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よく、行事やイベントの当日に雨が降ったら、「日頃の行いが悪い」とか、逆に晴れたら「日頃の行いが善い」とかいいますよね?
これってどういうことだと思いますか?
皆さんの考えを聞かせてください。

A 回答 (5件)

一言で言えば『因果応報』の流用だと思います。


自分のしたことが良いにつけ悪いにつけ自分に帰ってくる。
を流用(悪用)したものだと思います。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/rei_yoshiki/ingaouhou …
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天気のことなんて人間は関われないのに、そういうこと言うのは誰かのせいにしたいと言うことではないでしょうか?


人知を超えることを考えると落ち着かないけど、
人のせいにすると何となく脳みそが困らないんだと思います。

この回答への補足

みなさんいろいろな意見ありがとうございます。
↓のみなさんも参考になりました。

補足日時:2002/02/01 13:54
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「『あなたの』日頃のおこないが悪いから、雨が降ったのだ」


「『わたしの』日頃のおこないが良かったから、晴れになったのだ」

 というようなユーモアの一種だと思います。でなかったら多雨地帯の日本人はいつも悪いことばっかししていて、シルクロードあたりの人々は良いことばっかりしていたので砂漠になってしまった、などということになりますからね。
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 単純な答えになって申し訳ありませんが、自分の日頃の行いは、天が見ている、だから、普段から良い行いを積んでいる者は、天が味方して天気を良くしてくれるのだ、という意味で使われるのが一般です。


 例えば、明日大事な行事を行うが、野外のため、どうしても晴れて欲しい、と願うとすると、普段の自分を振り返って、天に祈りたくなる、そういった素朴な「天」を「神」と敬う心持ちのようなものです。
 勿論、根拠には、「自然」対「人間」の構図があって、人間の力では、自然の天候はいかんともしがたい、だから、「自然」=「天」=「神」=「全能」=「人間一人一人の行いを知り、それを裁く権限を待っている」という「自然崇拝」があるということでしょう。
 これは存外日本人にはしっくりとおさまる考え方なのですが、西洋風な考えでは、「天」=「自然」=「神」とはいきません。「天」を作った者が「神」で、神がすべての天候を決定しています。ですから、自然崇拝ではなく、理性崇拝とでもいった雰囲気で、「神」の前で正しい者のみが、「天候」の恩恵を受けることが出来ます。ですから、大事な野外イベントが雨降りで中止になったとしたら、日本人は、半分笑って「普段の行いが悪いからねぇ」と半ば「自然に人間はかないませんからね」と諦めがちな表現で済ませますが、西洋人は「神に叱られた」と反省するかも知れませんね。
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 雨降りが悪いというイメージですが、雨は実りの為には大事なことであります。


 暑い日には、ある面で蒸し暑いかもしれませんが、一時の涼しさ、安らぎともいえます。
 洗濯物は乾かない、濡れるという悪条件だけで判断することは短絡的です。
 これは、冗談半分も含まれて言っていると思うんですが、
実際に「依正不二」ということで説かれております。
 「依」とは、私達が生活するこの国土をいい、「正」たは、私達人間のことであります。この法門は、人間の思想や行動がそのまま非情の国土世界に反映するという「不二」の関係にあることを明かしたものであり、国土の災害や戦乱・飢餓を根本的に解決し、悠久の平和社会を実現するためには、正報である人間が清浄な福徳に満ちた生命に転換しなければならないことを示したものであります。
 如何でしょうか?

この回答への補足

え、、、っと、晴れが良くて雨が悪いということではなく、そんなふうに言われるのは何でかなってことです。

補足日時:2002/01/25 00:07
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