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江戸時代の銀貨の小粒は5・6匁は大きい方で小さいのも結構多かったのですか?1匁ないのもありますよね。

A 回答 (2件)

江戸時代の定位銀貨(金額を明示した銀貨)は1765年を始めとする、明和5匁銀や2朱銀のような判銀ですが、それ以前も以後も秤で目方を計って使う丁銀や小粒銀(豆板銀)が使われました。

     小粒銀の目方は 造幣局泉友会編の「日本のコイン」に拠ると、10匁前後から1,2匁くらいのものまで作られているとの事ですが、別な本では1、2匁が標準で、露銀と呼ばれる0,3匁以下のものも使われていたといいます。     当然ながらすべて検印つきです。
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この回答へのお礼

そうですよね、1匁ないものありますよね、1・2匁が標準ですか、参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/23 17:14

江戸時代の銀貨は金貨とは違って重量で価値が決まるものでしたからいろいろな大きさや重量のものがありましたし、時には切って使うことすらありました。

小さいほうが組み合わせるにも使いやすいですしね。
ただ、江戸時代も終わりに近づくと金貨と同じように一朱、一分といった銀貨もできましたが。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/03/23 17:11

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