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こんにちは★
京都市には東西、南北それぞれに大きな通りが通っていて、その通りによって都市が碁盤の目のように区切られています。

その通りの名前の中に、
東大路通り、西大路通り、北大路通りはあるのですが、南大路通りなるのものは存在しません。(南大路町はあるみたいですが。)何でなんでしょうか?

A 回答 (4件)

その昔、市電(市営の路面電車)が走っていた頃、市街地一周コースは 『北大路~東山(東大路)通~九条通り~西大路通~(北大路へ戻る)』だったので感覚的には九条通り=『南大路通り』ですね。



北と東は碁盤の目というよりは平安京のエリア外を山裾のラインに沿って走っているといったところです。西大路は平安京の西大宮ですが名前が変わりました。九条は平安京の南の端の通りです。名前もずっと変わっていません。南大路に変える理由がなかったら変わらないのではないでしょうか。

それから、上賀茂南大路町は北大路通りよりも北にあります。西大路、北大路と同列には考えられないと思います。
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この回答へのお礼

九条通りが南大路に該当するんですね!!!
ありがとうございます。

お礼日時:2006/07/14 18:56

平安京の南端にあたる羅生門が九条通りにあったという石碑があります。



従って南大路は九条通りに相当するようです。

京都の東西の通りは御所を北の中心として南方に向け一条、二条、三条・・・と名付けられており、南北の通りとは命名法が異なります。

丁度南大路に相当する通りが九条通りと先に命名されていたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

確かに~条と南大路では条の方が位置を把握しやすいですね。少し残念な気もしますが。ありがとうございます★

お礼日時:2006/07/14 18:58

 東大路通,西大路通,北大路通はいずれも近代に整備された道路です。

明治維新の頃には存在しなかった道路です。
 対して,一般的に南大路に相当すると考えられている九条通は,平安時代から存在した道路です。
 九条通より南に幹線道路として整備された道路は,正式名称ではありませんが,十条通と呼ばれています。都市計画上,この十条通が南大路に相当する道路と考えられますが,東大路と接続していないこと,市電が走っていなかったことから,京都人の誰もが「南大路」とは考えていません。

 因みに,東山三条から現在の東大路通・九条通を経て南区四ツ塚町までは,国道1号でした(現在は府道四ノ宮四ツ塚線)。
 西大路通及び北大路通の道路法上の正式名称は,主要市道京都環状線です。
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この回答へのお礼

西大路、北大路とも正式名称ではないんですね。
てっきりずっと昔からあるものだとばかり、思い込みとは怖いです。
ありがとうございます★

お礼日時:2006/07/14 19:03

No.1です。

ちょっと面白い資料が見つかったもので再び書き込みます。

参考の京都府立図書館の貴重書目録で 京繪圖 と検索してみてください。明治35年の地図が見られます。これを見るとかろうじて東大路は判別できるものの、残りの北大路、西大路、九条はまだなかったようです。古地図で左側の西の幹線道路と見える通りは西大路ではなく千本通りです。

京都市街地を周回する幹線道路の歴史はあんがい新しく市電が出来たころにでも作られた「外環状線」のような郊外道路だったと思います。沿線も観光客が喜ぶような古都の風情ではなく、大学や大きな企業、工場などが多いです。

参考URL:http://www3.library.pref.kyoto.jp/
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