぜ風俗という商売が存在するのでしょうか。理性がある人(つまりここでいう犯罪者でない人)は、風俗に行って自らの性のコントロールをできるわけですが、犯罪として成立してしまう場合、相手の欲求を了解していない、できないのに暴力で介入するからです。しかし風俗では、お金を支払えば(勿論何をしてもいいとは限りませんが)ビジネスという関係が生じます。それ自体法律で取り締まらなければ犯罪とはなりません。だから性的に何が異常か正常かということはわかりません。端的にいうと、どんな性的嗜好をもつかは本人の自由、幻想、プライベートなものなのです。しかしそのファンタジーを外部に表現してしまうとき、異常とされるかはその時代性や文化によっても違います。例えば19世紀のヨーロッパでは性を語ることは非常にタブーであり、本棚に並ばせる本も、男性が書いたものと女性が書いたものとは並べてはならなかったといいます。その時代、男女とも非常に抑圧されていた分だけ、「ファンタジー」はそれこそ内部だけでは膨大する限りだったことでしょう。

今回の事件の場合は幼児という力の弱い者に対して向けられました。成人した女性には手を出せなかったといいますが、そこに犯罪者の「弱い暴力」がうかがえますが、性的嗜好を犯罪行為としてしまったことが「病」であるといえます。そこで自ら、また外部からの働きかけがあってケアできなかったことにも、加害者の、そして被害者の不幸があると思います。

勿論、犯罪はのさばらせてはなりません。しかし刑務所に入ったからといって犯罪はなくなりません。現にアメリカでは刑期を終えた犯罪者の大多数が再犯を繰り返します。やはり犯罪を犯してしまう何らかの原因を-それは社会の協力が不可欠ですが-根本から知り、ケアする心へのアプローチが必要です。肉体を縛っていても逆効果であり、本当の罰、本当の制裁とは自らの心の内に「罪への悔恨」を感じさせることです。数々の少年犯罪の加害者たちは、そうしたアプローチにより、それぞれがそれぞれの十字架を背負いました。つまりそれまで「何も感じない」ほど心が廃れていた→犯罪を犯してしまったということでしょう。

また犯罪者=悪、被害者=善という単純な図式は、差別や偏見を生みます。自らの中にも犯罪への衝動を感じる人がその恐れや不安を実際の犯罪者に転化するからです。時代が時代ならば、「魔女狩り」になっているでしょう。今の時代はマスコミの影響がそのような指向を左右します。例えば冤罪などは、捜査の仕方や目撃証言の間違った方法論の問題もありますが、二次的な加害者としてマスコミが独断や偏見というフィルターを通せる特権(?)が、その危険性を生みます。

正常と異常は普通である(またはそういうバイアスがある人)の中に同時に存在するものです。ある状況下では、普通の一般市民が意志とは逆行して残虐性を発揮してしまうのは実験でも認められていますし、最近ではイラク戦争下でもみかけられました。自分もある日突然被害者になりそうなとき、またはなってしまったとき、逆に加害者として立場を変えてしまうことになるかもしれません(それが「正当防衛」であり、戦争と下では「戦闘」という「認められた価値観」である)。つまり人の本能や理性や、罪や悔恨や、善や悪も非常に細い境界線上にあるということでしょう。自分だけは大丈夫だと思っているときが一番仕合せな心持ちなのかもしれません。

ところで性犯罪ではありませんが、私もある事件の被害者でした。今でも身も心も癒えません。犯罪者となった相手を恨む気持ちは今でもあります。でも…。様々な事件の加害者が社会的に糾弾されるとき、必ずしも同調はできない自分もいます。そんなときとても葛藤します。それは自分の中に決して癒えることのない傷と同時に、そのことへの怒りがくすぶっているせいなのかとも思えます。加害者も何らかの複雑で哀しい「怒り」に翻弄された一人だと思うと、単に加害者であるだけとしてみることはできないからでしょう。
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あくまで一意見としてお聞き下さい。

(長文です)

>被害者側への悲しい気持ちが消えた訳ではなく、加害者には強い憤りを感じてます。

正常に心が働いているように思います。
被害者=弱者
加害者=犯罪
と言う認識なんですね。それ自体は正しいように思います。
問題は、あなたの依存性が強いことなんでしょう。
依存性が強いと一般的には二つの行動に別れるようです。
一つは強者におもねること。
一つは弱者に共感すること。
目の前に繰り広げられる現象において、自分に対しての相対位置を図ろうとするのでしょう。
加害者も、被害者という存在があれば強者となります。
捕まってしまえば、掴まえる側が強者と認識できます。
意志の弱さは、理解や認識の浅さが原因と思えます。
理解や認識は理性。
感情は本能に根ざしています。本能とは他ならぬ『恐怖』なのです。
犯罪の多くは自らの行動に自覚が乏しいのだと思います。自覚することで責任意識も生じてしまう。
人の心は本来弱いものですから、力を得ようと必死になるが故に責任を放棄したり、責任の重さに耐えきれずに保護を強く求めるようにもなりえます。
それらは、自らの身に降りかかる出来事によって命の危険にも晒されることを、本能的に察知するが故なのだと思います。

