福音派でありながら科学者という方は
世にたくさん折られると思います。
例えば物理学などの学術論文を書いたりするとき、
質量保存則などを使った公式は
常識的に使われると思うのですが、
そうした一方で、五千人のパンと魚の記事などの
聖書中の記事も事実とする主張するとき、
自分の中で両者の自己矛盾をどのように処理しているのでしょうか?
それとも何か矛盾をきたさない説明付けがあるのでしょうか?
あるいは学位は学位、信仰は信仰、
それはそれでといった感じで使い分けているのでしょうか?
(※なおこの質問は質問文のとおり、
福音派で科学者の方の自己のあり方を聞いているのであって、
聖書中の記事と科学の矛盾をあげつらう様な内容ではありません。
行き場のない問答にならないことをお願いします)
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
7番です。
多分、私とr_bocoさんは、それほど異なる事を言っているのではないと思います。
>福音派の地質学者はこの記事を一笑にふせるでしょうか?
一笑にふせるのではないでしょうか。
神の英知は、人間の及ぶところではない。
人間や、自然では起こりえない事ができるのが神であると考えれば。
>聖書は原子の結合から生命が生まれたことを否定しています。
ですから、進化論は否定されるのだと思います。
そこに神の意志の介在が有るとすれば、福音派の科学者も納得するのではないでしょうか。
それを物語っているのが、
>世界と生命は神の言葉とわざによって「突如」生まれた
ではないかと思います。
>福音派の科学者が、「質量保存則」を知っていながら、「水がワインになった」と主張するのと同じ作用だと思うのですが。
この件について、神の意志の介在が有る場合と、介在が無い場合とに分けて考えていれば、彼らの頭の中では、全く矛盾しない事になりはしませんか?
私自身は、科学者でもなく、福音派でもありませんから、想像だけですが。
つまり、福音派の科学者が、質量保存の法則に関して、神の介在が有る場合と、無い場合を、分けて考えているとすれば、彼らの頭の中では、全く矛盾していないと思われます。
それに対し、進化論は、神の介在を否定しますから、かれらにとって、許す事ができない理論だと考えているのだと思います。
ご回答ありがとうございました。
>多分、私とr_bocoさんは、それほど異なる事を言っているのではないと思います。
私がnacamさんの回答から教えてもらったのは、
>私福音派の科学者が、質量保存の法則に関して、
神の介在が有る場合と、無い場合を、分けて考えているとすれば、
彼らの頭の中では、全く矛盾していないと思われます。
ということです。私の場合この表現が、
福音派の科学者が、自分の知識に関して、
福音派に身をおく場合と、科学者に身をおく場合を使い分けているとすれば、
彼らの自己はまったくは分裂しない
という表現になるのかもしれません。
>そこに神の意志の介在が有るとすれば、福音派の科学者も納得するのではないでしょうか。
私はむしろ、福音派の科学者が科学に身をおくとき、
大なり小なり進化論を納得していると思います。
それは、先の試験管の実験もそうですが、
しばしば科学によって聖書の記述事実であることを証明しようとする事件があるからです。
恐竜の化石の下の地層に、人工物をこっそり埋めて、
掘り出してみせるというのは、本当に涙ぐましいほどの信仰だと思うのですが、
その行為自体がすでに恐竜の存在を認めていることになります。
結局、彼が掘り出したのは、信仰という地層の下に埋まった科学知識だったのかもしれません。
福音派は何があっても進化論を認めないと思います。
それは、進化論が聖書の創世記と、お話にならないほどあまりに違いすぎているからです。
こうした場合、福音派の科学者(この場合は生物学者でしょうか)は、
結局、福音派に身をおくとき、科学に身をおくとき、
二つをうまく乗り分けていることになるのでしょうね。
もちろん私こそ想像だけになりますが。
No.17
- 回答日時:
失礼な書き方があったかもしれませんが、とても丁寧なお礼を書いていただいてありがとうございます。
ようやく、質問された方が意図する「コチコチの福音派」という語の意味がわかってきました。僕自身、聖書に書いてある奇跡を信じているのですが、個人的には、いわゆる科学知識と、神学的な理解は、相補的ではないかと考えています。ところで、コリンズ博士も、C. S. ルイス博士も、(前者は研修医当時の大学の牧師を通して、後者は同僚で「指輪物語」作者の J. R. R トールキンなどを通して)成人してから聖書の内容を検討し、その後、信仰をもったという経緯が自分にとって興味深いです。このような学者のエッセイやインタビューは、英語であれば検索すれば他にも見つかりそうです、
