アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

日本では車の免許、18歳になるととれますが、アメリカやカナダでは16歳で取れるらしいです。
どうしてですか?
詳しい事情をご存知の中、どなたかいらっしゃいますか?

質問者からの補足コメント

  • どういった文化的背景があるのか、勉強したいです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/06/30 16:00

A 回答 (10件)

アメリカやカナダでは16歳で取れるらしいとのことですが、移動手段には車が最適ということで、早くから免許を取ることができるのでしょう。


しかしながら、アメリカやカナダでレンタカーを借りるとなると、21歳以上となっていて、中には25歳以上だったり、25歳以下は追加料金がかかったりします。(レンタカー会社によっては、21歳以下でも可能なところがあるようですが。)
日本でのレンタカーの利用は、免許を持っているのが条件なので、18歳から借りれることが可能です。
    • good
    • 0

在米の隠居爺です。


私が暮す州では、Teens は 14 歳から免許が取れます。

当地では高校までが義務教育です。
親は高校卒業までは子どもの面倒を見ますが、高校を出ると巣立たせます。

巣立つとは、それ以降は大学に進学しようが社会に出て働き始めようが、それは子どもが自分で決め、どちらにしても自活させます。

ご存知のように、何をするにも車が必要というのがこの国です。
なので、自活に車は必須なのです。

当地では、義務教育課程に日本の様な『小中高』という区切りはありません。
日本の幼稚園年長さんの1年を含む 13 年間が義務教育で、最初の幼稚園部分を、幼稚園の意味の Kidergarten の頭文字をとって『K』、それ以降の 12 年間の『 12 』と合わせて『 K12 』と書いて義務教育をあらわします。

12年間を日本のように6・3・3に区切るところもあれば、そうでないところもあります。
それは通常、日本で言う『郡(County)』単位で決めます。

日本では『郡』は、地理的な町村の集合をあらわして郵便の住所ぐらいにしか使わない名ばかりのものですが、当地で『郡』は、州をいくつかに分けた立派な自治組織で、市町村はその管轄の下に入ります。
公立の学校はこの『郡』の役所にある教育委員会のような組織で管理運営されています。

私の郡の公立校は5・3・4の年次に分けられています。
分けているのは学校施設の関係などが大きな理由です。
カリキュラムは 12 年を通して考えられています。
なぜなら、そうしないと他の郡や州の学校とずれが生じてしまうからです。

そういった関係から、当地には『小学3年生』とか『高校1年生』とか、中学入学の様な概念はありません。
学年は12年を通して数えます。
日本で言う高校1年生なら 10 年生のように言います。

さて、そこで運転免許ですが、これは社会に出る前に社会人になって必要な資格は、それまでには取らせて習熟させると言うのが本質的な考え方の様です。
14 歳と言えば9年生、つまり当地なら4年ある高校の最初の学年です。
ウチの子どもたちもこの年に免許は取りました。

ここで少し生活の様子を、免許の必要性の観点で背景として紹介します。
以下は、ウチの郡と、その中のウチの町の場合のものです。
当地は郡や町によってそれは全く違いますので、あくまでも参考情報です。

ウチの町のスクールシステム(日本で言う教育委員会のようなもの)は、子どもの成長に合わせて自立(巣立ち)に向けた様々な取り組みをしています。
その中核が人生設計を自分でさせると言う事です。

日本の小学校の高学年と中学校の2年生ぐらいの時に、ほぼ1年をかけて授業のひとつとしてあることをします。
社会で働き暮すと言うのはどういう事で、それに必要なことは何かを考えさせるのです。
『教える』のではなく、自分たちで『調べ』、『整理』し、以下のことを考えさせます。

