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1950年代アメリカの”反共”形成のメカニズムについて教えて下さい。

当時のアメリカ国民はなぜ皆熱狂的に”反共”へ走ったのでしょうか? 

私個人の意見としては、個人行動の自由の尊重にあるものが共産主義、即ち管理と制限と再配分であり、それを行うと、個人行動の自由を毀損するがために、アメリカ国民の理念としてそれと闘うべきである、と言う論です。
私が類推する簡単な大衆心理のメカニズムは次のようになりますが、今ひとつ裏が取れないでいます。

「大衆やそれを構成する個人は、抑圧したり管理したりするような政府を欲さず、政府と言うものは、飽くまで市民個人が自由な行動を保証できるだけの機関であるべきだ。そこに制限はないが、共産主義と言うものは、個人を管理し、行動を制限し、個人の行動機能を束縛する。弱者は救済されるべきであるが、しかしそれは寄付などによるべきである。個人の富の追求は自由の行動の範疇に含まれるので、過度な徴税とそれに伴う再配分は社会的に拒絶すべきであり、それは政府ではなく個人の自由行動における慈愛の理念によって行われるべきであって政府が行うべきではない。」

これについて合っているか間違っているか、あるいは部分的にあっているところはあるが、ここが間違っているなどのご指摘を頂ければと思っています。

※ちなみに私はもういい年齢の社会人でして、学校の課題ではないことだけここに書き添えておきます(よく間違われる)。完全な個人的興味のみの観点において質問させて頂いています。

A 回答 (3件)

1950年代アメリカでの”反共”形成には、複数の要因が存在しました。



第一に、第二次世界大戦後の冷戦の始まりにより、アメリカ政府は共産主義を脅威と見なすようになりました。1947年には、トルーマン大統領が「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれる演説を行い、アメリカが世界中の民主主義国を支援することを表明しました。また、同年には国務省で共産主義者を追放する方針が定められ、赤狩りと呼ばれる強制的な共産主義者追放が始まりました。

第二に、冷戦時代には、国内でも共産主義への不信感が高まりました。これは、朝鮮戦争やベトナム戦争などの軍事的な衝突が起こったことや、アメリカ国内で共産主義者によるスパイ活動があったことが背景にあります。

第三に、アメリカでは1950年代に入ると、社会的な価値観の変化が起こりました。保守的な価値観が主流となり、家族を大切にすることや、勤勉さ、個人の自己責任、そして民主主義の重要性が強調されるようになりました。このような社会的な流れに乗って、共産主義は反道徳的であるとみなされ、激しい批判が行われました。

要するに、反共感情は、政府やメディアなどからのプロパガンダ、冷戦時代の緊張感、社会的な価値観の変化、そして国内での共産主義者によるスパイ活動などの要因が重なって形成されたと考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
詳しく、かつ簡潔に説明頂き助かりました。

お礼日時:2023/05/20 16:17

あなたの考えは米国一般大衆の考え方とは異なる学者的な考え方です。

実際には、そんな論理的なことを考えて一般米国民の間で反共が流行したわけではありません。もっと状況に即した感情的なものです。いわばネットの炎上に近いものです。

1950年代の反共形成メカニズムで最も重要な事件は朝鮮戦争勃発でした。元々、米国民はモンロー主義的、孤立主義的な傾向が強く、第一次世界大戦でアメリカ大陸以外の争いに関わることにはうんざりしていました。真珠湾攻撃がなければ、ローズヴェルトの強い意志にもかかわらず、国民の戦争関与反対が根強いため、米国は第二次世界大戦に参戦できなかった可能性が高かったのです。仮に参戦できたとしても、当初から厭戦気分が高まったことでしょう。

米国民にとって、第二次世界大戦とは、そもそも関わりたくもなかった戦争であり、他所の世界の話でした。ところが、真珠湾攻撃で愛国心をを扇動・刺激され、同時に深層心理として持っていたアジア人蔑視の考えも表面化して、日本に対して徹底的に民間人まで殺戮する空爆や原爆投下も行ったのです。焼夷弾や、消火活動を妨害するために時間差爆発する爆弾の投下など、やり方が悪魔的なのも、根底に人種差別があったからです。

