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会社の成り立ちについて知りたいです。
と言うのも企業と言う社会概念の本質を知りたいためです。
多角的に様々な奉公からの課題を理解をした後に、それらを体系化して、総合的に理解したいと考えています。
現行のネット情報では「現在の法律ではこういう考え方をします」と言う情報だけが紹介されており、「歴史的経緯はこうなっています」という、社会での必要に応じた会社の形成と、その結果として使用された「会社」と言う語義の社会語用での意味、そして法の成り立ちという、会社の概念の本質そのものに対する説明がなされていないように思われ、消化不良を起こしています。

尚、本件は学校の課題とかではなく(私本人はいい歳こいた社会人)、単に社会構造の基本概念はどのように成立しているのかということを、興味本位で知りたいがために質問させて頂いています。

世界初の株式会社は「オランダ東インド会社」と言うことまでは知っています。
株式発行と言う形で利益分配を出す格好の方が、当時の貿易輸入、海運にとって有効であったからでしょう。

1.
それではそもそも会社とは? 
会社と言う概念の定義は、個人個人で利益的集団が集まって契約上その共同体を作れば会社なのでしょうか。
利益のための結社(集団における約定の締結)が会社であり、それがこんにちの社会においては法律上の届け出を出せば「法人」あるいは「企業」としてみなされるのでしょうか。
(そしてそれが株式の形式で成立した場合株式会社とされると言う認識であっているでしょうか)

2.
利益のための結社が広義の「会社」であるならば、オレオレ詐欺などの犯罪組織は、その広義の「会社」に含まれてしまいます。一般通念とは反しますが、広義における「会社」とはこの範囲で合っているでしょうか。
16〜18世紀の私掠船は掠奪を試みての経済利益活動を実施していましたが、Wikipediaの説明を読むと、(Wikipediaが合ってればの話ですが)この初期は編成の度に共同持株会社が立ち上がったとあります。

3.
「法人」と「自然人」の違いでは、自然人は出生により権利能力を取得するのに対し、法人の権利能力は、その性質や法令又は当該法人の「目的」により制限されるという意味においては、現代社会の法人(企業)なるものは、法ありきでしか存在しないように思われます。
例えば憲法が制定される以前から会社(世界最古の企業は日本の「金剛組」とネットでよく言われるあれです)は存在しましたが、この定義が成り立つ場合、金剛組は会社であっても法人ではないわけです。

4.
つまり現代社会においてはほぼ「会社」=「企業」=「法人」と言う社会語用で成り立っているが、社会史の成り立ち上、それが倫理的にどうであろうが「利益のための結社」であればそれが会社であり、それが社会倫理の上に立ったその社会での法的に認められた場合にのみ「法人」として法治社会で承認される、と言う作業仮説を立てて考えていますが、こちら「本当はこうなんだよ」と言うことをご存知の方がいらっしゃればご教示頂きたいと思っています。

現在のネット上での法の解説を読むと上記が逆転する形で説明がなされています。
まず利益を追求する事業をする事業体としての法人が規定され、その法人は事業体における利益獲得活動の内、全般(国営・3セク・民間)である場合には「企業」、とりわけ民間の集団利益結社(例えば個人商店を除く)だけに「会社」と使用しているように見受けられます。
ただ、金剛組のように「法が無かった時代(法人そのものの概念が無かった時代)」での会社もあったんだから、会社の語用定義はもっと広くて古いでしょ、とも思えるのです。

モンテスキューの「法の精神」などの古典が基礎になるのであれば、そこまでを理解の範囲(今後の調査の範囲)としたいと考えていますので、参考になる図書などございましたらご紹介頂ければ幸甚です。

質問者からの補足コメント

  • 1.
    まず一旦の整理として、現代社会における社会語用としては、

    A.まず「集団で何か事業しようぜ(儲けがあろうとなかろうと/倫理的に良いことであろうとなかろうと)」と言う事業のための集団結社が企業である。

    B.Aの内、自然人と同じく社会内における地位、権利、権利的道義を与えられるのが法人である。

    C.Aの内、公的企業か私企業(民間)であるかと言えば私企業であり、かつ、Bの内、法人の中でも利益を追求するか否かで言えば利益を追求する、この2要件を同時に満たすものが会社である。

    と言う定義になるかと認識しました。齟齬ございましたらご指摘下さい。

      補足日時:2021/04/26 21:55
  • 2.
    疑問点ですが、
    >1.については、ほぼその通りで「利益のための結社(集団における約定の締結)」が会社です。
    >3.金剛組は「世界最古の企業」です。つまり「利益のための結社(集団における約定の締結)」であって会社ではないです。
    この2文が整合がつかない形です。

    3の金剛組の方の説明頂いた文章は「「利益のための結社(集団における約定の締結)」では『ないので』あって会社ではないです。」が正しいですか?