  ・自分がどういう生活を送りたいか
  ・そのために必要なことは何か
  ・そのためにどんな仕事に就きたいか
  ・それになるは何をしなければいけないか

小学校と中学校でやる二回の中身はほぼ同じです。
年齢によって内容の荒さを変えているだけです。

これをやる目的は、高校の3~4年間でえ、子どもたちに巣立ちの準備をさせるためです。
それを通し、子どもたちは『車の運転』の必要性をしっかり認識するのです。

それだけではありません。
その『必要性』は、すぐに高校で使うのです。

ウチの子は大学進学を選びましたのでその時の例です。

上記の学習で子どもたちが大学進学を選ぶとき、彼らは『なぜ大学に行くか』という点についての明確な答えを持ちます。
それは、大学でないと手に入らない優れた『チエ・ウデ・ワザ・カン・人脈』を手に入れるため、と。
さらに、それには大事な『裏事情』があります。
お金です。

当地での大学進学は日本の多くの方々には想像できないほどお金がかかります。
日本なら国公立大学の授業料は年額でせいぜい 50~60 万円でしょう。
それも、遠方の他県の大学に行っても変わりません。
自宅を離れる場合、それに生活費として年百万円前後を仕送りし、足りない分は奨学金やアルバイトでまかなうのでしょうか。
結果として、4年間の合計で 700~800 万円を親に出してもらうと言うのが平均的な姿でしょう。

それに対し、日本の国公立に相当する州立大学の場合、他州から来る人は年額で 500万円前後は覚悟しなければなりません。
それに、保険や物価が高いこの国では、生活費も年額 300万円前後はかかります。
つまり、4年間だと優に 3,000 万円を超えるのです。

子どもたちがそれをどうしているか。
勿論、それを出してやる親も少なくはありません。
しかし、東京の郊外に家が買える金額をポンと出せる親は多くはありません。
子どもが何人も居ればそれはなおさらです。
なので、当地では、子どもが財団から奨学金を借りたり、金融機関からローンで借りたりしてそれをまかないます。

借りる金額は高額ですから、借りる側も覚悟が要ります。
返せると思えるから借りるのです。

なぜ返せると思うか?
それは、進学の目的にした『大学でないと手に入らない優れたもの』さえ手に入れられれば、いい仕事、いい地位、いい報酬が得られるからです。
だから、当地の子どもたちは大学に入るとよく勉強をします。

日本の学生さんの多くは、大学に入ると勉強をそこそこしつつも、サークル活動を楽しみ、コンパで仲間と楽しく飲み食いし、夏や冬の休みには旅行などを楽しみます。
そのために必要なお金を、勉強の合間をぬってバイトで稼ぎます。
生活費や学費の足しにするためにバイトをする子供たちも少なくないでしょう。

それらは悪いことではありませんが、当地の子どもたちはそれをしません。
楽しみは『気晴らし』程度にはしますが、基本的には、社会にでてさっさと借金を返し、望んだ暮しを安定させることが出来た時にゆっくり楽しめばいいと割り切っています。
アルバイトで時間を無駄にするぐらいなら、稼げる小金は借りてでも勉強に専念しようと考えるんです。

高校に入る時までの学習の目的のひとつは、こんな割り切り・覚悟を持たせることなんです。

それに加えてもうひとつ知っておく必要があることがあります。

アメリカの大学には入試がないことです。

高校卒業相当の学力があることを認定する全国的(全米的)な試験はありますが、それはあくまで『高卒学力認定』が目的の試験でしかないので、それなりの大学への進学を目指す子どもたちは皆ほぼ満点です。

では大学は何を評価して子供を選別するのか?

それは、入学願書に書く『自己主張』です。

『自己主張』というと、日本の方々は、美辞麗句を並べて強い意欲を表現する、いわゆる『青年の主張』を想像するかもしれません。
しかし、そんなのは当地では門前払いを食らうだけです。

当地の場合、大事なことは、専攻したい分野について、自分は勉強の準備が出来ていることを実績で示し、『私は卒業したら十分優れた専門家になれる』と主張することです。

そこで大事なのが『実績で示す』という部分です。

当地のそれなりの子どもたちは、日本の子どもたちが高校時代に受験勉強に明け暮れているように、専攻したいと考えている分野についての先行的な勉強をしています。
そして、そこで何らかの具体的な実践行動を起こし、勉強したことを実践したり、勉強して見つけた疑問について自分で考えた研究をしたりして、そこで『実績』を出しているのです。