例、http://www.origins.org/articles/schaefer_wayofdi …。
また、信仰を否定する立場としては、例えば、無神論者であるバートランド・ラッセル博士やスティーブン・ワインバーグ博士の意見などを読んでみたのですが、後者はアインシュタインの考えにも触れており、質問された方も興味をお持ちになるかと思いました。
http://www.positiveatheism.org/hist/russell0.htm
http://www.meta-library.net/transcript/wein-body …
はじめの質問内容から外れてしまったかもしれないのですが、賛否いずれの立場にせよ、聖書について深く考えた学者の意見が紹介される機会が日本では特に少ないように感じたので、すでにご存知であったかもしれませんが、再度投稿することにしました。以下のような本にも興味をお持ちになるかと思いました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061326 …
ところで宣教っぽく聞こえるので言いづらいのですが、敢えて言わせていただくと、こういった質問はやはり、教会で神父や牧師、あるいは信者である科学者に、また、できれば多くの信者に直接聞いていただきたい気がします。なんといっても、研究ではたくさんデータがある方がよいので。
ご回答ありがとうございました。
ご紹介いただいたサイトはゆっくりと読ませていただきます。
>こういった質問はやはり、教会で神父や牧師、あるいは信者である科学者に、
また、できれば多くの信者に直接聞いていただきたい気がします。
確かにそう言う機会がありました。
しかし残念ながら、納得のいく答えというのは、
あまりえられなかったように思います。
(「アメリカではね、進化論はもう否定されてるんです。」というような)
科学者の方は創造論についてさすがに明言は避けましたが、
「神にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」ので、
創造論は必ずしも間違いではないと言うようなことを示唆されました。
(それでも進化論とは似ても似つかないわけですが)
「では創造は七日ではなく七千日のことなのか」と問うてみたくもなったのですが、
あいにく雰囲気が悪くなりそうでしたので止めました。
思うに、この「一日は千年」理論は、
恐竜の地層の下から、人工物の遺跡を取り出してくる反応と
案外どこかで通じているのではないかと思いました。
すなわち、信仰と科学的データには埋めがたい径庭があることを、
他ならぬ福音派の科学者自身が一番よく理解していて、
(コリンズ博士によれば埋める必要のない)その矛盾を埋めようとして醜い形で表出するのが、
こうした作用なのではないかと思います。
本人自身も気づかないこうした作用力を何と呼べばいいのか分かりません。
しかし確かにこれは福音派の科学者に働く何某かの作用力です。
>いわゆる科学知識と、神学的な理解は、相補的ではないかと考えています。
そこで、引用が前後しますが、科学と神学というより信仰の相補性の話になります。
別の宗教家の方はこうもおしゃっていました。
「科学はどんどん発達していいです。
発達すればするほど、聖書の確かさが証明されます」
私はこの説教には首をひねらざるを得ません。
科学によって証明されたのは、聖書の不確かさのほうが圧倒的だからです。
私がもし福音派の宗教家なら、科学の発達を、
苦虫を噛み潰す思いで見ると思います。
そこで、先のお礼の繰り返しになるかもしれませんが、私はこの質問において、
結局、信仰と科学は共存ということが、調和のとれた形ではないかと思いました。
No.16
- 回答日時:
要するにダブルスタンダードなのですね。
仕事(科学者)のときと、仕事(福音派)のときでは、とる規範(standard)が違うという回答と理解してよろしいでしょうか。
そうです。私の仕事でも人を切らなければいけないという仕事もあり、それをするなら信仰と相反する
このような悩みはありますね
ご回答ありがとうござしました。
>そうです。
分かりました。
>私の仕事でも人を切らなければいけないという仕事もあり、
それをするなら信仰と相反する
このような悩みはありますね
大変重大な責任のあるお立場なのですね。
イエスから信仰を誉められた百人隊長の話を思い出します。
No.15
- 回答日時:
何回も、申し訳有りません。
私は、福音派の科学者が、「ダブルスタンダード」だとか、「あいまい」とか「科学がそこまで発展していない」とは、思っているとは思えません。
かれらも、「水がワインになる事はない」と完全に理解していると思います。
当然、死んだ人が生き返らない事も。
それがあたりまえだからです。
しかし、そこに、「全能なる神」の意志が加わったらどうでしょうか?