      補足日時:2021/04/26 21:55
  • 3.
    深堀したいのが以下の点です。
    法人の人格付与の件なのですが、この人格は法が定めているからそうルールの適用をしているだけなのか、社会集合における自然発生的に付与される「地位、権利、権利的道義」などの人格が我々の歴史社会を通底して付与されてきたため、法がそれを追認して法として制定されているのかどちらでしょうか? 
    つまりは歴史蓄積における社会での集団の自然認識が先で「法人」が存在するのか、それとも法の制定によって「法人」なるものが誕生したのかを知りたいのです。

    法が前提であることを考えた場合、法ができる前においては法人なるものの存在が社会概念上無かったと言うことになりますので、その辺りを理解したいです。

      補足日時:2021/04/26 21:56
  • 私の現状としては、社会集合の掟や道徳倫理が文章に固着し、成文化されたことによって法律が形成されたと言う認識でおります。
    その過程における中、企業・法人・会社はどのように形成されてきたのか? 
    法人と言うのは法ありきで存在する脆弱なものなのか、あるいは自然認識に寄って立つ強固なものなのかを知りたいのです。

      補足日時:2021/04/26 21:56
  • 4.
    また、「座」「惣」「株仲間」などについてもキーワード提示頂きありがとうございました。
    少し調べましたが、これは活動と会計を一にする一企業の単位ではなく、市場独占の為のカルテルと出ました。
    その座に参加するものはカルテルでの共同体であるため、活動は一定の幅を調整しながら行っていたでしょうが、会計も一意の場所へ収斂し、その後配分をした、と言うような1:nの関係だったのでしょうか。私としてはカルテルとしての座と言うのは飽くまで個々の事業者が会計を持って、その上で調整をかけるという集合のことだと認識しているので、そうすると会計を独立して行う企業とはちょっと違う印象を憶えたのです。
    この事業者感で調整するカルテルも、広義の「一企業」とみなして良いのでしょうか。


    ややこしい話で申し訳ありませんが、もしご存知の部分がありましたら上記教えて下さい。

      補足日時:2021/04/26 21:56

A 回答 (2件)

1.については、ほぼその通りで「利益のための結社(集団における約定の締結)」が会社です。


 ただ、利益のための結社だけでいいなら、コロンブスの時代にすでに「投資のための結社」があり、海外航路に出る船に出資し、その船が帰ってきたときには莫大な利益を山分けしていました。(当時は帰ってこないことも多かったので、その場合は損失をみんなで分け合いました)

このような権利を買うこと、出資したことの証明書がのちに「shares:株券」になっていくのですが、この仕組みだけだと「企業」とはいえても「会社」とは言えないのです。
(日本の株式・株券という名前は、株仲間という利益確保集団の名称に由来します)

会社として最も重要な点は「その結社が人間と同様な人格を有する」と言う点にあります。これを法人と呼び、法人が人間と同じように財産を所有したり、契約をしたりすることができるのが「会社」の根本的な成り立ちになります。

2.は会社ではなく「企業」ですね。

3.金剛組は「世界最古の企業」です。つまり「利益のための結社(集団における約定の締結)」であって会社ではないです。

4.理解としては正しいですが、厳密な単語としては
企業>会社<法人で、「会社」という単語は英語のcompanyまたはcorporationに対応する訳語として誕生しています。

企業と言う言葉は、非常に範囲が広く大分類として公企業・私企業に分けることができます。市営バスなどは公企業であって「ある目的のための結社」ではありますが、利益追求のため、ではないわけです。

したがって「企業」と言う言葉は本来「利益追求」と言う概念よりも「ある目的のための集団・結社」という意味のほうが強く、そういう意味ではヤクザも「企業」であるわけです。

法人も必ずしも会社だけに使われるわけではなく、一定の要件を整えた企業や結社・組合(NPOなど)には法人格が与えられます。これは「法律が認めた目的を遂行するのに人格権が必要」と認められているからです。
(なのでNPO・NGOなど比較的新しい企業概念に法人格が与えられたのは割と最近です)

厳密な意味での「会社」とは
・企業のうち、私企業であること
・法人のうち、利益を追求する目的を持ち、そのために人格権を必要とするもの
となります。


>現在のネット上での法の解説を読むと上記が逆転する形で説明がなされています。

上記の説明を読めば、逆転ではなく、そちらのほうが正しい、と理解していただけるはずです。

質問者様が喝破したように
>その法人は事業体における利益獲得活動の内、全般(国営・3セク・民間)である場合には「企業」、とりわけ民間の集団利益結社(例えば個人商店を除く)だけに「会社」と使用している

のはその通りで、企業のほうが会社よりも広い概念なので、そのように使われています。

ただ、国営・3セクは必ずしも利益獲得活動ではありませんので、私企業のうち利益獲得活動をするものを「会社」とよぶわけです。

>ただ、金剛組のように「法が無かった時代(法人そのものの概念が無かった時代)」での会社もあったんだから、会社の語用定義はもっと広くて古いでしょ、とも思えるのです。

金剛組は「企業」であっても、明治以前は会社ではないです。また「企業」という単語も明治以降に作られたものですが、それ以前には「座」とか「惣」とか「株仲間」という概念があり、これらの殆どが「企業」と言う言葉に集約できるわけです。

なので金剛組は世界最古の「企業」で「会社」と言う言い方は本来間違いなのですが、一般的に「企業」と「会社」の厳密な違いは知られていないので、間違って説明されることもよくあるわけです。
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この回答へのお礼

早々の回答ありがとうございました。またよく分かりました。

なお、今回の件の整理と確認、少々疑問に思ったことの質問と、深堀りをさせて下さい。

長文で文字数オーバーになってしまったため、捕捉に記載させて頂きます。

もし部分的にでもご存知であれば教えて頂ければと思います。

お礼日時:2021/04/26 21:54

補足の1.


