プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

タイトル通りですが
お侍って腰の所に2本の刀(長刀と短刀)を、持っていていたのでしょうか?

A 回答 (9件)

もともとは武士が持っていた


太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。
    • good
    • 11
この回答へのお礼

こんなに、詳しく書いて頂きありがとうございます

お礼日時:2007/01/06 05:38

二刀の風潮がだんだん固定し始めたのは、天文年間あたりのようです。

  松岡行義の「後松日記」に織田氏の頃より刀・脇差とて、常に二刀を帯しぬるより、いにしえの太刀・刀はなごりもなくなりたると見えたり。  とあります。
江戸時代でも当初は歌舞伎の車引き梅王丸のように、三本刀を差していた人もいたと言われています。
江戸時代の「鎮西八郎為朝」の挿絵では敵、味方とも三刀を差しているとのことです。   
三刀の始まりは、「日本書紀」に武人たちに剣三本を腰に差させとあります。   予備刀であることがわかります。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
3本ですか?
僕も、それは知らなかったです

お礼日時:2007/01/06 13:49

刀...長さ2尺以上、定寸は2尺3寸から4寸


脇差...1尺以上、2尺以下。定寸は1尺4寸位
短刀...1尺以下
脇差は本来は予備(戦国/江戸初期には打刀と同寸の脇差を差した記録も有ります)なのですが平和になるに従い短くなり1尺4寸位が定寸となります。
また江戸時代は武士の表道具には短刀は入っていません。

町人は旅行時に犬追いとして脇差を持つことを認められていました。
やくざなどが持っているのは之を拡大解釈したもので、1尺9寸5分等の
刀と変わらぬ長さのものも有りました。(9寸5分なんて短刀もあります)
    • good
    • 3
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2007/01/06 13:43

たぶん歴史的には皆さんが書かれていることが正しいのだと思いますが、武士道としての2本差しの意味は、



長刀:戦うための刀
短刀:自害(切腹)するための刀

という説明です。「武士はいかなる時でも、
名誉を失うようなことがあれば、速やかにその場で切腹することが、いさぎよいとされたからです。」

殿中での短刀の携帯が許されている理由も同じです。
殿中では刀をもっての戦闘をする必要はありませんが、
失敗して責任を取らなければならないことは有りうるわけです。

そういう場合に、その場で切腹できるように短刀の携帯が許されているのです。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
これは、違う観点見た回答ですね
そう考えると一理ありますね

お礼日時:2007/01/06 05:42

江戸時代についてであれば「それが侍としての身分証明になったから」ですよ。

江戸時代、つまり徳川幕府の世では「侍のみに苗字帯刀(二本差し)が認められた」のです。ですから身分証明として刀、脇差しを差したのです。ただし、殿中などの公式の場では脇差しのみしか認められませんでした。これは帯刀=武装なので、城内などでは「武装解除するのがマナーだった」からです。

よろしいでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/01/06 05:39

#1~#3様大正解でいらっしゃいます。



他に、脇差のみを許されるケースもあり、
苗字帯刀では、旧藩士や浪人、
昔、苗字を持っていた者などが入り乱れ、

身分制度の複雑さや、完全な武装解除でなかった事は、
お上の相当な苦悩も伺えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97% …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/01/05 23:57

銃の弾がカートリッジ(薬莢)方式になったとき最低でも2連発銃になっていたのと同じような意味合いではないでしょうか。

メインとリザーブですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

判りやすい回答ありがとうございます

お礼日時:2007/01/05 23:23

侍が差している長刀は主兵装(本差)といい、短刀を脇差といいます。


NO.1の方がおっしゃるとおり本差が破損等で使えないときの予備の刀だそうです。

脇差についてご参考までに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E5%B7%AE
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/01/05 23:20

短い方は脇差と言って予備なんです。


戦っていて、破損した時などに使ったりするのですが、たいていは、人の血や脂で日本刀はすぐ切れなくなるので、切れなくなったら脇差を使うということが多かったそうですよ。ドラマや映画みたいにスッパスッパ何人も切れないんだそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
短刀の事を、脇差と言うのですか?
勉強になりました

お礼日時:2007/01/05 23:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!