「神のちからにより、水がワインになった」「神の力で死者が生き返った」とするならば、福音派の考えと、科学が一体化していても、自然現象として、十分受け入れられるのではないでしょうか。
自分から、「ダブルスタンダード」との認識を持っていたら、福音派などに、とっくに見切りをつけているでしょう。
福音派にとって、「質量保存の法則」は、受け入れるのに全く問題を感じない理論ですが、「進化論」は、絶対に受け入れられない理論でしょう。
ご回答ありがとうございました。
>福音派の科学者が、「ダブルスタンダード」だとか、
「あいまい」とか「科学がそこまで発展していない」とは、
思っているとは思えません。
やはり、話し合うというのは大切なことで、
ダブルスタンダードというのは、
#12さんの紹介してくださった、
フランシス・コリンズ博士のスタンダードも合わせて、
少し違って見えてきました。
次元が違うのだと云ってしまったらそれまでですが。
>「神のちからにより、水がワインになった」「神の力で死者が生き返った」とするならば、
福音派の考えと、科学が一体化していても、自然現象として、十分受け入れられるのではないでしょうか。
私のきわめて個人的な意見ですが、
福音派が進化論を絶対受け入れないように、
科学もまた神の力を埒外に置くと思います。
乱雑な云いまわしをすれば、
「あずかり知らない」ということになるのかもしれません。
少なくとも、福音派の考えと科学が、
一体化することはないと思います。
試験管版、世界の洪水の実験のような
数限りないぶざまな実験を見る限りにおいてはですが。
>福音派にとって、(略)「進化論」は、絶対に受け入れられない理論でしょう。
そうなんでしょうね。神の在不在に決定的にかかわってきますからね。
いつか進化論についても考えてみたいと思います。
そのときはぜひまた、nacamさんのご高察も聞かせてください。
No.14
- 回答日時:
1番で回答したものです。
補足があったので追記しておきます。>科学を聖書に「おっつける」形で、解決していると理解していいでしょうか。
私が思う質問者さんの疑問とは
全く不要な補強工事やシロアリ退治を勧めてお金を騙しとっているような営業マンが感じているはずであろう罪悪感を、この手の科学者たちは感じていないのでしょうか。仕事と割り切っているのでしょうか。
というようなことでしょうかね?