その通りです。齟齬はありません。

補足の2.
たしかに整合性が取れてないですね。以下のように訂正します。

3.金剛組は「世界最古の企業」です。つまり「利益のための結社(集団における約定の締結)」ではありますが、初期の状態は会社ではないです。

補足の4.
補足の3.のためにこちらを先に書きます。
「企業」や「会社」というのは、基本的に西洋的な集団システムの訳語です。
 だから惣や座がそのまま企業や会社と同じ概念になるわけではありません。しかし、惣や座などは、会社ではないものの法人には分類できます。

なぜならこれらの集団が幕府や藩などから得ていた権益は個人に属する者ではなく「惣」「座」という集まりそのものに与えられていたからです。このような場合は法人とよび企業と言う概念にも当てはまる場合があります。
 
上記のことからいえばカルテルは政府から権益などが付与されていなければ法人ではありません。

そして西洋概念を日本に輸入した時、会社・法人・企業などの言葉が作られましたが、それらを説明し、また参考にされた集団がこれらのものであった、ということです。


補足の3.
>法人と言うのは法ありきで存在する脆弱なものなのか、あるいは自然認識に寄って立つ強固なものなのかを知りたいのです。

このレベルの御質問なると「学説として諸説ある」としか言いようがありませんので、以下は事実の指摘に留まります。

法人の歴史を見ると、古代ローマやギリシャなどにすでに法人と呼べるものがあります。日本においても惣・座のような法人と呼べる仕組みが遅くとも室町時代には成立していますので、この点をみれば法人と言う概念は自然発生的であり「人間社会に不可欠な自然認識によって成り立つもの」といえます。

ただし「法人」の制度や性質はその国や文化によって、かなり異なるのでその点では「法ありきで存在する脆弱なもの」でしかありません。

これはある意味当然であるといえます。なぜなら「自然人」自体が「法ありきで存在する脆弱なもの」でしかないからです。

>つまりは歴史蓄積における社会での集団の自然認識が先で「法人」が存在するのか、それとも法の制定によって「法人」なるものが誕生したのかを知りたいのです。

この点においては、間違いなく自然認識が先です。自然発生的に集団ができ、その集団の財産を「個人所有にしたくない」という認識によるからです。
 
>私の現状としては、社会集合の掟や道徳倫理が文章に固着し、成文化されたことによって法律が形成されたと言う認識でおります。

法律を厳密に定義するなら、上記の認識は必ずしも正しくありません。なぜなら法律には成文法・不文法・慣習法そして判例があり、必ずしも文章に固着して成文化されたものばかりではないからです。

たとえば日本人は日本語を使い、日本政府も日本語だけで法律を作成しますが、日本には「公用語を日本語と定める」と言う法律は存在しないのです。

実はこの「法律自体が成文法だけではない」という点が法人の学説を分ける事態を招いているといえます。

つまり「自然発生的で成文化されていないが法人自体は存在する」という状態があったともいえるわけで、慣習法的に成立しているなら厳密な自然説は取りにくいことになります。

このように厳密に考えて行くと、どの立場をとるのか、によって諸学説に分かれてしまうので、補足の3.の答えは今のところ明確ではありません。
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この回答へのお礼

御礼遅れて申し訳ありません。
再度の回答ありがとうございました。

>「自然人」自体が「法ありきで存在する脆弱なもの」でしかない
の部分に個人的に違和感がありますが、深堀をするとキリがないのでこの辺りで辞めます。私にはまだまだ納得行かないことだらけですが・・・

ひとまず今回のテーマである「会社・法人の社会史的な成り立ちについて」については、その入り口を固められたように思います。
私なりの理解としては、人間集合はコミュニケーションを得意とする者、不得意とする者が自然発生的に誕生するが、一方において人類史的には連携・集合していく傾向があり、その中での時々の社会体制によってその呼び名が変わる、その原初集合と外枠の政治体制の認否、そして利益追求などが歴史的経緯によって加わってきたが、それを今日の概念論の内部で区切ると、単なる活動集合が企業、地域政治体制の約定により権利が認識され、その権利が確定するのが法人、その中でも公的企業ではない私企業での利益追求型企業が会社であるという分類で今日は論ぜられている、と言う形で整理しました。

現在、高村直助の「会社の誕生」を読んでいます。
これは人類社会史観点における「会社・企業・法人とは何か? 」の答えを出さない書物だと認識していますが、考察の一助のため、こちらも消化できればと思っています。

お礼日時:2021/05/02 00:37

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