福音派でありながら科学者という方は
世にたくさん折られると思います。
例えば物理学などの学術論文を書いたりするとき、
質量保存則などを使った公式は
常識的に使われると思うのですが、
そうした一方で、五千人のパンと魚の記事などの
聖書中の記事も事実とする主張するとき、
自分の中で両者の自己矛盾をどのように処理しているのでしょうか?
それとも何か矛盾をきたさない説明付けがあるのでしょうか?
あるいは学位は学位、信仰は信仰、
それはそれでといった感じで使い分けているのでしょうか?
(※なおこの質問は質問文のとおり、
福音派で科学者の方の自己のあり方を聞いているのであって、
聖書中の記事と科学の矛盾をあげつらう様な内容ではありません。
行き場のない問答にならないことをお願いします)
No.1
- 回答日時:
福音派の中でも特に極端な右派の原理主義的な思想を持つ人たちの間では、聖書を文字通り一字一句その通りに受け取ります。
まず最初に結論があるので、理屈は後からでもいかようにつけることができます。科学者であれば尚更です。例えにあげられている「質量保存則」については空気中の分子や原子を取り込んで創造されたとか、別の場所からテレポートさせたと考えれば別段法則に矛盾をしている訳でもありませんし。
科学的な公式や構造などの根本部分はシンプルでそして物事を端的に表現できるものが多く、それ故にそこに神の存在を感じてしまう科学者も大勢います。代表的な例ではかのアインシュタインとかもそうです。実はミクロの世界ではマクロの世界と異なり、事象は確率論的であるという量子力学の概念は、「神様はサイコロ遊びをしない」と最後まで受け入れられることありませんでした。
ちなみに福音派原理主義的科学の最大の科学的関心毎は「質量保存の法則」などではなく「進化論」です。実際にアメリカの南部の学校では、歴史教科書から「進化論」の部分が削られたり、生物の教科書からは進化論と創造論と並立して教えることになっている所もあります。結論が先にある人たちにとってはどう科学的にみても進化論は間違いだらけということです。
ご回答ありがとうございました。
>まず最初に結論があるので、
理屈は後からでもいかようにつけることができます。
科学を聖書に「おっつける」形で、
解決していると理解していいでしょうか。
>アインシュタイン
アインシュタインに「神様はサイコロ遊びをしない」と言わせたものに興味があります。
その言説もまた、科学を聖書におっつけようとしたものでしょうか。
>音派原理主義的科学の最大の科学的関心毎は(略)「進化論」です。
「質量保存則」はあくまで例の一つとして出しましたが、
仰るとおり「進化論」の例を出したほうがよかったですね。
ただ、論(学説)よりも法則を例に出したほうが明確化と思ったので。
No.2
- 回答日時:
私はキリスト教徒ではありますが信仰と科学は基本的に切り離して考えてます。
そして、以下のような解釈も成り立ちえるとも考えます。神はこの世界の決まりを「法則」という形で提示していますが、神のみは法則の枠外にあるのでどのような奇跡も起こしえるのです。
神がいつどのように奇跡を起こすのかは神のみぞ知るということになります。
ご回答ありがとうございました。
>私は(略)信仰と科学は基本的に切り離して考えてます。
これは私が質問文で例に出した、
「学問は学問、信仰は信仰」と分けていると考えていいのでしょうか。
>神のみは法則の枠外にあるのでどのような奇跡も起こしえるのです。
「神のみは法則の枠外にある」というのは、一つの立派な法則だと思うのですが、
法則は法則で、神のみは神として別の考えると理解していいですね。
No.3
- 回答日時:
2199です。
回答を拝見しましたので補足します。
「法則」を無視しえるとしたらそれは神のみだと思います。
「法則」を無視できることが「奇跡」だと思います。
「信仰」のありかたの一つして「奇跡」を信じることがあると思います。
学問によって到達できるのは「法則」の発見までであり、法則の向こう側を推し量ることは出来ても知ることは出来ないと思います。
ご回答ありがとうございます。
>「法則」を無視しえるとしたらそれは神のみだと思います。
そうですね。神様が法則を創造されたのなら、
法則を無視することも、ちゃらにすることもできると思います。
私が聞きたかったのは、神様がではなく、
科学者が、科学者として法則を無視するとき、
たとえば学会で、現代の化学の常識を前提に
持論を公的な形で世に発表するその一方で、
水がぶどう酒に変わるということを、
そういう現象が実際起こりましたということを認めるその両面性を、
自己の中でどのように説明付けているのかを知りたかったのです。
