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明治維新の薩摩の偉人、鹿児島の偉人として西郷隆盛と大久保利通が挙げられますが、西郷隆盛は私利私欲を捨て、薩摩の同志の為におのれの命を捨て最後は自害したが、大久保利通はおのれの名誉と権力の為、政治を動かし、結局は恨みをかって暗殺されたと言う人がいます。どう思いますか?

A 回答 (4件)

人柄の違いでしょう。


大久保は、頭の良さを鼻にかけるスネ夫のようなタイプ。
チカラの強いジャイアンが居なくなれば、みんなから袋叩きにされそう。
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西郷隆盛はもっとすごい人で「天命の人」だったと思います。


最後の自害について、その人は西郷を矮小化していると思います。そもそも彼が始めた内乱ではなく、しかも結果として、明治政府に支障がないように古い時代の人間を一掃しています。

岩倉使節団が2年間もの物見遊山の外遊をしていた時に、留守政府が実施した改革の内容が突出していますが、これらは西郷隆盛ではなく、彼の元に集った優秀な若者が実行しています。西郷隆盛の凄さはここにあると思います。

なお、岩倉使節団は最も重要な目的だった不平等条約の解消の予備交渉では早々に失敗しています。

添付の写真は、国立公文書館の明治維新150年記念展示の年表ですが、岩倉使節団は留守政府と約定書を交わし、廃藩置県は押し付けながら新たな改革には着手しないように釘をさしています。それにも関わらず、留守政府は数々の改革を実行しており、その中で多くの武士から不満が噴出しなかったのは、西郷隆盛の人徳によるところが大きいと思います。

西郷隆盛の凄さは「敬天愛人」に全てが詰まっているように思います。
彼は古い人間で且つ海外に行ったこともないのに、当時の世界情勢を看破していたのではないかと思います。そうでなければ、一夜にして旧暦から太陽暦に変更するような無謀なことを許すとは思えません。

岩倉と大久保の謀略により、西郷は朝鮮開国の直接交渉を阻まれて辞職してしまいますが、もしもこの時に西郷の朝鮮行きが実現していたら、今のような日中韓とは全く違った関係になっていた可能性あります。
「明治維新の薩摩の偉人、鹿児島の偉人として」の回答画像3
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人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグ と言いますが、


西郷は セ・リーグのような人、大久保は パ・リーグのような人だった?
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とんでもない誹謗中傷だ。

岩倉使節団に加わった大久保利通と加わってない西郷隆盛は、その後大きく政治路線に違いが生まれてしまったが、根本的な部分ではほとんど同じです。それだけ岩倉使節団での見聞が大きな影響を与えたのです。無知蒙昧なゴミの戯言にいちいち惑わされないでいただきたい。
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