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 あなたの大切な人、例えば親・配偶者・子供などが犯罪に巻き込まれて、とても無残な方法で殺害されたとしても、あなたはその犯人に対して死刑は望まないのですか?無期懲役で我慢するんですか???

 今、世界中で死刑制度廃止が進んでいます、日本においても法律では死刑制度があるのですが、廃止を訴える人々がたくさんいる為か、数年に一度位しか行われません。先月末に4人の死刑が執行されましたが、社民党がすぐに抗議していますよね。これでは事実上日本は、半分死刑制度廃止国(?)ではないでしょうか?もっと頻繁に行うべきではないでしょうか?(死刑確定の、1ヶ月以内とか)

 私は死刑制度廃止には、絶対に反対です。確かに犯人を死刑にしても殺害された人は帰ってきません。
しかし、そんな事の問題ではないと思います。犯人が憎くて憎くて仕方がない、犯人にも被害者と同じ苦しみを味わわせてやりたい・・・と考えてしまいます。先進国とか人道的などという前に、人間として『仕返しをしてやりたい』と考えるのが当然だと思うからです。

 こういう考えについて、死刑制度廃止を賛成するあなたの意見を聞かせてください。

 
 
 

 

 

 

  

A 回答 (13件中1~10件)

連続ですいませんが、死刑執行の状況と言うのが常に50人以上の待機者がいるような事を指してるなら確かに私も反対です。


死刑の判決が出たなら執行自体は速やかにおこなって行くべきです。
死刑確定になっても大体6年~7年は放置される状況なので、その間の生活費が税金から出てるのは困った事です。
死刑廃止派から言わせると、死刑執行までは予定日が知らされないので、本気で死刑を恐れてる囚人は毎日いつ呼び出されるかの恐怖だけで暮らしていて人道的じゃない、と言う所ですがそれを無くすためにも早く執行したらいいでしょう。
06年は異様に死刑判決が多く20人の判決が出て、死刑待機囚人も90人になってます。
そういう状況は問題ですが、私の言う所は判決を下す上での慎重さです。
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この回答へのお礼

 再びのご回答ありがとうございます。
私は、自分の考えが間違っているとは全く思っていませんが、冷静に考えてみるとあなたの考えにもうなずける所があります。

 大変参考になりました、本当にありがとうございました。勉強になりました。
 

 

 

お礼日時:2007/01/11 21:55

この場合、遺族は第三者じゃなく当事者として見ています。


最初の回答でもある通り、遺族がどんなに望もうとその要望通りになりません。つまり彼らが当事者だからです。
司法では第三者である検察に弁護士、今後は裁判員まで含めての判決になり、またその根拠は感情じゃなく法律である以上、感情論の多い遺族より冷静な判決が出来ます。遺族の意向も参考程度には入りますが。
当然間違いを防ぐために最高裁まで存在するわけで、さらに第三者的に正しい判決が出来る仕組みとなってる証拠です。
それでも間違いが起こるのは事実です。
だからこそ冤罪もあり、過去には実際死刑確定後の冤罪発覚もあるわけです。

私としては殺す直接的な原因以外の生い立ちには全く同情しないと思いますが、忘れられるかどうかは別にして、忘れた事にしたいので関わりたくないです。
またボタンを押して死ぬ所を見るのも絶対嫌です。それはどう考えても自分には出来ない。
貴方の言うとおり決定的に違うのは、そこら辺の価値観なんでしょうね。

ただ自分も「執着する人」は理解出来るので、これも最初の回答で言ってる通り、死刑制度の維持、つまり死刑選択の余地はあってもいいと言うのが考えです。
ただ当事者である遺族が死刑を望むのはわかりますが、第三者である人が「死刑だ死刑だ」と騒ぐのは第三者としての冷静さを欠いてるのではないかと思うだけです。
「殺してやったぜ」って態度の人は死刑でもいいですが、どうしても否定する人間の死刑は本当に慎重にすべき。冤罪がありうるため。
実際人が死ぬのを冷静に考える必要があり、短絡的な感情論が司法にまで伝染すると困ります。
なので司法として非常に慎重に対処している現状は私にとっては良い状態であって、死刑の廃止までは望んでません。
裁判員がその司法にどんな影響をもたらすのかは気になる所ですが。
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#7です。