そして1945年8月に日本が降伏して、やっと劣等人種への復讐戦争が終わり、米国兵士が死ぬ危険から解放されたと米国人の誰しもが思っていました。ところが、1950年に朝鮮戦争が勃発し、しかも米国が日本から解放した北朝鮮と、米国が助けた中国の共産党軍が一緒になって戦争を開始し、再び多数の米軍兵士が命を失いかねない状況が発生します。何のために第二次世界大戦を戦ったのかという思いを抱いた米国民は多かったでしょう。自分たちが日本を降伏させた結果として起こった事態なので怒りのぶつけどころがありません。

そんなときに思いついた最適な怒りのぶつけどころが共産主義だったのです。そして、共産主義ソ連に協力して自分たちを戦争に巻き込んだ「裏切り者」に対する感情的怒りが爆発していったのです。これが魔女狩りにも似たヒステリックな赤狩りへと発展していくのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なるほど、理論と言うものはなく、感情の渦だったのですね。
実は、現在米投資家のウォーレンバフェット氏の伝記を読んでいるのですが、ウォーレン氏の父(ハワード・バフェット)が反共活動に見を投じていたと言うので、何を思ってそうしていたのか、どういう心情でそうしていたのかを知りたくここで質問をさせて頂きました。

スノーボール 改訂版上 P428
====引用開始
アメリカ国民がハワードと肩を並べるくらい共産主義を妄執的に警戒するようになると、ハワードの反共主義はそれに輪をかけたものになった。彼は、結成されてまもないジョン・バーチ協会という偏執的な反共団体に参加した。この組織は、ハワードがいう「共産主義が明日阻止されたとしてもアメリカの倫理的、精神的問題は依然として残る」という懸念と反共を巧みに組み合わせていた。(中略)ジョン・バーチ協会に関わり合うものは警戒されるどころか馬鹿にされるのがつねだった。
====引用終了

と言うことで、頂いた回答により、この文章の理解が重層的にできたように思います。

お礼日時:2023/05/20 16:24

>1950年代アメリカの”反共”形成のメカニズムについて教えて下さい。


 当時のアメリカ国民はなぜ皆熱狂的に”反共”へ走ったのでしょうか?

何冊のも本に成る研究テーマですね、数多の書籍が出版されている様です
私は、新聞にコラムとして、書かれているのを読んだ程度ですが、
何れも結論は出されていません。
国家内に発生する熱病なのかなと思っています。

この、熱病でドイツでは独裁者ヒットラー、フランスでは革命後に皇帝
ナポレオンが誕生しました、平家を倒した坂東武者達は勢いで奥州藤原家
を滅ぼしました。
何故なんだと問われれば、熱気、勢い、高まり、としか答えるしかなく、
原因不明の熱病が成せる事柄、一旦、動き出すと止める事が出来ないと
結果論で締めくくるだけです、永遠に答えは出ない様に思えます。

資本主義の貧富の格差が大きく成る事と、インフレやデフレが起こり
時々、バブルが発生し、国家の経済が破綻の危機に陥る事です。
これを防ぐ為に、自由経済市場に国家が介入する社会主義と全てを
国有化して国家が経済を運営する共産主義とが有りますが、

庶民にとっては何れの主義でも、日々の暮らしが過ごせれれば良のですが
富裕層と言われる資産家達には、自由経済主義でなければ困ります。
共産主義国家誕生の折には、革命側は王族や資産家を排除しなければ
なりません、ソ連のスターリンは粛清と称してシベリア送りにしました。
それでも燻る火の手はありますので、反対派の言論を抑え込む為に、
色々の統制を行います、結果、王族に共産党の幹部が置き換わった
だけなのです、同一賃金なので昼間からウオッカを飲んで働かない
労働者が増えて、政府が笛を吹いても踊らないので、経済が停滞しました、その他の複合的な要因が重なって、共産主義国家のソ連は崩壊しました。

日本は経済界は自由経済主義で官僚が時々介入する、社会・自由経済主義
と呼ぶような体制が宜しいと思ってます、故・石原慎太郎氏が常々、
言ってました、今の日本の体制がソ連が目指していた事柄だと・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/20 16:18

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