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紀元前、今話題のウクライナ周辺に、スキタイと繁栄しました。
彼らは、動物文様と黄金製の埋蔵品が有名です。

質問は、スキタイが活躍した地域は、黄金の産出が多かったのですか?

A 回答 (2件)

> 質問は、スキタイが活躍した地域は、黄金の産出が多かったのですか?



スキタイにもいろいろあるようですが、動物文様と黄金製の埋蔵品が有名なのは黒海の北のあたり、今のウクライナあたりです。 鉄、マンガン、水銀は出ますが、金は難しいでしょう。 基本的には、周辺の産物を持ってくる、略奪と交易でもってきたのでしょう。
スキタイ人は、中央アジアの黒海・南ロシア・北コーカサスの草原地帯の中心に部族同盟で騎馬と遊牧で生活し、都市を造らず、石造りの家なども作らなかったようです。必要なものは、騎馬で移動して、黒海北部のギリシャ植民都市と交易し、 ギリシャから金銀器・青銅器・オリープ油など持ってくる、また南ロシアの森林地帯アルタイ山脈から産出する黄金を持ってくるという生活をしていたようです。 アルタイでは、金と銀との合金・エレクトラム合金が造られ、この合金は、純金よりも硬く加工しやすいので、これを使ってスキタイでは動物文様の浮彫をした製品を造ったらしいです。
もっとも、ギリシャの職人に造らせたというように説明している人もいます。 https://meinfavorit.hatenablog.com/entry/2020/10 …
初期スキタイ美術(東部)
初期スキタイ時代(紀元前8世紀 - 紀元前6世紀)のものからサルマタイ時代(紀元前5世紀 - 4世紀)のものまで含まれているが、初期スキタイに属するものとしては体を丸めた豹の飾板があり、これはアルジャン古墳,ケレルメス古墳,ウイガラク墓地のものと同じモチーフである。「体を丸めた動物」というのは初期スキタイの最大の特徴であり、他には「つま先立ちの動物」、「脚を折りたたんだ動物」などのモチーフがある。また、初期スキタイ美術の東部(カザフステップ以東)では西アジアの影響は見られず、スキタイ文化の元々の姿に近いと考えられている。
後期スキタイ美術
後期(紀元前4世紀後半 - 紀元前3世紀初め)西部(黒海北岸、北カフカス)のスキタイ美術ではギリシア文化の影響も見られる。特徴としては、パルメット(ナツメヤシの葉が広がったような文様)や唐草模様のような植物文様が施されたこと、動物表現がより写実的になったこと、人間や神々が表現されるようになったことが挙げられる。これらの作品は当時黒海北岸に住んでいたギリシア人職人がスキタイ王侯の注文に応じて作ったものと考えられている。この時代の作例としては、1971年に発掘されたトヴスタ・モヒーラ(トルスタヤ・モギーラ)古墳で発見された胸飾りが挙げられ、「体をひねった動物」という表現もこの時代の特徴である。
http://avantdoublier.blogspot.com/2009/04/blog-p …

> 今話題のウクライナ周辺に、スキタイと繁栄しました。

スキタイが戦闘力の高い騎馬民族集団だったのは間違いのないところのようです。 でも、「繁栄」というと大きな都市、城、住民がたくさんいる住居地帯、神殿や市場の跡が残っている感じがしますが、そういうものは一切ないらしいです。

> 黄金文明は<金の産地ではなく、権力と富の集中するところ>なのですね。 当時、スキタイは繁栄していたのですね。

スキタイはとにかく機動力がすごくて、弓の技術が高いので、周辺の王国にとっては脅威の集団として見えていて、スキタイ征伐を試みても、討伐できない状態が続いたことは間違いないです。
http://houzankai.blog.fc2.com/blog-entry-3667.ht …
都市や明確な居住地を恒久的に持たない人々なので、繁栄していたとき、衰退したとき、滅んだときが、よく分かってないようです。 もちろん、どう繁栄していたのかも分からないようです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<金は難しいでしょう。 基本的には、周辺の産物を持ってくる、略奪と交易でもってきたので>すね。
創意した騎馬の優位性を生かして、<略奪と交易>によったのですね。

お礼日時:2022/07/20 09:09

いや、多少は採れたようですが、格別金の産地というわけでもなかったみたいです。



ところで、黄金文明が栄えるところって、どんなところだかわかります?

それは金の産地ではなく、権力と富の集中するところ、そして交易の盛んなところです。

金の産地では、金は有力な交易の原資になります。せっかく採れた金を自分のところで使っては1円の儲けにもなりません。
しかしよその地方に持っていけば、より高い価値が認められ、多くの食料や品々と交換することができます。

また、例えばクレオパトラなど、富と権力が集中する人や場所には多くの金が集まります。

このため、黄金文明=金の産地という図式は成り立ちません。

変な例えなんですが、私の故郷・山口県下関市は全国的に知られるフグの水揚げ地です。
では、下関市民はたらふくフグを食べているのかというと、そんなことはありません。
フグにたくさんのお金を払ってくれる東京や大阪に、上物のトラフグやホンフグは輸出され、貴重な外貨獲得資源となっています。地元の人は磯魚クラスの小さなサバフグ、カナトフグなどを食べています。

金もそれと同じです。

ウクライナ地方は今も小麦の一大生産地ですが、たぶんスキタイの時代もそうだったんでしょう。それを交易していく過程で大量の金が保有されたのだと思います。交易の決済手段として、世界中どこでも高い価値を持ち、小さく軽い金はとても便利だからです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<黄金文明=金の産地という図式は成り立ちません。>ですね。
黄金文明は<金の産地ではなく、権力と富の集中するところ>なのですね。
当時、スキタイは繁栄していたのですね。

お礼日時:2022/07/19 12:22

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