でまぁこの例への回答としては、明らかな詐欺行為をしてしまう裏には
金銭的な事情があったり色々ある訳でしょうということになりますが、
問題の福音派の件で言えばこれはそうではなく、別段それは詐欺行為ではないという認識なだけです。
例えて言うならば普通の製品を扱っている営業マンと同じ。メリットを多少誇張しつつ他社製品よりも良いものですよと言う程度のことでこれは極一般的に行われていることです。
つまり指摘されているようなパンや魚の記述は科学的に全く有り得ない(=100%詐欺の営業)という大前提がまず大きく違うと思うわけで。
聖書を字義通りに解釈しても現代科学で十分に理解できると本当にそう思っており、もちろん解説/証明できない出来事も部分的にはあるかもしれないが、それは単にまだ科学技術がそこまで発達していないだけのこと。でこういった思考は別段特殊なものでも無いですよね。
彼らにしてみれば進化論も創造論もどっこいどっこい、というか同じ程度は信頼性があると本当に信じ込んでいる(実際のところ進化論にしてもまだまだアナだらけな学説です)わけで、自己矛盾はそもそも発生しません。
>アインシュタインに「神様はサイコロ遊びをしない」と言わせたものに興味があります。
アインシュタインの場合は信仰心が特に強かったということではなく、
ニュートン力学的な神観からの反発だったと思います。
この世のあらゆる事象は物理の公式にて表現できるというような考えは
ニュートン物理学時代においてはそれが正解で、
極論すれば「ラプラスの悪魔」という超越的存在すらその存在は肯定されます。
これは神に置き換えることも可能ですが、宗教的な意味での神ではなく、
宇宙規模でも通用する絶対的なルールということだと思います。
公式では丁半博打のようにしか表現できない事象はあってはならないことであり、
単にまだ分かってない部分があるから、曖昧な解答をするのは良いけれど
全て分かった上で曖昧な解答が大正解となるのが許せなかったということでしょう。
まぁアインシュタインにとっては物理の教科書が聖書だったということです。
ご回答ありがとうございました。
>私が思う質問者さんの疑問とは全く不要な補強工事やシロアリ退治を勧めて(後略)
罪悪感とまでは言い過ぎですが、
少なくとも、月曜日の講壇で、
「あれ?今日の私の言ってる事、昨日言ってた事と違うな」
という自己分裂を起こさないのだろうかという疑問です。
>聖書を字義通りに解釈しても現代科学で十分に理解できると本当にそう思っており、
もちろん解説/証明できない出来事も部分的にはあるかもしれないが、
それは単にまだ科学技術がそこまで発達していないだけのこと。
ところがこうなってくると、私はそのような輩を
詐欺師とレッテルを貼らざるを得ません。
もし本当に聖書を字義通り解釈したらば、現代科学では
「解説/証明できない出来事も部分的にはあるかもしれない」どころではない、
とうてい理解も証明もできないことだらけだからです。
>彼らにしてみれば進化論も創造論もどっこいどっこい
進化論が切れた鎖のように、アナだらけなのは良く知っています。
炭素測定法などが発達はしましたが、基本的には出土した骨を順番に並べてみて、
なんだか形がだんだん変わっているように見えるぞとやっていた時代と、
学者は対して変わらないことで満足しているのかもしれません。
しかし一方で創造論には、科学が受け入れがたいもっと重大なことがあります。
それは「無いから有るを作り出したことです」
実は私が、popesyuもご存知の、福音派と科学の相克の最重要テーマである
「進化論」を避けたのは、こういった理由です。
>アインシュタインの場合は信仰心が特に強かったということではなく、
ニュートン力学的な神観からの反発だったと思います。
不確かですが、アインシュタインは、
「自然法則としての神なら信じる(けれども意志としての神は信じない?)」
というような事を口にしたと思います。
たぶんアインシュタインが「神様はサイコロ遊びをしない」というとき、
あくまで物理学のフィールドでの天才特有の語り口だと思います。
つまりpopesyuさんの、
「まぁアインシュタインにとっては物理の教科書が聖書だったということです。」
という言葉をそのままいただきます。
