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神田沙也加さんが死んだ時は若いので とても悲しかったけれど、石原慎太郎さんが死んだ時は まあ死んでも当たり前の年齢だから そんなに悲しく無いですか?

A 回答 (9件)

これからまだ生きる人間と寿命での死では全く違います


弱って弱って死ぬ人と元気なのに死ぬ人では違います
ただテレビの視聴者は高齢者が死ぬのが普通であって
残念だなくらいで
若い今からの人が亡くなると辛かったろうなって部分で悲しくなるのでは?
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年齢は関係なく、悲しい人、悲しくない人、います。


石原慎太郎さんはレイシストで、ジェンダー差別主義者でしたので、悲しまない人は多そうですね。
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「喪失感」と「その人物の将来」を別に考えるべきだと思います。



「喪失感」でいえば、年齢に関係なく「悲しみ」を覚えるし、場合によっては「ざまあみろ」と思う人もいるわけです(某左翼知識人が暴言を吐きましたね)

しかし「その人が成しえること→将来のポテンシャル」でいえば、子供・若者・壮年・老年では違うわけです。

子供や若者は彼らの将来に期待し見守っている親世代が生きているわけで、早世してしまうのは強く悲しみを感じて当然でしょう。

逆に私はアラフィフですが、今死んでも「子供が残っているので彼らに託す」というあきらめもできるし、石原氏のように一定のことを成した人なら「まあここらでゆっくり休んでください」というあきらめもつくわけです。
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結論から申し上げるなら、誰が何歳で逝ってもも悲しいです。


亡くなっていい人間なんていませんから。(いない、と信じたいです。最近自殺する前に誰か他人を道連れにしたいというヘンなヤカラの事件も多いですから)
ただ、本当に悲しくて寂しいのは身内だけなんです。
どんな高齢で亡くなろうが「大往生でしたね」という言葉は実は身内には禁句なんですよね。
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きちんと自分自身に与えられた時間を使い、与えられた寿命を生き抜いたので周りも本人も納得した人生だったろうと思えるので、失う悲しみは

あるけど仕方ないないとゆう感じかも 神田さんはあまりにも与えられた時間を残して逝ってしまったので悲しみが増すのだと思います
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特に悲しくないです、身も蓋もない考えですが所詮赤の他人ですからね。

早かれ遅かれ、一人の生涯がまた終わったと思うだけです。いずれ自分の番が来るのですから!
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石原さんは寿命を全うしましたから全然悲しいとは思わなかったです。

来るべく日が来たんだなと思っただけです。

神田沙也加さんも別に好きではなかったのですが30歳代で死ぬのはあまりにも早すぎた感じはあります。お気の毒です。
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どちらも特に悲しくはないです。


ただ、神田さんは年齢的に「惜しい」と感じましたし、
石原さんは年齢的に「お疲れさまでした」という感じです。

ファンだったらいくつでも悲しいんじゃないですかね。
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年齢に関係なく悲しいです、死って

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