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最近散歩をしていて、ふと思ったのですが、品川区の大井のあたりには、お寺、病院、お風呂屋の三つが多い気がします。
これって何か理由があるのでしょうか?
例えば、お寺なら、昔は門前町だったとかいう理由が考えられるのですが…。

A 回答 (3件)

 振り袖火事と呼ばれる江戸の大火があったとき、類焼を免れるために市中にあった寺を郊外へ疎開させて空地を作るという政策が採られました。

そのために東京の郊外には寺が固まって存在する場所があちこちにできたのです。私が学生の頃住んでいた杉並の堀之内もそのような場所の例だという話を聞いたことがあります。
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お寺については、No.1のおっしゃる移転してきたものが東海道沿いに多くありますが、新馬場から居木橋のあたりは、昔は東海寺という大きな寺の敷地で、その東海寺の分散した建物が、現在存在する寺々になっています。


東海寺は沢庵さんのお寺ですね。

明治初期は、品川のあたりは東京の『郊外』で、新しいものを作るのに土地が得やすかったのだと思います。
工場や病院や学校が作られ、住宅が作られ、銭湯が出来、…という具合ではないのでしょうか。
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 私は品川区に30年ほど住んでおり、大崎、東大井、東品川と移っています。

区内の他の地域に比べて大井町が取り分け、そのような状況にあるとも思いませんが、確かに多いかもしれませんね。品川は東海道五十三次の一の宿だったこともあってか、住民は古きよき町を無意識に意識しているかもしれません。昔は宿場だったことや、そういった住民の意識が反映されているのかもしれませんね。
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