No.13
- 回答日時:
仕事は仕事、信仰は信仰です
極端な言い方ならダブルスタンダードですね
たとえばサッカー選手にもクリスチャンがいます
敵を愛せよと書いてあるから敵にボールを渡す人はいません
ご回答ありがとうございました。
>仕事は仕事、信仰は信仰です
極端な言い方ならダブルスタンダードですね
サッカーの例えが少し分かりにくかったのですが、
要するにダブルスタンダードなのですね。
仕事(科学者)のときと、仕事(福音派)のときでは、
とる規範(standard)が違うという回答と理解してよろしいでしょうか。
ちなみに「汝等の敵を愛せよ」という言葉は
私は、人類史上、革命的な言葉だと思いますし、
それが可能不可能に関わらず好きな言葉です。
No.12
- 回答日時:
いわゆる「福音派」ではないと思うのですが、米国立衛生研究所ゲノム計画責任者の Francis Collins は以下の英語のインタビュー記事で(最後の段落)彼の奇跡についての理解に触れています。
多分僕のいい加減な訳をつけるべきではないと思うので、リンクだけ掲載します。http://www.pbs.org/wgbh/questionofgod/voices/col …
別のインタビュー記事(ページ6と8で彼の信仰について触れています):
http://www.achievement.org/autodoc/page/col1int-1
Francis Collins の経歴他:
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Collins
ところで、以上のインタビューにでてくる Collins が影響を受けたという C.S. Lewis の “Mere Christianity” という本は(日本語では「キリスト教の精髄」という題で売られているのですが)質問された方も興味をお持ちになるのではないかと思いました。また、すでにご存知かもしれませんが、C.S. Lewis は「ナルニア国ものがたり」の作者で、「科学者」ではないですが、University of Oxford や University of Cambridge で medieval literature を教えた学者だそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/C._S._Lewis
ところで、質問された方がほぼ絶対的な前提としてとられている立場はおおよそ「自然主義」と呼ばれる一つの立場ではないでしょうか。僕も(それが何であるのか詳しくは理解していないものの)内心共感しなくもないのですが、ただ、それ以外の立場をとる人を「科学者」ではない、とはいえないように思います。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%C1%B3%BC%E7 …
ご回答ありがとうございました。
>Francis Collins(博士)
ご紹介いただいた段落のみですが、興味深く読みました。
博士の名前と偉業だけはさすがに耳にしていました。
それはさておき、博士が個人的な信仰について、
しかも自分自身の科学と信仰との関係(共存)について語ったインタビューは
大変面白かったです。
私も博士が福音派かどうかは分かりませんが、
「奇跡は頻繁に起こるようには思えない(後略)」とあるのを見る限りでは、
#7さんの言われたような、いわゆる「コチコチの福音派」ではないように思います。
博士における科学と信仰の共存の仕方というのは、
神様というものが「自然界の外部」に在り、
自然に対して時としてintervene(やはり#7さんの使った「介在」がいいでしょうか)すると、
それは奇跡としか言いようがないということでしょうか。
その上で、博士における科学と信仰の位置関係というのは、
「神は科学を通して自然界を理解する機会を与えるように思う」
という言葉に代表されると思いますが、
これを見ると、私が福音派の科学者に見るような、
その場その場での使い分けとは少し違うように思いました。
>ただ、それ以外の立場をとる人を「科学者」ではない、とはいえないように思います。
誤解を招いたなら遺憾ですが、