No.4
- 回答日時:
聖書中の記述(奇跡)が現在の科学と相容れないように見えるとき、「聖書は非科学的である」ととらえるか、「現時点での人間のもつ科学的知識では説明できない」ととらえるか・・・
実際「生命の起源」「宇宙の起源」等を科学的手法 (実際に起きている事柄を観察する;その観察に基づいて,真理とみなされる理論を立てる;その理論をいっそうの観察と実験によって試験する;その理論に基づく予告がそのとおりになるかどうかを見守る) で証明することができない以上、必ずしも信仰と科学を切り離す必要は生じないように思われます。
「生命」も「宇宙」も天文学的数字にも上る偶然の所産とされている訳ですから、それはいわば多くの科学者の述べる「奇跡」ということになります。
こうした壮大な奇跡は起きたが、聖書の奇跡は起きるはずがないというのはいかにも矛盾しているかに思えます。
信仰を持つ多くの科学者は謙遜に自分たちの知識のなさを認めているのではないでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
>聖書は非科学的である」ととらえるか、
「現時点での人間のもつ科学的知識では説明できない」ととらえるか・・・
はい。その可能性はあります。
つまり現代の科学知識がまだまだ浅はかだという可能性ですね。
この世にはもしかしたらパンの元素が爆発的に増殖する
未発見の化学式があるのかもしれません。
私はそれを否定しません。
ですが、ここでひとつ確かなことは、
大半の科学者が科学を業(なりわい)とするとき、
「パンは増殖しない」ということを前提にしていることです。
たとえば何度も言いますが、
質量保存則などは現代科学の根幹をなす部分で、
世の多くの科学者はそれを前提として、
さまざまな新学説を世に送り出しているのがほとんどだと思います。
>実際「生命の起源」「宇宙の起源」等を科学的手法 で証明することができない以上、
必ずしも信仰と科学を切り離す必要は生じないように思われます。
古典的に言えば、科学は何一つ証明できないと思います。
百万回の実験を試みて百万回同じ結果が得られたとしても、
百万と1回目の実験でまったく違う結果が出ることもあるからです。
(誤差ということではありません)
ですが、少なくとも科学者が何某かの化学式を持ち出すとき、
それがたとえどんな些細な化学式であったとしても、
質量保存則を前提とした式なら、
百万と1回目の実験も同じになるということを、
いわば暗黙の了解としていると思います。
でないと公式どころか、科学そのものが成り立たないからです。
こうしたことはやはり信仰者と科学者という、
相容れないスタンスを持たなければできないように思われるのですが。
>「生命」も「宇宙」も天文学的数字にも上る偶然の所産とされている訳ですから、
それはいわば多くの科学者の述べる「奇跡」ということになります。
起こる可能性はあるが、めったに起こらない事が起こったとき、
それは奇跡的なことではありますが、
聖書の奇跡とは根本的に違うと思います。
少なくとも現代の理論でにおける宇宙の生成は、
天文学的数のサーフェイスを持つサイコロを振ったら、
なんとまあ1が出たとしているのに対して、
聖書は神様がそうしようとして1を出したとするからです。
福音派で科学者という方は、
この二つをどちらも主張する立場だと思うのです。
No.5
- 回答日時:
「福音派」は、特定の宗派を指す物ではありませんから、その人その人が、どのように信じるかが重要です。
(福音派の中心となっているバプテストも、南部バプテストは、福音派的傾向がつよいのですが、北部バプテストは、南部ほど強くありません)
「質量保存の法則」あたりであれば、「神の意志とか、神の奇跡」などの介在で片付けられるレベルの話ですから、「進化論」ほど悩む必要は無いと思います。
ご回答ありがとうございます。
>「福音派」は、特定の宗派を指す物ではありませんから、
はい、「福音派」という言葉は、いかにも範疇が広すぎました。
nacamさんもご存知のとおり、この場合の福音派は、
#1さんが言われるような、
聖書の記事を一字一句、歴史的事実として扱う教派のことです。
>「質量保存の法則」あたりであれば、
「神の意志とか、神の奇跡」などの介在で片付けられるレベルの話ですから
そこは理解できますし、そうした矛盾を批判する質問ではありません。
むしろそうした信仰には頭が下がります。
しかし一方で、たとえば論文などで
化学式には「神の意志とか、神の奇跡などの介在」がありうるが、
という信仰と同じ前提に立つものも見ません。
まっとうな学界では科学者は口が裂けてもそれが言えないと思います。
