あなたの習慣について教えてください!!

憲法改正論議の中で、「自衛」のための軍備や自衛軍の保持を明確にすべきだという意見をよく目にします。
しかし、私は「自衛」の定義を目にしたことがりありません。例えば、証拠がないのにイラクに攻めていったアメリカはあの戦争は自衛のための戦争だったと言っていた時期もありましたし、太平洋戦争もあれは日本の自衛のための戦争だったという人もいます。
これらの混乱は、「自衛」の定義がはっきりしていないからだと思います。定義がはっきりしないまま、憲法(特に9条)を改正してしまったら、将来大変なことになるような気がします。
そこで、「自衛」ということについて、法学的に定説として、権威ある定義は日本にはあるのでしょうか?
また、国際的に定説と言われる権威ある定義はあるのでしょうか?

A 回答 (7件)

#6です


国際的な解釈についてですが、
国連憲章にも明記されている通り、
個別的自衛権も集団的自衛権も共に認める
というのが一般的だと思います(もちろん日本のように国内法による制限を受ける場合がある)。

先制攻撃については、違法であるとも違法でないとも
(1)安保理決議のない先制攻撃は全て違法
(2)「差し迫った脅威」が存在すれば合法
という味方が主な見方だったと思います。
(3)国家としての生存権を脅かすほどの大きな脅威が存在すれば(差し迫っていなくても)合法
という考え方も一部あります。

アメリカは当初(2)の考え方・主張に基づき、戦争に踏み切りましたが、未だ「差し迫った脅威」の決定的な証拠が見つかっていませんから、これから証拠が見つかるか、開戦にあたって恣意的な情報操作が政権によって行なわれていなかったかどうかなどが問題になっていたわけですが・・・
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答、ありがとうございました。
この場をお借りして、他のご回答者の方にもお礼申し上げます。大変勉強になりました。
私なりにまとめてみますと、「法学的な定義は存在しないらしい」「古典的国際法の習慣としては存在する」「現在は国連憲章51条が定義として妥当するのではないか」「51条は、個別的自衛権、集団的自衛権があり、先制攻撃容認の要件にも段階があり、判断が分かれる」
という事のようですね。
憲法改正論議の中で、このあたりをきちんと整理して国民的コンセンサスを得ることが大事だなと感じました。
重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2005/07/11 20:04

自衛の定義は


集団的自衛権を認めるかどうか、
自衛のための先制攻撃を認めるかどうかで分かれてくると思います。
個別的自衛権のみを認め、集団的自衛権も、先制攻撃も認めないのが今までの憲法解釈上の日本の慣例だったと思います。
憲法改正論議でも、集団的自衛権の行使などを認めない旨を盛り込むべきだとの議論がありあます。
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自衛権、集団的自衛権は国連憲章51条に規定されている。


参考
国連憲章第51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響を及ぼすものではない。
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もともと自然にできた言葉でしょう。

現在では集団的自衛権と個別的自衛権が国連憲章で認められているので、これに該当するのが自衛でしょう。

日本の法体系上では、定義していませんね。
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 古典的な国際法の慣習としては、自国の領域内ならば自衛戦争、他国の領域内ならば侵略戦争という区分けがありますが、国連平和維持活動など、これにあてはまらないものも現代では多くなっています。

イラク戦争のような先制・制裁的戦争を「制裁戦争」として両者の中間に置く場合もあります。
 自衛戦争が国際的にみとめられる根拠は、基本的人権(天賦の人権)のなかに、「人間が他から害されずに命を全うする権利」(生存権)が含まれており、これが、人間が集まって国家を形成した場合、社会契約によって一本化され、国家の存在を継続し、侵略から守るための自衛権が生まれる、という発想に立っています。とすると、この場合、自衛権というのは国家の正当防衛的権利と見ることができますので、相手の行動が急迫であり、不正であり、なおかつ戦争以外に侵略を回避する方法が見当たず、反撃の方法が攻撃に対して度を越えていない(先にやられたことを口実にこっちから戦争をしかけることがない)場合、というのが、自衛戦争のもっともきびしい定義になると思います。
 もっとも寛容な解釈としては、制裁戦争まで含むというものもありますが、先制攻撃を認めるか否かが、自衛戦争か非自衛戦争かの分かれ道ではないか、とする議論も多いようです。
 政府の見解としては、自衛であることの定義(条件)が、専守防衛、自衛隊費対GNP1%以内の原則、非核三原則、武器輸出三原則などを守ること、ということであるようです(文民統制も含めていいかな?)。
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定義が無いからこそ、現代日本人にとっての『自衛』の定義を憲法に盛り込むべきだと思います


さもなければ、憲法を改正しなくても、国家の自然権として自衛権は厳然と存在しますから、必要に応じて勝手に解釈されるだけです
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日本国憲法に自衛権の明記がないことが、奇妙な平和主義を生み出した原因となっています。



次の憲法改正では、自衛権がかなり重要なウェートを持っていますのでご心配なく。

個別的自衛権と集団的自衛権をどうするのか?
自民党案では

>政府が「保有するが行使できない」としてきた集団的自衛権の行使を容認するものの、「自衛」に含まれる概念として憲法には書き込まない。

となっています。
野党と妥協できる内容だと思います。
民主党は逆に書けといいそうですが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050707-00000 …

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B% …
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