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会社を定年退職して、60歳からの生活とか考えてます?
ふるさとに帰るとか、どこかに移住なんて計画ありますか?

会社を退職すると今まで遊んでた会社仲間ともだんだん疎遠になっていくと思うんです、

移住したら知り合いなどほとんどいないでしょうし、

60歳からの住む場所とか考えてます? 
今まで通りですか?

A 回答 (14件中1~10件)

私の場合、都会で両親と小さな家で一人っ子で育ったので、人生設計としては、社会にでて働いて結婚して子供を育て親を見取り、最後は夫婦二人になるという前提でしたw。


結婚して小さな借家で子供を育て、多少大きな家を購入し親を呼び寄せ生活して、そうするうちに子供も独立し、その後親を見送り夫婦2人っきりになったので、予定通りその家を処分し、それを老後の資金と古民家の購入に充て、見知らぬ気楽なのんびりとした田舎に移住しました。子供たちはそれぞれ都会に住んでいます。友人は常に連絡を取り、菜園でとれたものを送ったり、電話で楽しい会話をしたりしています。職場の友人などはOB会もあり動向はある程度把握できますし、連絡を取り合ったり、SNSでの交流もあります。田舎での生活にも慣れ、地元の方にも親しくしてもらっています。人口2万人強の何もない市ですがのんびり好きなことをして暮らしています。
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私はすでに60歳の定年年齢を迎え、5年間の定年延長期間に入っています。

その期間もあと残り1年半となり、その後どうしようかまだ白紙の状態です。
ずっと技術畑でやってきましたのでそれ以外の職種で働いている情景が思い浮かびません。今住んでいるところは生まれ故郷ではないので幼いころからの友人が近くにいるわけでもなく、今更故郷に帰ろうと思えません。
今住んでいるところが居心地もいいし、そこそこ便利なので。
65歳の定年が近づいてから考えるしかないかなと思っています。
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年齢的に、22歳位までは勉強して


65歳位までは一生懸命働いて仕事をして

65歳からは、今まで生かしてくれた社会への恩返しとして
「世の為、人の為」と言う事だけを考えて
それまで仕事などで培ってきた
考えや知識を若い人に伝えてあげて下さい
そして色んな活動などを通して
自分の魂を磨く(心の波動を上げる)事に一生懸命になって
社会にお礼をするのが良いのではないかと思います。

私達が生きている現世では
お金を沢山稼いだ人を勝ち組とか言う言い方をしていますが
心の波動と言う物があり
人生とは生きている内に
この心の波動を上げる事に成功するか下げてしまうかだけです。
実際の所は
自分の心の波動を上げるか下げるかで
人生の価値は大きく変わり、来世も大きく変わると言う事です。

今の時点で、勝ち組であろうが負け組であろうが
そう言う事はどうでも良い事で
恨み、妬み、不平、不満、愚痴、泣き言、悪口を言ったり
強欲に生きると、波動は下がります。

自分の「良心」の声に従い、
自分の精神性を高め
世の為、人の為になる事をして、
色んな事に「感謝」しながら「誠実」に生きれば
心の波動は上がる・・・ただそれだけです。

年齢に応じた終活ですね。
生きている意味等
https://alcyon.amebaownd.com/
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みんな考えていると思います。


一軒家所有なら留まるべきかも。
一番好きで思い出深い街に住めたら良いんじゃないかと思います。
リースバックはしない方がいいです。
?si=k0V-VuoJ9gVVTZak
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会社を定年退職して、60歳からの生活とか考えてます?


  ↑
考えてますよ。
父の影響で、若い頃から考えていました。



ふるさとに帰るとか、どこかに移住なんて計画ありますか?
  ↑
ふるさとなどありません。
子供のころから
都内をあちこち引っ越して来ましたから。
どこでも住めます。



会社を退職すると今まで遊んでた会社仲間とも
だんだん疎遠になっていくと思うんです、
移住したら知り合いなどほとんどいないでしょうし、
 ↑
メールでやりとりします。



60歳からの住む場所とか考えてます? 
今まで通りですか?
 ↑
場所はこだわらないので、結果的に
今まで通りです。

将来は老人ホームですね。
今から金を貯め込んでいます。
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生活も住むところも若いころからカミさんと二人でしっかり考え、それなりに時間と手間をかけて段取りしてきました。



隠居した今、そうして手に入れた地で、のんびり期待通りの生活を満喫しています。
子どもたちも近くに暮らしており、彼らもここを故郷とすることを気持ちよく受け入れてくれています。



私はプロファイルに記した通りの在米の隠居爺です。
考えるところがあって若いころにカミさんと一緒に当地に渡って来ました。

その『考えるところ』とは、我々の人生設計でした。

やりたいこと、暮らし方についての望みなどはいろいろありました。
その暮らしたい場所については、考えることが多い割には経験値が少なかったことから、我々は、いろいろな希望や要件を満たしそうなところに実際に住んでみて考えるという取り組み方をしました。