それを認めたら、まず真っ先に白紙にしなければいけないのは、
質量保存則を前提とした自分自身の論文だからです。
そこで、福音派で科学者は一種のTPOのように、
器用に使い分けができるものなのでしょうか。
No.6
- 回答日時:
2199です。
私は端くれとはいえ科学者です。「本当に」水がぶどう酒に変わったのならばそれを認めます。「法則」を知るものならば真に法則が破られて「奇跡」が起こった場合はそれを認めることが出来ると思います。
2199さんは、キリスト教徒の科学者なのですね。
回答をお寄せいただいてありがとうございます。
>「本当に」水がぶどう酒に変わったのならばそれを認めます。
目の前で変わったなら私も認めます。
もちろん不信心にも、夢や幻覚かもしれない、トリックかもしれないと疑い、
ありとあらゆる実験を試みるかもしれませんが、
少なくともぶどう酒であるという可能性をなしにはしません。
それが科学者としてはとるべき態度だと思います。
そして、2199さんが(もし福音派の)キリスト教徒なら、たとえその現場に立ち会わなくとも、
水がぶどう酒に変わることを今、この時点ですでに認めていなければなりません。
なぜなら、聖書は『「本当に」水がぶどう酒に変わっった』と言っているからです。
のみならずイエスは「見ずに信じる者になりなさい」と教えているからです。
その一方で、2199さんが現代の科学に身をおいている方なら、
「水がぶどう酒に変わることはない」と言わなければならないと思います。
なぜなら、現代科学は質量保存則を大前提にしている営みだからです。
私はそうした両面性の統一はとても器用だと思います。
たとえば、2199さんはご自身の学術論文の中で、
質量保存則を用いた式(シュレディンガーでも何でもいいです)を頻繁に用いると思います。
No.7
- 回答日時:
5番です。
私自身は、キリスト教徒ではありませんので、聖書の解釈、福音派の考えの詳細を理解しているわけではありません。
そもそも「コチコチの福音派」でしたら、科学者ではなく、聖職者がそれに類する人になろうとするでしょう。
>聖書は『「本当に」水がぶどう酒に変わっった』と言っているからです。
のみならずイエスは「見ずに信じる者になりなさい」と教えているからです
これを、「神の力」とするのであれば、了解できるのではないでしょうか。
通常は、絶対にありえない事が、神の奇跡として起こる。
「神の奇跡を信じなさい」とこの場合、理解しているとすれば、全く問題ないわけです。
>化学式には「神の意志とか、神の奇跡などの介在」がありうるが、
という信仰と同じ前提に立つものも見ません。
これは、「通常ありえない(有ればそれこそ奇跡)ので、記載する必要が無いと考えれば、あえて言う必要が無い」と考えれば、通用するのではないでしょうか。
つまり、「神の奇跡が起こらない限り、そんな事は有り得ない」と考えているのではないでしょうか。
逆に、常に変わるのであれば、それは奇跡でも神の介在でもなくなってしまうわけです。
もっと言うと、この世に物質ができた事、原子の結合から生命が生まれた事、物質が規定の反応を起こすようになった事こそ、神の奇跡、神の介在と考えているかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
>そもそも「コチコチの福音派」でしたら、
科学者ではなく、聖職者がそれに類する人になろうとするでしょう。
コチコチの福音派で聖職者が神の奇跡を説くのは、私には何の疑問もありません。
神の奇跡を信じるのが聖職者の業(なりわい)だからです。
一方で、コチコチの福音派で科学者という方も案外多くいると思います。
福音派に限らず、宗教がその宗教施設の次に建設するのは決まって学校と病院だからです。
>通常は、絶対にありえない事が、神の奇跡として起こる。
「神の奇跡を信じなさい」とこの場合、理解しているとすれば、全く問題ないわけです。
仰るように、この回答がなんとなく私にもしっくりきます。
科学は科学、神の奇跡は神の奇跡(学校は学校、教会は教会)という具合に、
時と場所で分けて考えるというのは、とても人間らしいふるまい方だと思います。
つまり「いいかげんな福音派の科学者」なら私もすごく理解できるのです。
しかし時にこの科学と福音派の境界線が不明瞭になることがあります。
以前、世界の全ては大洪水に没したということを証明するために
試験管を使ったささやかな実験を発表した記事を読んだことがありました。
もちろん真っ当な出版物ではありませんし、現代の地質学者は一笑にふすでしょう。
しかし、福音派の地質学者はこの記事を一笑にふせるでしょうか?
