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江戸時代、公の機関で歴史学研究というのは為されていたのでしょうか?

水戸の大日本史は有名ですが、公儀や諸藩で歴史学とりわけ古代史・中世史の研究・考古学や、法制史の研究はされてなかったのでしょうか?

A 回答 (5件)

 こんにちは。



 考古でもないし、古代、中世でもないのですが……。

『徳川実記』が公儀の編纂です。初代家康から10代家治までの編年体実録。幕府の命により、大学頭林述斎をリーダーとして編まれ、1849(嘉永2)年に完成されています。全516巻。なお『続徳川実記』もありますが、これは維新後のもの。
 なお『大日本史』は、徳川光圀の個人事業だったのが、水戸家に引き継がれ、完成したのはなんと1906(明治39)年。全397巻。まあ水戸藩の編史事業ですが、勤皇史観です。

 なお#1さんの言及されている「資料」ですが、江戸時代は文書社会です。だから文書を多く生産し、保存してきました。これが現在の近世史研究に役立っています。ただ、研究者によると、多すぎて、近世の研究者は「紙屑屋」などといわれているとか。「史料の限られている古代、中世の研究者が羨ましい」とは、知り合いの近世研究者のことばです。

 また、質問者さまは、「公儀」「諸藩」に絞って質問をされているので、これは贅言なのですが。
 たとえば考古学では、松平定信の命による図録『集古十種』などがあり、また民間には、いろいろなサークルがあり、好事家中心のものから、かなり実証的なものまで、盛んに活動しています。地誌や寺社の縁起、稗史(歴史書に近い歴史小説)などの出版が相次いだのもこの時期です。
 系図を作る職業もあったそうです。客は武家、豪農でしょうね。
 近世期の「歴史学」ならば、民間(というか個人的なそれ)のほうが活性化していて、後世への影響も大きいようです(頼山陽の『日本外史』が、維新の思想的支柱になったように)。

 話ずれました。ご参考になれば。
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この回答へのお礼

こんばんは、御回答ありがとうございます。
公儀の編纂としては徳川実記ですね。516巻に及ぶのですか。

江戸時代の研究者の人は資料を検討するだけでも大変なのですね。逆に資料の少ない古代史研究者からしたら羨ましいかもしれませんね。

民間ではサークル活動が盛んだったのですね。

お礼日時:2005/12/18 04:17

現在の我々が学んでいる歴史学、考古学は明治時代に西欧から学んだヒストリーやアルケオロジーが元になっています。


 江戸時代以前において歴史とは基本的に「誰が正当な支配者の血筋なのか」とか「この土地の支配権はどういう根拠で自分のものなのか」
「今度出す法令の根拠は過去のどの前例に求めるか」などの事柄を証し立てるための学問に近いものでした。
 昌平坂の学問所や藩校では特に「支配者の正統性」を立証するための朱子学が奨励されました。
 考古学は一部の好事家の中で好まれていたようです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
考古学は一部の好事家の間で好まれていたのですか。
江戸時代にも歴史研究好きな人が結構いたのですね。

お礼日時:2005/12/18 04:11

>古代史・中世史の研究・考古学や、法制史の研究


zzz33301さんがどのような物を想定されているかによると思います。
現代科学的なものは当然無いわけですから。

それと、zzz33301さんはたくさん質問して、すぐに質問を打ち切っていますが、
一番初めの回答が必ずしも正しいとは限らないのが、歴史に関する問いの答えだと思います。
もう少し、広く意見を求めてみたほうがいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
政治・文化・法制史などを体系的に研究してはいなかったのかな、と思い質問させて頂きました。

例えば奈良とか律令時代の司法制度はなかなか興味深いのですが、公儀の奥右筆あたりは律令時代の制度には通じていなかったのでしょうか。


>広く意見を求めてみたほうがいいと思いますよ。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2005/12/16 16:56

公式にはそういう研究はされていなかったようです。


ただ、各家で自家の系図などを作るために祖先のことを調べたりすることはしていたようですが、古代史や考古学などは研究していなかったようです。
また、法制史については過去の判例を調べたりしてとりまとめをするようなことはあっても学問的に研究はされていなかったでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
公式には研究されてなかったのですね。

学問というと儒学や朱子学が主流だったのでしょうか。

お礼日時:2005/12/16 16:58

歴史の研究を大っぴらに公表することは、幕府の正当性を損なうリスクがありますから、表向き奨励はされていなかったのではないでしょうか。


でも、ちゃんと研究されて記録が残っていたからこそ、現在把握されている「歴史」のブラックボックス期間が少ないのだと思います。

一度図書館等で本格的に調べて見られたらいかがですか?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
>でも、ちゃんと研究されて記録が残っていたからこそ
そうかもしれません。
資料はどこかで保存されていたのでしょうから、誰かしらが研究していた?!という事はあるのかもしれません。

>一度図書館等で本格的に調べて見られたらいかがですか?
今はなかなか歴史を勉強する余裕がありませんが、是非老後の楽しみにとっておきたいと思います。(^^)

お礼日時:2005/12/16 17:08

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