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なぜ、お市御寮人は、織田家のプリンセスなのに、「市姫」ではなく、お市の方、もしくは、お市御寮人と呼ばれるのでしょう。
同じく、淀殿(茶々)も、です。
結婚して、子どもを成しても、義姫、小松姫と呼ばれていた人もいたのに、何故なのでしょうか。

A 回答 (2件)

「呼ばれる」といっても、それは現代の人々が、ということですね。

たとえば「細川ガラシャ」といいますが、これは二重に間違っていて、当時は夫婦別姓ですから、北条政子のように、明智玉、が正しく、当時はおろか、キリシタン禁制の江戸時代に「細川ガラシャ」なんて呼んだ人はおらず、近代になってキリスト教の人たちが作った呼び名です。ですから市姫と呼ばれたかもしれず、茶々姫と呼ばれたかもしれません。お市の方は当時は小谷殿です。淀の方にしても、近代になって長らく「淀君」と呼ばれていましたが、呼び名というのは、誰が呼ぶかによって変わるわけで、江戸時代以前に、「天皇陛下」なんて呼称はなかったし、将軍を「吉宗」と呼ぶ人などいなかったわけで、歴史上の人物の呼び名は、近現代の人々がいつの間にか習慣的につけたものに過ぎないのです。角田文衛「日本の女性名」が詳しいです。
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この回答へのお礼

本当だ。確かにおっしゃる通りですね。夫婦別姓は、知りませんでした。そういえば、当時の人が、ガラシャ夫人と、呼んだはずも、ありませんね。ご指摘ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/04 12:39

基本的には、歴史家の慣習です。

呼び方は。

実際に存命中になんて呼ばれていたかは、実は不明な点が多い。
相当有名な女性でないと、名前は残っておりませんし、残っていても、公式書類での名前なので、それが本当に呼ばれていたかも不明。
No1の方が指摘されている、北条政子も、京都に交渉に行ったときに、京都風の名前が必要と言うことで、時政の子(むすめ)というので政子と名乗った(京都側の資料に残った)ということなので、頼朝が「まさこ」なんて読んでいたはずがない。(京都に交渉に行ったのは、頼朝没後なので)
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この回答へのお礼

はぁ。そうでしたか。北条政子が、あとづけの名前だなんて、全く知りませんでした。大変納得いたしました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/04 12:42

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