科学者として世界の全てが没してしまうほどの洪水は起こりえないとしているひとりの人間が
つい最近まで世界は水の中にあったということを
同時に併せ持つことができるものだろうかと疑問でした。
>この世に物質ができた事、原子の結合から生命が生まれた事、
物質が規定の反応を起こすようになった事こそ、
神の奇跡、神の介在と考えているかもしれません。
私はまさしくそこに科学と神の奇跡の混同があるように思います。
聖書は原子の結合から生命が生まれたことを否定しています。
聖書によれば、世界と生命は神の言葉とわざによって「突如」生まれたのであって、
聖書の記者は原始やたんぱく質の結合などについてはおそらく無知だからです。
No.8
- 回答日時:
2199です。
「奇跡」と「法則」を厳正に峻別しかつ認識できる方法が「科学」であると思います。
使い分けとかTPOとかそういうレベルの話ではありません。
ご回答ありがとうございました。
>「奇跡」と「法則」を厳正に峻別しかつ認識できる方法が「科学」であると思います。
「科学」や「法則」から零れ落ちる不可思議な現象を、
人間はひとまず「奇跡」と呼ぶと思います。
しかし、「科学」はそうした不可思議な現象を「奇跡」とは呼びません。
科学者は、研究の場では「奇跡です」とも「非科学的」とも口にしないからです。
そうした場合、科学者として口にするべきは、
「分からない」「説明できない」と云うのが妥当だと思います。
つまり、科学者は、少なくとも科学の場では、「法則」は認識しても、
「奇跡」を「法則」と峻別して認識はしないと思います。
福音的信仰者の科学者は、しかも科学の場で、
「これは法則で、これは奇跡です」と口にするでしょうか。
一方で、単に福音的信仰者は、いついかなるときでも、
不可思議な現象を「法則」とは別の「奇跡です」と容易に口にできます。
No.9
- 回答日時:
聖書は沢山比喩によりかかれていますよね。
イエスが言ったとされる例え話にしろ。
5千人分のパンと魚。
これは自分の分を他の人に分けて一緒に空腹を満たすって意味。
例えば月100万稼ぐ人もいれば0の人もいる。
100万稼ぐ人は所得税を取られ、そのお金は所得が無い人を養う社会。
人間は高度な表現というか、そういうのを使う人がいます。
例えば「広場」と「公園」似ていますが、別々に使います。
学級新聞を発行するにあたり「みんなの広場」とするが「みんなの公園」とは書かない。
例えば、牛乳をこぼしたとき、おかあさんが「こぼしてくれてありがとう」といった場合、おかあさんが喜んだとは思わない。
この比喩というか遠まわしな表現を理解する能力があまり発達しないと、おかあさんをまたよろこばせようと、牛乳をこぼしてしまう。
この子が聖書を読むと、高度な表現が理解できないので、「イエスはマジシャンだから手品のように5千人分の食料をポイと取り出すことができた。 神様だからできたんだ。 神様についての物語で全部実際にその言葉とおりの奇跡を起こしたんだ」となってしまうわけです。
福音派が国語の能力が低い人たちばかりが集まるのかを調べるのが科学者だと思います。
ご回答ありがとうございました。
>聖書は沢山比喩によりかかれていますよね。
イエスが言ったとされる例え話にしろ。
もし聖書のさまざまな奇跡の記事が、イエスのたとえ話のように、
比喩や象徴として書かれているのなら、説明は一時に解決します。
世界が七日で創られた話も、世界が水に没した話も、
海が割れる話も、天から火が降って街が消え去った話も、
処女受胎も、水とぶどう酒も、5千人のパンと魚も、死人のよみがえりも、
すべて文学的表現からくる比喩で、
そこには別の深い意味が隠されているなら、
聖書の記事と科学の諸法則は一致を見るわけですから。
聖書と同時代の歴史的背景や文学的云いまわしの知識不足から、
こうした象徴表現をありのまま受け取ってしまうことは、
確かに考えられます。
実際そうした、はっきり云って「間違った読み方」は頻繁になされているのだと思います。
たとえ、当時のヘブライ語やアラム語、古代ギリシア語に通じていたとしても、
はるか極東の島国の人間が理解するのは到底不可能なことだと思います。
しかし、一方で私は、kigurumiさんが言うように、問題が簡単だとは思いません。
私は福音派の方々の国語の能力が低いとは決して思いませんし、
仮にあらゆる聖書の象徴表現に通じている方も多いと思います。
では、そういう方は、聖書の記事に対する見方は変わるでしょうか?