私は決して福音派を科学者ではないとは主張していません。
むしろ、福音派で科学者の存在を認めた上で、
福音派であることと、科学者であることの対立項
(博士によれば対立ではないわけですが)を、
どのように処理されているのかを聞きたかったわけです。
誤解を解くために、私の勝手な想像で例をあげますね。
福音派で地質学の先生がいて、
学校では、1万年以上前からの極東アジア地域に見られる
きわめて漸進的な海水面の上昇という歴史を教えたとします。
その先生が、教会では自分の子供に、
つい数千年前まで、世界は水の底に沈んだということを教えたとしたら、
それは前述したコリンズ博士の言う科学と信仰の共存のしかたとは、
いささか違ったものではないかと思うわけです。
>C.S. Lewis の “Mere Christianity” という本
「ナルニア国ものがたり」は知っていました
(私は実はこういうのも大好きです)が、
ご紹介いただいた本は知りませんでしたので、
機会があれば手にしたいと思います。
No.11
- 回答日時:
NO.9です。
科学というより学者の分類に入るかもしれません。
>世界が七日で創られた話も、世界が水に没した話も、
7という数字は完成とか完璧という概念。
水に没したというのは、氷河期の終わりの頃だったか、気候が安定せず、世界各国で大洪水が起こったようです。
地質でそれは確かめられています。
今では日食はどうして起こるのか理解できますが、当時の技術では理解できず、神の業として片づけられていたようです。
同じように大洪水もある程度今では理由がわかりますが、
>海が割れる話も
これはこういう説もあります。
↓
http://ntv.naver.co.jp/go.php?url=http%3A%2F%2Fw …
>天から火が降って街が消え去った話も
これはストーリーとストーリーが混在して伝えられ、まるで不徳の町が神により崩壊させれたという伝説になってしまったようです。
>処女受胎も、
↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
>水とぶどう酒も、
親戚の結婚式ではなくイエスの結婚式の事で喜ばしい席なので、水すらぶどう酒のようになるほど、幸福感に酔いしれたってことじゃないでしょうか。
確か民族と民族の代表者の結婚のことだったと思います。
中世でも、政略結婚により、違う国同士が親戚になって仲良くなっていましたよね?
>死人のよみがえりも、
これはラザロのことだったと思いますが、教会が故意に聖書の中からある一行を削ったために、死んだ人を蘇らせたような内容になってしまったのだそうです。
本当はラザロは捕らえられ棺に閉じ込められていたのだそうです。
それで閉じ込められているところにイエスが駆けつけ、彼を救い出し、「棺から出てきなさい」というのが真実のようです。
だから死者を蘇らせたのではない。
>すべて文学的表現からくる比喩で、
上記の説明は比喩とはちょっと違います。
ドラマ 破線のマリスってありますよね?
編集者がカットしたことで、全く違う内容になってしまったってのがドラマの内容。
その編集者のカットした改造されたものが、真実としてテレビに流れ、人々は「こいつが犯人だ」と思ってしまい、冤罪の人を追い込んでいくという過ちを犯した。
>そこには別の深い意味が隠されているなら、
>聖書の記事と科学の諸法則は一致を見るわけですから。
え? どうしてですか?
>聖書と同時代の歴史的背景や文学的云いまわしの知識不足から、
>こうした象徴表現をありのまま受け取ってしまうことは、
>確かに考えられます。
それは上記に説明したとおりです。
>実際そうした、はっきり云って「間違った読み方」は頻繁になされているのだと思います。
「いとおもしろい」というのは日本の古語で、「興味深い」という意味で、「愉快」という意味ではありませんが、それを知らないと、昔の人はこういうのを愉快だと思っていたんだと<誤解>してしまうわけです。
>たとえ、当時のヘブライ語やアラム語、古代ギリシア語に通じていたとしても、
はるか極東の島国の人間が理解するのは到底不可能なことだと思います。
確かにそうですが、上記のように説明すると、意外と<どうしてイエスは神格化されたのか>がわかってくるように思います。