再び投稿します。
モンテスキューの『法の精神』の一説に、刑罰を重くしても、予防効果はほとんどみられなかったという記述があります。
また、犯罪の多さ、刑の執行はその国の政治を表しているともいわれ、時の政府にとっては恥ずかしいことです。また、だからこそ、人道的な政府を求める声もあります。人間の成長と同じで、国家の成長といいますか・・・
法倫理の世界では、死刑と同時に、中絶はどこまで許されるかという問題も取り上げられています。
個人的意見としては、被害者が寄り集まって「死刑にしてやりたい」といっているのは、子どもが「死ね!」などと罵倒するのと変わらない気がします。(こういうと、自分の話じゃないから言えるんでしょ?と言われてしまいそうですが)
加害者の多くが、虐待、いじめなどのトラウマを抱えていることが多く、ある、加害者側の弁護士(少年事件の付添人)は、「家や学校に居場所がなかったための自己防衛」と言い切っていました。愛情なく育てられた加害者に、果たして刑罰を持って処していいのか、と。
一瞬も喜びを感じてほしくない、とのことですが、コンクリ事件の主犯の元少年は、精神を病みました。収容されている間に病んでしまう人は結構多いようです。また、確定死刑囚ではなくても、中で病気になってそのまま亡くなったという例もあります(福田和子など)。
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この回答へのお礼

再びのご回答ありがとうございます。
死刑賛成派と、反対派の考え方の違いがわかってきたような気がします。
反対派の方は、犯罪者の育った環境や犯行当時の精神状態、その家族達の事も考えられる方なのでしょうね。

大変参考になりました、私も少し客観的に考えるように努力します。

お礼日時:2007/01/10 22:22

私の場合、質問者様とは違い予防説に基づいた賛成派ですので回答する立場に無いのですが、以下の情報をご存じなければご参照ください。



日本における死刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

死刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
参考にさせていただきました。

お礼日時:2007/01/11 21:42

数年に一度ではなく年に数人は毎年行われてますね。


それでも死刑を待つ囚人は常に50人以上いるわけですが。

被害者の気持ち云々で語ると難しい。
実際アメリカで家族を殺された遺族が、死刑だけはしないでくれと頼んだにも関わらず司法は死刑を執行しました。
被害者の気持ちと言うのは正直どうでもいいという事です。
被害者は事件にあたり取り乱してる可能性は非常に高く、その人を殺せるなんて人は明らかに異常と言えます。
しかしそうなるのも当然です。そのために第三者が冷静な判決を下せる司法があるのです。
被害者がどう思おうと、第3者的に死刑がダメなら死刑はしない、するならする、それだけです。

私もそういう経験はないので想像になりますが、例え誰が殺されても犯人が死刑になろうが終身刑になろうがどうでもいいです。途中で出てこられるのは嫌なので最低終身刑があればいいと思います。
どう考えても犯人を突き出されて殺して良いよ、と言われても自分は殺せません。
もしそのような状況で殺せるとしたら、その時の自分は異常なんです。
なので死刑かどうかは司法が決めてくれたらいいし、死刑も自分でしたくないですね。
ただ一刻も早く犯人など忘れたいだけだと思います。

結局死刑があろうとなかろうと治安面などは大して変わらないと思いますが、死刑の判決だけは慎重過ぎるほど慎重に行うぐらいが丁度良い。
それぐらい命は大事だけど、それでも犯罪内容によってはその命で償う必要が出てくると言う証明であり、存在するのに死刑執行自体に前向きじゃないと言う今の日本が丁度良いと自分は思ってますね。

この回答への補足

 すみません、漢字の変換をまちがえました。
『賛成派と反対派の違いの核心はそこなんでしょうね』です。
今回のお礼で、私が一番言いたかった事です。
失礼いたしました。

補足日時:2007/01/09 20:54
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
死刑執行が、2000年まで毎年1~2人づつ行われていた事は知っていましたが、ここ数年は行われていないのかと思っていました。
ネットで調べましたが、わかりませんでした。(12月に死刑執行が行われた時に、TVでアナウンサーが~年ぶりと言っていたので、ここ1~2年は行われていないのかと思っていました。)
勉強不足でした、ご指摘ありがとうございます。

 『被害者がどう思おうと、第三者的に死刑がダメなら死刑にはしない、するならする』
確かにそのとうりです、だからこそ納得できない被害者の家族は死刑を求めて戦うのではないですか。裁判官も人間です。時には間違った非常識な判断をしてしまう事だってあるんです。一審・二審と判決が逆転する事など日常茶飯事ではないですか?

