No.1
- 回答日時:
殿様ではありませんが、参考URLのサイトに将軍の一日について書かれていますので御覧下さい。
鷹狩は幕府によって禁じられていたので許可がないと出来なかったはずです。
基本的には国許の御城や江戸の上屋敷でずっと生活してたと思います。
茶道が趣味の茶人大名や数学が趣味だった大名、自分が病弱だったので薬の調合が趣味だった大名など結構多彩だったようです。
参考URL:http://homepage1.nifty.com/SEISYO/sitiniti.htm
No.2
- 回答日時:
江戸時代、徳川の殿様は、冷や飯食いだったそうです。
暗殺をおそれ、食事をいくつも作っていました。そのうちひとつを選択し、毒見役がたべて、安全であるといえるものだけを、たべていたそうです。殿様がたべるときには、すっかりひえていたそうです。暖め直しもしなかったようです。
No.3
- 回答日時:
殿様といってもそれぞれの家の由緒もあるし個人的な志向もあり、また国許にいるか、参勤交代で在府しているか、などいろいろな状況により一概には言えませんが、たいていは屋敷(城)にいたようです。
トイレなどは通常専用のものがありました。
趣味はそれこそ千差万別で、鷹狩というのもあったかもしれませんが、そういうのは軍事行動と同一で幕府ににらまれるかもしれないのであまりやらなかったのではないでしょうか。
殿様の趣味で有名なのは松平不昧の茶道(茶器収集)などがあります。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
江戸時代の殿様という存在は、存在するという事のみに価値があるような存在でした。
要するに家臣団が食っていくために存在してくれさえすれば、政治は重臣達がやってくれるし、下手に活動されて目付けに睨まれ、改易にでもなったら大変なので余計な事をしてくれない人のほうが家来にとって都合がいい訳です。そんな訳で、江戸時代も中期以降になると毎日暇を持て余し、昼間から酒ばかり飲んでいるような殿様も随分多かったらしいですね。自分の名前も自分で書けないような酷いのも居たみたいです。
それから、大名というのはヨーロッパの王侯貴族と違って私有財産をほとんど持っていません。飽くまで朝廷から領内の徴税権と行政権を委託されている存在に過ぎないので、大名としての格式に則った容儀を整える事以外では、身の周りの事で自由に金を使えないのです。そんな訳で、余り金の掛かる趣味は持てなかったみたいですね。責任ばかり重くて割りに合わない商売です。だから飲んだくれちゃうんでしょう。
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