無知が原因でそうなってしまった。
>一方で私は、kigurumiさんが言うように、問題が簡単だとは思いません。
問題は簡単ではない。
確かに。
どうしてもイエスを神としたい人は、それはその人が望むのであって、現実が違っても、そう望む人はそう信じる。
今までいくら祈っても暗闇は消えてかったのに、<読み誤まっていた>と理解したことで新しいというか元来のイエスの思想と思えるくるかもしれません。
イエスが言った本当の意味は現実可能なものだと考えることの方が、ただの妄想的にイエスは神だ と無理やり信じるより容易だと思います。
神がやってくれるのを指をくわえて待っているしかないと妄想により路頭に迷うしかない。
理解したことで自分達で天の国は作れるという現実的なビジョンが見えて、方向も明確になってくると思います。
>それは、福音派の科学者が、「質量保存則」を知っていながら、
「水がワインになった」と主張するのと同じ作用だと思うのですが。
等価交換。
それで代償として、自分に苦痛を与えるのが流行したようです。
自分が苦しめば苦しむほど、天の国に入る率が増えると信じる宗派も存在するようです。
【人は何かを得るために同等の代価を支払わなければならない】
これは鋼の錬金術師に毎回出てくるセリフです。
その後にこういう言葉が続きます。
「あの頃 ぼくらはそれを真実だと思っていた】
錬金術。
ただの鉄を金に変えるというものですが、本当の意味は、物質的なものではなく、精神を金に変えるという意味なんだそうです。
科学者が宗教者でもあることは割りとあるとは思いますが、キリスト教の教義のようなものではなく、万物の法則のことを言っているのだと思います。
だから直読みはしないと思います。
直読みする程度の能力しかないのなら、科学者にはなれないと思います。
ご回答ありがとうございました。
>え? どうしてですか?
kigurumiさんが一々説明したように
聖書の諸々の奇跡が宗教的象徴表現や歴史的事件による言い回し、
あるいはテキストの改竄や欠落によるものなら、
これらすべての奇跡はすべてがフィクションないしはウソや誤解であって、
聖書の記事にはすべて、歴史学的、文学的に矛盾のない説明が通るということです。
つまり「水がぶどう酒に変化することはない」という科学法則は、
聖書の上でもまかり通ることができるという意味です。
さて、こうしたからくりを聖書の外に資料を求めて聖書を読み解いてゆこうとする試みは、
今日、特にジャーナリズム系ライターの間で非常に盛んのようです。
しかし私はそういった聖書の読み方にはあまり興味ありません。
そうした読み方から生まれるには、実際kigurumiさん自身が仰ってるように、
「どうしてイエスは神格化されたのか」の理解であって、
イエスを神格化する信仰とは、あまり関係がないだろうからです。
私はキリスト教徒がイエスという人間を神格化することについては、
世界の諸宗教が、路傍の石ころやお人形を神格化するのと同様、違和感は感じません。
>理解したことで自分達で天の国は作れるという現実的なビジョン見えて、
方向も明確になってくると思います。
そういう方は立派なのだろうと思いますが、
私などはせいぜい「なんだあ、やっぱり嘘っぱちじゃないか」で終わってしまうと思います。
>科学者が宗教者でもあることは割りとあるとは思いますが、
キリスト教の教義のようなものではなく、万物の法則のことを言っているのだと思います。
だから直読みはしないと思います。
福音派の科学者が、福音派としてふるまうとき、間違いなく聖書を直読みすると思います。
彼らにとって「聖書は誤謬(ごびゅう)なき神の言葉」であり、
世界は七日で創られたというのは、象徴表現でも宗教的言い回しでもないというのが、
福音派の基本的モットーだからです。
>直読みする程度の能力しかないのなら、科学者にはなれないと思います。
むしろ私が疑問なのは逆で、「直読みしない能力」があり、
「直読みしない」ことを知っているにもかかわらず、
聖書を前にすると、イエスを前にすると、神様を前にしたとたん、
「直読み」してしまう科学者に働く力が理解できなかったのです。
No.9
- 回答日時:
聖書は沢山比喩によりかかれていますよね。