 『犯人を突き出されて、殺しても良いよと言われても・・・』
常識で考えれば、あなたの言うとうりかもしれません。冷静になって考えれば、殺せないでしょうね・・・でもその時の私なら、殺してしまうかもしれません(殺してもいいという国の許可がある事が前提で、私自らが殴り殺すのではなく、死刑執行のボタンを押すくらいならできると思います。)その重みを一生背負って生きていく位の気持ちはあります。

 『ただ一刻も犯人など忘れたいだけだと思う』
忘れられますか?本当に忘れられますか?ならば死刑執行など必要ないですね。賛成派と反対派の違いの確信はそこなんでしょうね。
私は、何年経とうと絶対に忘れられません!犯人が生きている限り憎み続け、死刑が確定するまでは、命をかけてどんな事でもするでしょうね・・・本村氏のように。

 やはり、どこまでいっても平行線なんですね・・・死刑制度反対派の考え方は理解できません。それと、今の日本における死刑執行の状況においても、私は丁度いいなんて思ってません。大いに不満です。

 

 

お礼日時:2007/01/09 20:50

基本的に死刑賛成です。

 まず、 質問者の言う状況であれば、 同じ感情をいだくでしょう。 他の回答者の意見を踏まえても、 そう思うと思います。 20年ぐらいしてシャバに出ても想像出来ない苦しみはあるでしょう。 しかし、 それは別の問題であって、 罪を犯した人がどれ程更正しているか?。犯罪白書を見ても再犯率はかなり高い。 無期の人が出所後数日で同じ事をするケースがあります。 個人的には「無残に人を殺したら、自身の死をもってお詫びしなさい」ぐらいの気持ちはあります。 その人を大切に思う家族があることもわかる、法があることもわかる。 しかし、それだけでは済まされない被害者がいることは忘れることはできないはずです。 ただ、法律は「報復の為の報復」を防ぐためにあることも充分理解しなければならないことであり、秩序の維持には無くてはならないものであることは、質問者も理解していることと思います。 
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西洋の法制度の歴史に出てくることなんですが、法律というものが存在しなかった頃、治安が乱れ、復讐も多かったため、法整備(ハンムラビ法典)(目には目を、歯には歯を)を整えました。

被害者による復讐を防ぐための罰(死刑制度)であったとされているようです。
ただ、その時は、些細な物を盗んでも死刑になるような時代でしたから、現代の日本とは比較できませんが。

死刑確定の一ヶ月というのは、あまりに早すぎます。刑事訴訟法では六ヶ月以内となっていますが、戦後は六ヶ月で執行された例もほとんどないです。現行犯でない限り、冤罪の可能性は否定できないからです。(死刑執行されると元には戻りません)

被害者は憎しみだけなんでしょうか?犯人の育った環境には同情しない?(オーソドックスな意見ですね)
確かに、面白がって殺した場合は許せませんが、人を許す心も必要だと思います。「死刑にしろ」、「反対」だと騒ぎ立てられることが多いですが、当の殺人犯は、自殺未遂を繰り返しているなど、自分の命に対してのこだわりが少ない人が多いみたいなので、死刑が執行されることが償うことになるのかは疑問です。

また、刑事事件でなく、外国がらみの場合、戦争や事故で亡くなった場合に、犯罪が成立しない場合も出てきます。結局死刑は解決にならないと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の質問の本質がわかっていらっしゃらないようなので、改めて説明させていただきます。

 私が、死刑廃止賛成派の方に質問させていただいてるのは、肉親等が残忍な方法で理不尽に殺害されて、確実な証拠もあり本人も殺害を認めている場合を想定しています。例えていうならば、山口県で発生した『光市母子殺害事件』のようなケースです。
 この事件は犯人が当時未成年であった為、死刑か無期かで現在も裁判が続いていますし、少年の弁護団が苦しい弁明で偶然だ、などと唱えておりますが、私であっても間違いなく、本村氏と同様に少年の死刑をもとめます。

 また、わたしが犯人に抱いている感情は、憎しみとは少し違うのかもしれません。
笑わないで聞いてくださいね?例えば私は無類のコーヒー好きでして、一日に3本位の缶コーヒーを飲みます。よく当たりつきの自販機で買うのですが、なかなか当たりません(一年に一回あるかどうか・・・)
 私の大切な人を殺害した犯人が、20年以上の刑期を終えて出所した時に、(久しぶりに缶コーヒーでも飲むか)と思い自販機でコーヒーを購入したとします。その時、偶然にもアタリ!が出たとしたら・・・その犯人は心の中で(ラッキー^^)って思うことでしょう。

 私にはそれが絶対にゆるせないのです!!!

 他の方のお礼にもコメントしたことですが、私は犯人が20年以上の受刑生活後にシャバにでる苦しみは、たしかに生き地獄であると思いますが、そんな事には全く興味ありません。
私は、犯人には人間として生きて生活してゆく中で、いかなるささいな喜びさえも感じてほしくないのです。だから死んでほしいのです。
 自分の目で、犯人が確実に死んだ事を確認したいのは、そのためです。死亡すれば犯人は二度と笑う事はできないのですから。絶対に幸せになることは、できないのですから。

 変人だと思いますか?そう思っていただいても結構です。私は絶対に死刑制度廃止反対です!!

