大本のなにが不敬罪にあたるのか?
京都府の歴史を調べていて気が付いたのですが、大本(または大本教)の始めは巫女的信仰から始まりましたが後に体系的になるに従い不敬罪などで弾圧されるようになりました。
なにが不敬罪に抵触したのかよくわかりません。
どなたかこのへんの事情をご存じの方ご教示下さい。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
基本的には、筆先に見られる大本の原思想の先鋭性ゆえ、と見てよいのではないでしょうか。
既にご承知のことと思いますが、大本教のそもそものバックボーンは出口なおの思想にあります。「お筆先」という断片的な神諭によって明らかにされるその思想は、総合的にみれば、いわゆる近代的な思想や生活の否定、ということに尽きると思いますが、それが天皇批判とない交ぜになっていることが、後に王仁三郎が志向する方向性との大きな違いです。まずはこの「お筆先」の天皇制批判が、伏流として大本の弾圧の背景を準備したと言えるでしょう。
例えば、明治三十年代のお筆先には、次のような言葉が散見されます。
「上に立ちた守護神、上に立ちてえらそうに下の人民を苦しめて、我さえよけら下の人民かつえてもかまわんやり方でありたから、下の人民を見て居れば、可哀想で見て居れんが、其のやり方では長うはつづかんから、世を切替に致すから、其覚悟致されよ」
「世界はみな天地の神のものざぞよ。今度世の立替になりたら…天皇陛下も今度はだいぶ心配ざぞ。この結構な日本の国を外国人に自由に致されて、天子と申すざけざどよ。平人と同じことざ。この見苦しき国に致してしもて、結構な神流浪にたておるのが、気がつかんよな天皇陛下は、…陣引き致されよ」
つまりここでは、天皇の退陣がはっきりと要求されています。
出口なおにとっては、本来の神国たるわが国が西洋精神に侵食されたせいで人民が苦しむはめになっているのであり、その排外主義的で素朴な民本主義的批判は、とうぜん天皇陛下にも向けられるべきものだったのです。
(ただ、王仁三郎自身は教養もあって、単純な排外主義には必ずしも賛成せずに、素朴で純粋ななおの思想を体系化するにあたって、国家権力としての天皇制を批判するのでなしに、支配階級としての地主や資本家へと批判の対象を向けようと、やや軌道修正ともいえる穏健路線を志向するようになります)
日露戦争中に異常に高まった「立替」への終末論的期待はやがてついえ、戦後の教団は信者を失って大変な困窮を経験します。これが下地となって、王仁三郎がそれまで秘教的扱いをうけていた「お筆先」を整理開示することになっていくわけです。
直接的には、大正六年に『神霊界』に「初発の神諭」として発表された筆先の文句が、後の弾圧の理由と一般には解釈されています。実際ここには、例えば「天子(伏字)までも自由に致して、神は残念なぞよ」、「東京で仕組をするが身のおわり」、「東京は元の薄野になるぞよ、永久は続かんぞよ」などの言葉が並びました。実際この頃は、王仁三郎の思想がなおの思想と最も近づいていた時期でもあったのでしょう。
加えて、この時期から再度の「立替え・立て直し」への期待が高まったという背景があります。「三十年で世の立替」などという筆先の言葉をもとにして、開教から三十年にあたる大正十年(弾圧の年です)が、新たな終末のもたらされる年である、という期待が信者の間に広まったのです。この背景には恐らく、時代のゆきづまりを感じながら、漠然と社会主義思想にもデモクラシー思想にも感情移入できない、サイレントマジョリティとも言うべき広汎な人々の支持があったのではないでしょうか。
ざっとこのような背景のもとに大本弾圧が行われたもの、と私は理解しています。
この回答へのお礼
詳細なご教示有り難うございました。
出口ナオのお筆先の文言を始めて拝見しましたが、確かに穏やかならぬ思想と見られたのは無理ないと思いました。
世直しの思想は多くこのような表現をとるものですが、すこし直接的で誤解を招き安かったでしょう。
信徒が少ない間は黙視されていても20万近くになると放置出来ないと判断された事が納得いきました。
No.2ベストアンサー10pt
こんな弾圧理由を挙げるサイトもありますよ。
以前、冗談本で「南朝の末裔を騙ったから」なんてのもありましたね。
この回答へのお礼
参考URLに驚きました。
このような予言をしたのが事実なら不敬罪ではなく治安維持法で訴追するのが普通でしょう。
URLのルーツが興味をそそります。
南朝の末裔とか称したのは大本とは無関係だったのでは?
早速のご教示有り難うございました。
うろ覚えですが、出口王仁三郎が、天皇そっくりの軍服で白馬に乗って歩いたり、乗り物に「鳳輦」と名を付けたりしたことが不敬罪に問われたようです。
ただ、大本教の影響力が大きくなったことが原因となったので、上の理由は言いがかりに近いように思えます。
この回答へのお礼
確かに不敬といわれる行為ですね。
しかし天皇と称したわけではないのなら、こじつけのようですね。
信徒が増えたので抑えておこうという意図が働いたのでしょう。
早速のご教示参考になりました。
有り難うございます。
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