イエスが言ったとされる例え話にしろ。
5千人分のパンと魚。
これは自分の分を他の人に分けて一緒に空腹を満たすって意味。
例えば月100万稼ぐ人もいれば0の人もいる。
100万稼ぐ人は所得税を取られ、そのお金は所得が無い人を養う社会。
人間は高度な表現というか、そういうのを使う人がいます。
例えば「広場」と「公園」似ていますが、別々に使います。
学級新聞を発行するにあたり「みんなの広場」とするが「みんなの公園」とは書かない。
例えば、牛乳をこぼしたとき、おかあさんが「こぼしてくれてありがとう」といった場合、おかあさんが喜んだとは思わない。
この比喩というか遠まわしな表現を理解する能力があまり発達しないと、おかあさんをまたよろこばせようと、牛乳をこぼしてしまう。
この子が聖書を読むと、高度な表現が理解できないので、「イエスはマジシャンだから手品のように5千人分の食料をポイと取り出すことができた。 神様だからできたんだ。 神様についての物語で全部実際にその言葉とおりの奇跡を起こしたんだ」となってしまうわけです。
福音派が国語の能力が低い人たちばかりが集まるのかを調べるのが科学者だと思います。
ご回答ありがとうございました。
>聖書は沢山比喩によりかかれていますよね。
イエスが言ったとされる例え話にしろ。
もし聖書のさまざまな奇跡の記事が、イエスのたとえ話のように、
比喩や象徴として書かれているのなら、説明は一時に解決します。
世界が七日で創られた話も、世界が水に没した話も、
海が割れる話も、天から火が降って街が消え去った話も、
処女受胎も、水とぶどう酒も、5千人のパンと魚も、死人のよみがえりも、
すべて文学的表現からくる比喩で、
そこには別の深い意味が隠されているなら、
聖書の記事と科学の諸法則は一致を見るわけですから。
聖書と同時代の歴史的背景や文学的云いまわしの知識不足から、
こうした象徴表現をありのまま受け取ってしまうことは、
確かに考えられます。
実際そうした、はっきり云って「間違った読み方」は頻繁になされているのだと思います。
たとえ、当時のヘブライ語やアラム語、古代ギリシア語に通じていたとしても、
はるか極東の島国の人間が理解するのは到底不可能なことだと思います。
しかし、一方で私は、kigurumiさんが言うように、問題が簡単だとは思いません。
私は福音派の方々の国語の能力が低いとは決して思いませんし、
仮にあらゆる聖書の象徴表現に通じている方も多いと思います。
では、そういう方は、聖書の記事に対する見方は変わるでしょうか?
私は、変わらないんじゃないかと思います。
5千人のパンと魚の記事が、
「これは自分の分を他の人に分けて
一緒に空腹を満たすって意味」だと知っていたとしても、
「それでも」イエスは5千人分のパンと魚を裂いて見せたと主張すると思います。
それは、福音派の科学者が、「質量保存則」を知っていながら、
「水がワインになった」と主張するのと同じ作用だと思うのですが。
No.8
- 回答日時:
2199です。
「奇跡」と「法則」を厳正に峻別しかつ認識できる方法が「科学」であると思います。
使い分けとかTPOとかそういうレベルの話ではありません。
ご回答ありがとうございました。
>「奇跡」と「法則」を厳正に峻別しかつ認識できる方法が「科学」であると思います。
「科学」や「法則」から零れ落ちる不可思議な現象を、
人間はひとまず「奇跡」と呼ぶと思います。
しかし、「科学」はそうした不可思議な現象を「奇跡」とは呼びません。
科学者は、研究の場では「奇跡です」とも「非科学的」とも口にしないからです。
そうした場合、科学者として口にするべきは、
「分からない」「説明できない」と云うのが妥当だと思います。
つまり、科学者は、少なくとも科学の場では、「法則」は認識しても、
「奇跡」を「法則」と峻別して認識はしないと思います。
福音的信仰者の科学者は、しかも科学の場で、
「これは法則で、これは奇跡です」と口にするでしょうか。
一方で、単に福音的信仰者は、いついかなるときでも、
不可思議な現象を「法則」とは別の「奇跡です」と容易に口にできます。
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