私は、変わらないんじゃないかと思います。
5千人のパンと魚の記事が、
「これは自分の分を他の人に分けて
一緒に空腹を満たすって意味」だと知っていたとしても、
「それでも」イエスは5千人分のパンと魚を裂いて見せたと主張すると思います。
それは、福音派の科学者が、「質量保存則」を知っていながら、
「水がワインになった」と主張するのと同じ作用だと思うのですが。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
7番です。
多分、私とr_bocoさんは、それほど異なる事を言っているのではないと思います。
>福音派の地質学者はこの記事を一笑にふせるでしょうか?
一笑にふせるのではないでしょうか。
神の英知は、人間の及ぶところではない。
人間や、自然では起こりえない事ができるのが神であると考えれば。
>聖書は原子の結合から生命が生まれたことを否定しています。
ですから、進化論は否定されるのだと思います。
そこに神の意志の介在が有るとすれば、福音派の科学者も納得するのではないでしょうか。
それを物語っているのが、
>世界と生命は神の言葉とわざによって「突如」生まれた
ではないかと思います。
>福音派の科学者が、「質量保存則」を知っていながら、「水がワインになった」と主張するのと同じ作用だと思うのですが。
この件について、神の意志の介在が有る場合と、介在が無い場合とに分けて考えていれば、彼らの頭の中では、全く矛盾しない事になりはしませんか?
私自身は、科学者でもなく、福音派でもありませんから、想像だけですが。
つまり、福音派の科学者が、質量保存の法則に関して、神の介在が有る場合と、無い場合を、分けて考えているとすれば、彼らの頭の中では、全く矛盾していないと思われます。
それに対し、進化論は、神の介在を否定しますから、かれらにとって、許す事ができない理論だと考えているのだと思います。
ご回答ありがとうございました。
>多分、私とr_bocoさんは、それほど異なる事を言っているのではないと思います。
私がnacamさんの回答から教えてもらったのは、
>私福音派の科学者が、質量保存の法則に関して、
神の介在が有る場合と、無い場合を、分けて考えているとすれば、
彼らの頭の中では、全く矛盾していないと思われます。
ということです。私の場合この表現が、
福音派の科学者が、自分の知識に関して、
福音派に身をおく場合と、科学者に身をおく場合を使い分けているとすれば、
彼らの自己はまったくは分裂しない
という表現になるのかもしれません。
>そこに神の意志の介在が有るとすれば、福音派の科学者も納得するのではないでしょうか。
私はむしろ、福音派の科学者が科学に身をおくとき、
大なり小なり進化論を納得していると思います。
それは、先の試験管の実験もそうですが、
しばしば科学によって聖書の記述事実であることを証明しようとする事件があるからです。
恐竜の化石の下の地層に、人工物をこっそり埋めて、
掘り出してみせるというのは、本当に涙ぐましいほどの信仰だと思うのですが、
その行為自体がすでに恐竜の存在を認めていることになります。
結局、彼が掘り出したのは、信仰という地層の下に埋まった科学知識だったのかもしれません。
福音派は何があっても進化論を認めないと思います。
それは、進化論が聖書の創世記と、お話にならないほどあまりに違いすぎているからです。
こうした場合、福音派の科学者(この場合は生物学者でしょうか)は、
結局、福音派に身をおくとき、科学に身をおくとき、
二つをうまく乗り分けていることになるのでしょうね。
もちろん私こそ想像だけになりますが。
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