 

 

お礼日時:2007/01/07 14:26

#4です。


”死刑執行の現場に遺影を持参して立ち合わせてもらいたい”似たような意見は時々聞きます。
でも、実際もし行ったらどうでしょう? たとえ親や子供などを殺した犯人であっても、人を処刑するところに立ち会ってそのあとはどうでしょうか? すがすがしい気持ちになれるとはとても思えないのです。 死刑に関係する人たちのことを書いた書籍を読んだこともあります。たとえ犯罪者であっても処刑に関係すること、少なくとも初めの頃は非常に大きな苦しみがあるようです。
また、犯罪者であっても、その人には親や兄弟、人によっては子供もいると思います。死刑であっても、やはり死を悲しむ人がいるでしょうね。私なら、そのような思いはさせたくない、と考えてしまいます。
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この回答へのお礼

ふたたびのご回答ありがとうございます。
勘違いしないでいただきたいのですが、すがすがしい気持ちになりたいなんて少しも思っていませんよ。犯人が苦しみながら死のうが、安らかに死のうが、死に方には全然興味ありません。大切なのは『確実に死んだ事をこの目で確認』する事です。

 死刑であってもその犯人の死を悲しむ人は・・・やはりいるでしょうね。
そんな人の事を心配するほど、私は頭の良い人間ではありませんが。

やはり、死刑廃止賛成派の方の考え方は永遠に理解できないのでしょうね。貴重なご意見ありがとうございました、勉強させていただきました。

 

お礼日時:2007/01/06 09:49

#3です。



死刑というのは人権問題がありますから、もちろん極めて「楽に」死ねる方法です。日本の絞首刑に関しては、一瞬にして意識が飛びますので、それほど苦しむ方法ではありません。
私の家族が殺されでもしたら、金はかけてもらってそのように楽な方法で死んでいただいて「死を待つ日々の苦痛」を理由にしようったってそうはいきません。
終身刑は望むという意見ですが、現行法で無期懲役の方がまだまし。20年ほど閉ざされた中にいて、社会復帰などまともに出来るはずもなく、不幸のどん底でもがき苦しんでのたれ死んでくれた方が、私の場合気が楽になると思います。
私は立場上、刑務所を出た人と接することがありますが、短期でもきわめて厳しい世の中です。20年のギャップは想像しうる程度の苦しみではないはず。だからこそ、また犯罪を犯してでも(たとえば軽微な万引きなどでも、前科があるのですぐ逮捕になるので)刑務所に戻りたいと思う人が多いのです。犯罪とは、ひとたび起こせば不幸の無限ループからはなかなか這い上がることは出来ません。そんな根性がある人は、人間など殺さない。
よって、そのように簡単に楽になってもらっては、腹の虫もおさまらないでしょう。

お礼でしたが、質問があったようなので追記させていただきました。
質問者さまはまだお優しいと思いますよ。「同じ苦しみ」どころか、私は「100倍の苦しみを与えても足りない」と思うからこそ、終わらせてもらっては困ると思うのでしょうし、だからこそ、他人に迷惑をかける今の制度に不満があるわけですから。
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この回答へのお礼

 ふたたびのご回答ありがとうございます。

あなたの意見を拝見するうちに、死刑廃止を訴える人々の気持ちが少しわかったような気がします。が・・・根本的な考え方の違いですね。犯人が憎いのは被害者の家族なら皆同じだろうと思いますが、私ならば20年以上の受刑後にシャバに出る苦しみより、一日でも一秒でも早くこの世からいなくなってほしいと考えると思います。

 できることならば、死刑執行の現場に遺影を持参して立ち合わせてもらいたい、と考えているくらいです。(そんな事ありえないのというのは、わかっていますが・・・)
楽に死ぬ・苦しんで死ぬにかかわらず、犯人に望む事は・・・一刻も早く死んでほしい、ただそれだけです。

 とは言っても私は未経験者なので、あくまで今の気持ちでしかありませんが、大変勉強させていただきました。ありがとうございました。

 

 

お礼日時:2007/01/05 08:33

死刑制度、反対です。


いかなる理由があろうと、人が人の命を奪うことは望ましいことではありません。殺人、戦争、全て同じです。

”人間として『仕返しをしてやりたい』と考えるのが当然だと思うからです”
この考えは否定しません。でも、復讐は良い結果には必ずしも繋がらないと考えます。殴られたら殴り返す、子供のときはそう思ったりしましたが、いまは違います。

ただ、今は死刑制度があります。刑の執行をしない、というのは不適当だと思います。法が機能していない、ということですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。我慢できるという事ですね。
あなたのおっしゃる事・・・確かにそのとうりかもしれません。わたしには我慢できないかもしれませんが。

 個人的には、日本が死刑制度廃止しない事を、これから一生祈っております。参考になり勉強にもなりました。

お礼日時:2007/01/04 21:57

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