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芸術という言葉をよく耳にします。
芸術性が高いとか、芸術的とか、芸術点とかいいますね。
でも説明せよといわれても、うまくできません。
どなたか簡単にうまく説明してください。
どういう価値観に基づいているのでしょう?
そもそも定義があるのでしょうか?

また芸術の反対語は何になるでしょうか?
生活ですか?
そう考えるのは、芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
日常で使う道具は芸術でないと思います。
使わずに鑑賞するものに芸術が多いようです。

世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?
芸術は民族によって変わってきますか?

A 回答 (4件)

>そもそも定義があるのでしょうか?


個人的解釈ですが…
一言では、対象を一旦抽象化して、具象化する技。
平たく言うと、思いを込めて表現したいエッセンスを抽出していること。
名前の通り、芸ですから技術に裏打ちされた表現であること。

>また芸術の反対語は何になるでしょうか?
「芸術」の反対は、「自然」かしら?
芸は必ず人のINPUT、OUTPUTを通すので、人工的だと考えました。
というわけで、人の手を介した抽象表現として考えますと、
生活の中にも芸術はあると思います。
例えば、商業デザイン(食器や家具など)と呼ばれているものは、
機能を追求した結果が、デザインという抽象化に結びついている
と考えます。

>世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?
「もっとも芸術的」については、
ある程度、表現の技術的なことで甲乙は付けられますが、
抽象化については、自分はまったくそのように捉えられなくても、
作品の作者は、そう捉えたということは考えられるので、
この良し悪しの判断はつけられないと思うのです。
もしあるとすれば、芸術作品を見ることに長けた
(技術を判断する目、抽象化を読み取る力を持つ)専門家が、
「良し」といったものになるのでしょうね。私も知りたい!

>芸術は民族によって変わってきますか?
「芸」は地域によって様様であり、
またそれをよしとするか文化によって価値観も異なりますので、
各地域、各時代に様様な芸術が存在すると思います。

ただし、「美」は普遍だと考えています。
芸術以外にも「美」は存在しますよね。例えば花の美しさ。
時代を経ても、場所を越えても通用するものが「美」なのでしょうが、
言葉で定義するのは私自身も一生の課題です。

とりとめなくなりましたが、お役に立てましたら幸いです。
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自然を描いている、しかし心に印象深く刻まれるのはその自然の風景ではなく、作家が表現する何か。

技法や偶然ということもあるけれども、芭蕉の俳句のように、言葉や素材によって、その言葉や素材を超えたものが表現され感銘を与えるもの。まぁ、こんなところでしょうか。だから、芸術作品は世界中で数えられるくらいしかありえないはず。

回答になっているかどうかよくわかりませんが、定義としてはこんなものだろうと考えます。
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 芸術とは、心の内にたぎる思い(感性)をそのエネルギーによって最も力強く忠実に表現することでしょう。



 心の内にある原始的なイモーションをそのままなんのためらいもなく素朴に表現したものも芸術の範疇に含まれるものの、これに知性が加わればさらに深く複雑な表現を求められることになり、表現されたものにはそれだけ深い思いが込められることになると思われます。

 「芸術は美なり」という解釈もありますが、「美」は時代や社会背景によってその評価が変わりますので、芸術とはという問いへの正解とは一概に言えません。

 芸術的とは、心の内なるものの質(感性)とその表現上の技術が合いまったもの。
 表現されたものが他人に共感を覚えさせた時にはじめて芸術的と評される。その段階で表現する行為を芸術性と呼びます。

 芸術点とは、表現されたものによって他人が共感を覚えた時、その表現行為の質をある基準値に置き換えて、数字などによって評価することと言えばいいかと思います。

 芸術は純粋な表現行為ですから反対語はないと思います。反芸術などという言葉もありますが、これ自体第三者の規範に基づいた評価であるため、時代や社会背景、あるいは環境の変化などによってその意義や評価基準自体が変化してしまいます。

 芸術はそれを日常使用するものという条件のもとに発露し表現されるものではないので、もちろん最初から使う道具として表現されるということはまずありません。
 ただし、最初からお金を得るために表現する芸術ということはありますが、これを純粋な芸術というか否かはかなり難しいものです。なぜなら、一般の大多数の人にはできない表現で、(美しいと感じさせることによって)多数に快感を与えるというところに存在価値があるからです。

 また、最初から使う道具として機能やその時代における姿の美しさを求める行為は一般的にデザインと呼ばれ、その直訳で言えば「設計」の一種、芸術ではなく技術の範疇に含まれる行為と言えます。

 ただし、最初から使う道具としてデザインされた道具でも、時代での評価によって他に得がたい「美」があると評価される場合、その器具は芸術の域にあると評価され、美術品と呼ばれることは多くの例があります。この場合、評価される時代が長いほど、芸術性が高いと言えるでしょう。

 この世界で至高の芸術と呼べるものをわたしはまだ知りません。

 芸術は民族や人種が持つ独特の感性に深くかかわり、なかでも宗教と密接な関係が見られます。敬虔な信仰心という純粋なイモーションが豊かな感性や想像力を育て、たくましくし、そこから優れた表現が生まれてくるのではないでしょうか。
 
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20世紀芸術の一大ムーブメントとしてキュビスムがある。

ピカソやブラック、デュシャン等の絵画を見たことがあるだろうか?あの角々した多次元的な視点を持った絵画群のことである。彼らに影響を与えた思想は四次元思想である。人間が捉えうる三次元の知覚に拡大と自由を与えるものとしてこの四次元の思想がもてはやされたのである。
僕が思うに芸術というのは「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」のことを指すのではないかと考えている。したがって創造するその根源に「どういう世界認識があるのか?」これがその芸術の質になるのである。
わたし達は美しいと感じるものを見たり聴いたりする。しかし花や鳥の声をきいて即ち「芸術だ。」というのには違和感を感じ、芸術的であるというに留まるのは上記のような理由からなのである。つまりそれらが「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」ではないからなのだ。

反対語を考えるのはナンセンスではないだろうか?人の反対語はなんですか?と同様にその語の含まれるコンテキストによって変わってくるだろうし場合によっては反対語が存在しないこともありえると思う。

>芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
>日常で使う道具は芸術でないと思います。

マルセル・デュシャンを含めたのレディ・メイドの作品は日常で使う道具にそのまま名前を入れただけのような作品が少なくない。日常で使う道具は芸術でないとするのは早合点のようである。

>世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?

20世紀の最も影響力のあった芸術家はマルセル・デュシャンと言われている。前述した「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」を芸術の定義と仮にするならばデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(大ガラス)あたりはどうだろうか?

>芸術は民族によって変わってきますか?

民族によってその価値が変わってくるのか?という意味だろうか?
現実的に言えば提示された世界認識が理解不能と判断されれば価値の無いものとして扱われるだろう。
しかし論理の上では普遍だと考えている。世界認識とはつまるところ人間の知覚にかかわることであり、文化に左右される次元のみならず、人間の普段知覚できる三次元的世界を超越した何かを提示できるかどうかさえをも範疇としたものだからである。それは民族にとっての価値ではなく、人間にとっての価値なのである。よって芸術は民族によってその価値は変わらないと僕は考えている。

上はもし参考になればよいです。
僕もいつもこのことについて考えていて、なかなか答えが見つからず、上記もとりあえず今のところの僕なりの見解といったところなのです。真理とは何か?そう問うところから出発して今のところ上記にたどり着いた次第です。
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