No.3ベストアンサー
- 回答日時:
martinbuho 氏が述べておられますが、16世紀には、スペインはフェリーペ二世の治下のもと、西欧最強の国家であり、世界貿易のイニシャティヴを握っていました。フェリーペの父は、神聖ローマ帝国皇帝兼スペイン王のカルロス一世(カール五世)で、ハプスブルク家の権力を一身に握っていたとも言えます。また、王弟ドン・フアン・デ・アウストリアは、レパント海戦で、オットーマン・トルコを打破し、西欧は遂に宿敵イスラムの優位に立ちました。しかし、そのスペイン帝国も、イングランドのエリザベスの擡頭で、世界貿易における覇権を奪われて行き、フェリーペは、アマルダ(無敵艦隊)を送り、イングランド制圧を意図しますが、アマルダは、壊滅的敗北を迎え、フェリーペの存命中にスペイン帝国の榮光は、翳って行きます。
他方、当時、フランスはどういう状態にあったかというと、新教と旧教の内乱状態が続き、虐殺事件や暗殺事件が勃発し、ルワールに古風な文化を築いたヴァロワ朝は衰退し、ブルボン家のアンリが王位に就きます。16世紀当時には、まだ文化の新しい発信の地は、イタリアにあり、フランスはイタリアの薫陶を受け、文化国家への道を進み始めます。ルイ13世、ルイ14世の時代になると、イギリスでは、ピューリタン革命が起こり、立憲君主制への道を進み始めますが、フランスでは、宮廷を中心に華麗なフランス文化が芽生え、貴族のサロンを中心にフランスの「文人文化」とも呼べるものが成立します。この時代を批判して、フランスは、家のなかは煌々とした明かりに燿いているが、家の外に出ると真っ暗闇だという批判があります。しかし、このような状態がまた次の時代のフランスの文化を生むのです。
ルイ15世そしてルイ16世の時代になると、優雅で洗練された宮廷文化が生まれると同時に、ユマニストや啓蒙主義者の活動が顕著になり、フランスは、西欧最先端の文化国家であることを自認し始めます。啓蒙主義は、プロイセンやロシアの啓蒙君主が自負し、またドイツでは、カントなどが啓蒙主義を唱えましたが、ロシアなどの後進国は、フランス文化を典とし、フランス語の教養が、宮廷文化で必須とも考えられるようになっていました。
しかし、フランスにとって、啓蒙君主とは、遅れた国の独裁者が自称している野蛮人の独りよがり、ドイツの啓蒙主義や哲学は、カントの次の世代では、ヘーゲルなどが、自己の歴史哲学は、西欧最高のものであり、西欧は世界最高の文明であるので、わたしヘーゲルの哲学こそ、世界最先端の思想だなどという自負を表明しますが、フランスにとって、ドイツの思想家などは、じゃがいもを喰っている田舎者の模倣で、イギリスは海賊の国で、イタリアは、かつては高い文化国であるが、いまや、国内動乱のなかで、時代遅れとなった、過去の栄光の国であり、そしてスペインは、カトリックの国として、中世的アナクロニズムに未だに浸っており、またピレネー以北の国々とは何か異質な風習を持つ、奇妙な後進国と映じたのです。
ナポレオンは、世界に冠たる進歩思想と文化国家フランスの伝統を継承する支配者として登場し、彼自身、決して単なる軍人ではなく、文化的素養を持ち、フランス文化に対する高い誇りと自覚を持った、政治家・軍人・文化人でもあったのです。エジプト遠征において、ナポレオンは、軍隊を派遣すると同時に、学者の一団も引き連れ、「エジプト学士院」を設立し、古代の大文化国エジプトを研究しようとします。みずからも、学士院の一員として名を連ねます(数学・測量担当)。ナポレオンはフランス文化に誇りを持つ文化人でもあった訳で、それは彼が純粋のフランス人ではなく、コルシカ出身であったことも理由かも知れませんが、彼という文化的人物なしでは、ナポレオン法典のような近代的事業も成立しなかったでしょう。
ナポレオンは、西欧の文化的向上を一面で望んだとも言え、それは彼にとって、フランス文化の啓蒙とその文化の光の普及を意味し、西欧のフランス化が、文化への向上の道であると考えたのでしょう。このような考えはフランス知識人に共通のものであり、西欧の文化は、フランスにその輝きの源があるということです。肥沃な農業国となっていたフランスにとって、スペインの風土は、異質なものと感じられたということもありますが、当時のスペインの文化・習慣は、他の西欧の地域と比較しても、異様というか、エキゾティックで、理解し難い処があり、ドイツやイギリス、イタリアなどと比べても、西欧文化の域内の国の風習とは何か考えられないものがあったというのもあるでしょう。フランスはナポレオンの前の時代にスペイン継承戦争で、スペインをフランス文化に同化させようとしましたが、うまく行かなかったという経験もあるでしょう。
ナポレオンが、スペイン征服の軍を進めるに当たって、ピレネーを超えればヨーロッパではないと言ったのは、このような歴史的・風習的・文化的経緯があったのだと言えます。ナポレオンの侵攻をスペインの画家、ゴヤが描いていますが、ゴヤはまた、スペインの民衆の文化や風習の絵も残していますが、これらの絵を見てみると、何か、他の西欧領域の文化風習と異質な異様な感じが確かにあります。それはイスラム文化の影響のもとで形成されたので、独特なのか、ピレネーを隔てて、独自な文化が形成されたのか分かりませんが、ナポレオン征服事業の時点でのスペインが、西欧の辺境、あるいは、別世界との境界領域の文化のような感じであったのは事実だと思います。
ありがとうございます!
詳しく説明をいただいて本当に助かりました。
文化的・軍事的にも
ナポレオンという一人の人物の背景を通して
見てみると色んな味方ができて興味深いです。
No.4
- 回答日時:
うがった考えで
「ヨーロッパじゃないから、征服できなかったとしても恥じることはない」と言い訳をする、というのは・・?
伊能地図に北海道が描かれていないのに「日本地図」というのは、「エゾは日本じゃない」から。
No.2
- 回答日時:
スペインはヨーロッパの南西端に広がるヨーロッパの国です。
(EU加盟国)イギリスが17世紀になって軍事的に優勢になるまでスペインはヨーロッパの中心的存在でした。ナポレオンは1808年にスペインを侵略しましたが1813年に撃退されています。この間にスペインの植民地だった中南米諸国が独立戦争を始めています。ナポレオンのこの有名なセリフは軍人としての単純な印象を述べたのではないでしょうか。ピレネー山脈(フランスとスペインの間に長さ400キロ余り、高さ3,000メートルで天然の要害となっている)を超えるとスペイン中央部はメセータ(台地)と呼ばれる乾いた荒地が広がるのでナポレオンはピレネーの北側の自国や他の欧州諸国と比較して、ここはヨーロッパではないとの印象を持ったに違いありません。ヨーロッパ中央部はスペインに比較すれば肥沃な農園の広がる理想郷でしょう。スペイン文化はイスラムの影響を強く受けていますが、イスラム支配はナポレン侵略の300年前に終了し、南部のアンダルシア地方にその影響が強く残っています。ナポレオンが文化的な比較をしてスペインはヨーロッパではないと云ったのではないと考えます。
ありがとうございます!!
世界史に疎い私ですが
分かりやすく勉強になりました^^。
ヨーロッパは陸続きといっても
それぞれ侵略戦争などの果てに
個々独特の文化が出来上がってるですね。
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