具体的な例を挙げましょう。
東日本大震災の後、全米各地では、被災地支援のための義援金の募金活動などが盛んにおこなわれました。
あれです。

日本の多くの方々はあれを毎年行われる『赤い羽根募金』のような漫然とした活動の思って見られたかもしれません。
しかし、その多くは違います。

あの活動のかなりのものは、経済や商業、ジャーナリズムや政治などを専攻しようと考える子供たちが企画し、一種の企業活動のように組織を立ち上げ、そこから出来るだけいい成果が得られるような施策を企画して実行したものです。
ジャーナリズムの世界を目指す子はテレビ局や新聞社などに働きかけて報道させたり、経済や政治を志す子は企業や政治家に働きかけて献金や支援を引き出しました。

彼らはその後の進学では、そこで上げた『実績』を明示して『私には意欲も能力もある』と主張するのです。
こう言った実績は、大学進学に必要な高額のお金を借りるときの『信用情報』としてもとても重要な意味を持ちます。

ここまでお話ししたことと自動車の運転免許の関係がお判りでしょうか?

それは、高校生の頃から、その後をしっかり見据えて、親の力を頼らず、自分がしないといけない活動を自力でするには自動車という自由な移動手段が欠かせないのです。

大昔に 14 歳という年齢がどういう意味を持っていたかは定かには知りません。
しかし、今日の子どもたちにはこのような意味がるのは厳然とした事実です。
車がないと、彼らが望む将来を手に入れるのに困難が伴うのです。

ウチの町と、ウチの子どもたちの場合の説明でした。
    • good
    • 0

>アメリカやカナダでは16歳で取れるらしいです。


取得できますが、地域によっていろんな制限があります。
保護者の同乗が条件であったり、時間帯の制限、自宅から何キロメートル以内とかの制限があります。
アメリカなどでは、日本のように子供一人で通学するのはNGです、親が送り迎えをするか、スクールバスでに通学が原則です。
高校生になれば、自分で車通学を認める必要があるからでしょう。
    • good
    • 1

逆にアメリカやカナダでは16歳で取れるのはなぜか?とも言えるかと。


国土の広さと道路整備状況などの交通環境、運転の必要性、交通ルールの厳守と事故発生時の対処などの判断責任、学齢と就職年齢、小型運転免許の存在と廃止・・・・

国の歴史や地域によって違って当たり前かと。
    • good
    • 0

日本でも、原付は16歳からでは?


国土が広く、バス路線が完備していないところでは、早めに自家用車での移動ができるようにってことでしょう。
    • good
    • 0

決まったのは100年前。


18歳なのは就職に必要だから。
16歳だと高校生なのでその必要が無いからです。
    • good
    • 0

> どうしてですか?



日本の法律で決まっているからです。

日本の法律を変えるしかないでしょう。
不満なら、miichan-haachanさんが国会議員になって法律を変えましょう。

---

運転免許の年齢制限は世界で統一されているものではなく、国によって異なります。世界では運転免許の年齢制限がバラバラなのです。

アメリカは、多くの州で満16歳以上から運転免許の取得が可能です。ただし、一部の州では16歳以下でも運転免許が取得できるなど、州によって年齢制限は異なるので注意が必要です。
たとえばアラスカ州では、条件付きで14歳から運転ができるようになります。
    • good
    • 0

日本よりずっと以前から車社会です。


国土も広く公共交通機関も日本のようにきめ細かくない。
車がないと移動が困難なのです。
免許試験も日本よりずっと簡単だったと言われていました。
今はどうか知りません。

といっても日本も軽免許があった頃は16歳からでした。
さらにその前は、免許試験がなく、車を買ったら警察に申告すれば運転許可証が貰えました。
車が増えてきて危険になったので、試験を作ったのです。
    • good
    • 0

成人年齢によるものですが、それを知ってどうしたいの?

この回答への補足あり
    • good
    • 0

アメリカの場合、州によって異なりますので必ずしも16とは限りません。

ともかく、それは各州や国が今までの歴史背景など含めて総括的に決めたことです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!