幸い、渡ってきて早期に生活を安定にすることができ、時を同じくしてネットが普及し出したことから、今で言うリモートワークを組み入れて仕事が出来るようにし、それをうまく利用しました。

仕事柄、取引先に深く長くかかわることも少なくなく、先方の事業所がある土地に家やアパートを借りて何か月も過ごすなんて言うこともよくありました。
そんなところも入れれば、中南北アメリカ、日本、北西南ヨーロッパ、東南アジア、大洋州のかなりの数の町や地域の暮らしを経験しました。

そんな経験を通し、我々は我々独自の『住みたいところの要件と評価基準』を作り、それに照らしていろいろな候補地を評価し、今暮らす町を探し出しました。



一口に探すとは言っても、紙の上で『ハイ、これにしよう』と簡単に決めれるものではありませんでした。
現地の実情は、要件に合わせて時間と手間をかけて評価しました。

具体的に言えば、こんなことです。

  1年を通して気候とその時に起きる様々な事象(風水害、除雪や
  雨水の排水、渇水対策、落ち葉の処理など)を現場で観察する。

  町の産業・経済状態、住宅事情、社会福祉・公共サービス、買い
  物事情、医療環境、地域行事、交通事情、教育環境、治安・風紀
  状況などについて、年間・ウィークデー/週末祭日・天候・1日
  の時間帯などによる変動の実際を観察する。

そうして町は選び出したうえでさえ、そのどこに暮らすかも慎重に決めました。
最初は賃貸に暮らし、1年を通した町の生活を実際に経験することで、町の中のどこに暮らすのが良いかを考えました。

結果から言えば、たかが半径5~6キロの範囲に6万の人が暮らすだけのコンパクトな町でさえ、外からではわからないいろいろな事情はあるもので、当初考えていたことの多くは再考することになりました。

そんなことがあるので、移住を成功させるのは結構大変で、小さなことでもバカにならないもんだと私は考えています。

ただ、そうして慎重に選んだ『町』『実際に暮らす住宅地』『家』については、町に来て10数年、今の家に住んで10年ちょっとになりますが、想像通りと言うか、それ以上と言ってもいいモノ・場所が手に入ったと思っています。



ちなみに町をちょっと紹介しましょう。
町は天然の深い森に覆われたなだらかで低い丘がちの2~300キロ四方の平野の真ん中にあります。
海からも山からも300キロほど離れており、東京とほぼ同緯度の四季のある温暖で穏やかな気候の地で、天災地変がほとんどないところです。

大都会は遥か彼方で、どちらの方向の隣町でさえ5~60キロは離れており、その間に人は住んでいません。
空から見れば、森の海の中の絶海の孤島のような『森の中にポツンとある町』です。
そう聞くと日本なら『ヨボヨボの年寄りだらけでシャッター街の過疎の町』とかと言われそうですが、ここは違います。

町の住民の平均年齢は何と30歳台。
それもそのはず、ここは学生数3万を擁すマンモス大学を中心にした町なのです。
町の人口の半分が学生で、その残りのほとんどが教職員や研究者などの大学関係者という、文字通りの学研都市です。

その大学も、世界的に権威のある大学ランキングでは毎年東大に比肩するレベルに評される優れたところで、現役のノーベル賞学者もいるほどです。

昔、ここはタバコの栽培で栄えた地域でしたが、世界的な喫煙習慣の衰退によって廃れました。
そこで町の有志が昔から町にあった大学を核にした町興しを企画したといいます。

掲げた目標も『世界中の優れた学者・学生が来たくなる大学、誰もが落ち着いて研究・勉強できそうと思える街』という大胆で遠大なモノだったとそうです。

はっきりした将来像のもとに立てた進歩的ながら堅実な大学振興計画と街の都市計画を、半世紀という長い時間にもめげずにコツコツこなし、努力の末に作り上げたのが今のこの町とのことです。

町はコンパクトながらも、古き良きアメリカをほうふつとさせる田舎のゆとりやぬくもりを感じさせる環境と、便利で文化的で進歩的で活動的な都会の要素の両方が同時に手に入る世界に仕上げられています。

住宅環境は田舎のゆとりを十二分に感じられる広さや静かさがあり、街には日常生活も週末の生活も都会並みに楽しめる商業施設や娯楽施設が充実しています。

大学は医歯薬生物バイオ界でも名をはせており、巨大な医療施設が利用できるようになっています。
大学を世界的に優れたものに保つため、町や州は町の治安や風紀の維持・向上にはとても熱心で、ここが本当にアメリカなのかと思ってしまうほどです。