心の問題を『病気』として認識することは難しいと思います。
人はその弱さ故、リスクの少ない方向へと行動を移す傾向が強いように思います。
成人女性よりは子供のほうが、よりリスクが少ないとの本能的な(あるいは計算)判断があるのだと思います。
欲求を抑えられないことは病気であるとは思いません。ただ、人としての心の成長が未発達なのだと思います。
人は理解することで自らの存在意義を発揮する生き物だと思います。色々な情報を得て、経験も得て、客観的な理解を進めることで、その意志をも強化出来るものと思っています。

カウンセラーに話してみることは、有効な手段といえるかも知れません。
治療目的でなくても、話してみることで客観性をも得られるモノと思います。

人は弱いですが、その弱さを認識することも出来ますし、その弱さに振り回されなくても居られるようになります。
今結論を急がずに、じっくり取り組む問題だと感じました。

最後に、犯罪はどんな理由があろうと罪です。被害者の人権を軽んじる風潮があるように思います。
加害者の人権より優先であること、改めて確認したいと思います。
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私も、マーク・トゥエインの「人間とは何か?」を


読んでから、元からあった気持ちを強化されてしまい
ました。
人間の趣味・嗜好が遺伝や環境によって、大部分が
決まるのなら、もし、自分がその環境や遺伝だったなら、
私も犯罪を犯しやすくなるかもしれません。

 そういえば、外国である犯罪者が一度服役して刑期を
まっとうしたけど、自分はまた犯罪を犯してしまうので、
牢に入れてくれ。と訴えた人がいました。
でも、その訴えは通らず、また犯罪を犯してしまった
そうです。
この場合は、誰が一番悪いんでしょうか?
あなたは誰が悪いと思いますか?

でも、私は元には戻らない事を重視します。
元に戻れない・戻せない、っていうのは、切ないですよ。

今、カウンセリングを受けているのなら、カウンセラー
に話した方がいいですが、これからカウンセリングを
受けるなら、もっと具体的な事を最初に話した方がいい
です。
誘惑に負けて万引きしそうとか、ダイエットができない、
とか。
カウンセリングも万能ではなく、あなたが真剣にやめたい
治したいと思わなければ、効果も薄いと思います。

 私は、犯罪者に同情・共感しつつ、被害者や事件を
悲しむのも、相反する感情ではなく、いいと思うけど。
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小児性愛を持つことが病気なのですか?欲求を抑えられず、人を傷つけると病気ですか?小児性愛は小児性愛で、病気ではない?



>これに関して自分も今の刑務所の対応に疑問を感じます。日本の刑務所は健常者と障害者という区別が若干あるだけのようです。犯罪によって刑務所を分けていないようです。性犯罪者をそのまま刑務所に入れただけでは
根本的にその病気を治すことはできないと思います。
それが、性犯罪者の再犯という形で現れています。
アメリカでは、性犯罪者は特別のプログラムに基づき
カウンセリングに犯罪者同士のミーティングを重ね、
その人個人の性癖を直したり心のケアをすることによって犯罪者を更正するようです。
本当に犯罪を減らしたいのでしたらアプローチの仕方を
もっと真剣に考える必要があると思います。
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犯罪者を自分とは異なった生き物のような感覚でニュースを見ている人に比べれば、心を持った人間として見るということは、異常なことでは無いと思います。


ただ、いつもそういうことばかり考えていて、いつか自分もそうなるのではないかという不安や恐怖にさいなまれている人は、日常のストレスなどで精神がまいってしまっている事が多いそうです。
(「酷い人間だから」という理由ではなく、そういう理由でカウンセラーに相談するという選択肢は考えてもいいと思います)
くれぐれも自分の頭の中にいる「犯罪者のイメージ」に取り憑かれませんように。

以下余談
少女殺害の犯人などは「小児性愛を持ってしまったから」というわけではなく、「欲求を抑えられず人を傷つけたから」問題にされているのだと思いたいのですが、世の中にはそうではないと思っている人が多いんですよね。
(被害者を成人女性に置き換えたら分かってくれる人は多いのに)
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ストックホルム症候群というものがあります。

読んでみて下さい。

参考URL:http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3g …
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