年寄りにとっては、この町の交通事情がひとつのポイントにもなっています。

この町は、栄える大学に人が集中するため、街中の交通混雑の緩和が必要になることを町興しのかなり初期の段階から想定しており、そのために強力なパーク&ライド制が敷かれています。

パーク&ライド制とは、町の外から来る人は街中に車を乗り入れず、街の外縁に設けたショッピングモールなどの駐車場に車を置き、そこから街中へはバスで入って来てもらうというものです。

そのために町は早朝から深夜まで、街中を縦横に頻繁に走るバスを運行しています。
それもタダで。

そのバスはだれでも利用することができます。
なので、この町では街の中の移動がとても簡単なのです。
散歩の途中でちょっとバスに乗ってダウンタウンに行き、カフェでおやつでも食べてこようかなんて気軽にできてしまいます。

それに加え、市は、妊婦や傷病人、幼い子供連れ、障害者や年寄りなどに向けてタクシーや車いすのままで乗れるミニバスなども無料で提供してくれています。
おかげで、この町は全米でも年寄りが過ごしやすい街として知られているほどです。

そんな具合で、この町は町興しの期待通りに、優れた大学と住みやすい環境を実現できています。

企画だけ役人が作り、あとは野放しにしてた結果、大学は進歩しないし、住環境は田舎なのに都内と変わらない時代遅れのウサギ小屋の団地などという『つくば』のようなところとは大違いです。



大学の繁栄で町が栄え、その結果町の価値が上がって我々の住宅の価値が上がりました。

たった10年で倍近くに上がりました。

これはいになく上がるバブルではなく、本当に価値が上がったことによるもので恒久的なもののようです。

当地ではしっかり手入れさえしていれば家の値段は下がらないものですが、こうも上昇するのは経験したことがありませんでした。

老後の備えにはとても助かります。

しっかり考えて行動してきたことへの神様からのご褒美なのかもしれません。

我が家を決めるまでの一部始終でした。
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もう故郷はない。


愛する人も親しい親族もいない。
何処へ行っても同じ。

浦嶋太郎でしょう。

人は生まれた順に死なず。
気が附くと年下の者が先立つ。

もはやネクタイしめてスーツ着て会社に
新入社員に混じって働く時期過ぎた。
結婚も適齢期過ぎ、一人生活でいいと感じるようになった。
いつ死んでもいい年齢に来たのに病気しないで生きている自分に唖然。
ならば、ライフワークを決めてそれに挑もう二なる。
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60歳で定年退職後は延長雇用で65歳まで働き、その後は近所のスーパーのカート集めで雇ってもらえたら75歳まで働きたいと思っています。

 友人達との交流は今でもほとんどなく働く場でしか社会交流のできない寂しい年寄りになるでしょうね。 幸い子供達も独立したから家内と二人では広過ぎる一軒家で過ごせるだけ過ごしてその後の事まではまだ考えてないというかその通りにならない可能性が高いからその時の年齢と経済的事情で大きく変わってくると思います。 移住する計画はなく今の家も将来的にはリバースモーゲージを選択すると思います。 そして自分の人生の最後の願いは家内より早く逝く事です。 ※一人じゃ絶対生きられない自信があります。
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> 会社を定年退職して、60歳からの生活とか考えてます?



40歳を過ぎた頃に先々のことを夫婦でよ~く話し合って決め、その計画に沿って生活し、計画とおり子供が巣立った50歳過ぎで早期退職しました。
それから10年ちょっと。計画とおり夫婦で国内外の旅行を楽しむなどして暮らしています。


> ふるさとに帰るとか、どこかに移住なんて計画ありますか?

早期退職後に自宅を夫婦2人での生活用に建て替えました。
自力での暮らしが何かと面倒であったり難しくなったら自宅を処分して高齢者住宅に住む方向で計画しています。また、どちらか一方になったら有料老人ホームへという計画もしています。
実際どうするかは二人の体調と寿命次第ですが。


> 会社を退職すると今まで遊んでた会社仲間ともだんだん疎遠になっていくと思うんです、

学校も小学校を卒業するとその時の友達とは疎遠に、中学校を出るとその時の友達とは疎遠に・・・というタイプなので、勤務先で個人的につきあいのあった先輩、同期、後輩ともすっかり疎遠になっています。何人かとSNS上で交流がある程度。
数年前には近しい親戚数軒以外との年賀状のやりとりも止めました。(最後になる年に「こういう事で来年から止めます」と書きました)
今はいろんなものがスッキリ、サッパリして非常に快適に暮らしています。

ちなみに田舎の家は当方が30歳代の時に父親が亡くなったのを機に処分し母を引き取りました。

参考まで。
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他人のことより先ずは主さんご自身のことを。

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