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電場の方向は、プラス端子からマイナス端子への向きだったと
思いますが、この定義は電子が流れる方向と逆になっていますね。

この定義は、電流の向きと同じような歴史的な背景で決められた
ものでしょうか? または、何かきちんとした理由でこの向きに
なったのでしょうか?

A 回答 (2件)

以前にも多くの同様の質問があるようです。



電流について
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1376313.html

電流とは?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1194842

電子はなぜマイナス?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa295061.html

電子と電流の流れる方向が反対なのはどうしてか。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2619089.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/30 19:21

 私の研究結果。


 歴史的経過にほかなりません。
●キリシャの大道で宝石商人が、琥珀の宝石を布?で拭きながら商売をしていた時、埃や髪の毛を引きつけたであろう現象を、ギリシャ語で琥珀をエレクトリックとか、金星牛座のエレクトロ星の名からエレクトロンと呼んでいたという書もある。その後、イギリスの女王エリザベス一世の侍医ギルバートが、この琥珀の不思議な力をエレクトリスィティー?と名づけることを提案したという。日本語訳電気の起源です。
字数オーバーするので簡略にします。詳細は、本音で語る科学と健康書を。
●18世紀の中ごろフランスのデュフェが手近のあらゆる物質を互いに摩擦して、摩擦電気には2種類あることを発見。彼は粒子の考えではなくもやっとしたものをイメージしていたようである。
●その後アメリカの凧揚げのフランクリンが、摩擦で電気の粒が平常の状態より増えて静電気状態現れたのがデュフェが言う硝子電気の方であると言ったようだから、+電気の粒の移動を考えた事になると言う見方がある。
●次に英国のファラデーの先生デービーが初めて+電気と-電気の考え方をしたといわれています。

●次にデービーの弟子のマイケル・ファラデーが、溶液の電気分解で
+電気を帯びた粒子を発見し、「行く」という意味のギリシャ語の「イオン」を使って初めて★「+イオン」の用語が使われた、ということは確かなようです。
●19世紀の末イギリスのJ・J・トムソンが、ブリュッカー・クルックスたちが、ガイスラーの真空ガラス管で放電の研究して、-電極から光線が出ていて磁場で曲がる事を未発見していたのを、トムソンが電場(電界)を加えても曲がることを発見し電気を帯びた粒子であることを発見し、-極から出る粒子であることになり、-電子と着けたと考えられます。
 というのは、本来なら、既に電流は+極から-極に流れるとして電流と磁力線の関係や発電や動力に、右ねじの法則、右手、左手の法則などが発表され発電機など製作出来ていた所に、電流の正体-電子が分ったのですから、+電気としても良かったと私は考えられるわけです。

●なぜ現在も電線に流れる電流を、+電極から-極に向かって流れるとして教え、計算し電気器具などを平気で設計しているのだろうか。

 私の見解-----既に電流の回りに発生する磁力線(磁場、または電界)の方向を判定するのに右ねじの法則、発電の法則にフレミングの右手の法則や動力の判定法則にフレミングの左手の法則が出来ていて、発電機電動機の製作に間違いがないので、この際-電子がー極から+極に流れると変更する方が混乱の被害が大きい。電線電流に限り、摩擦による発熱、や発光現象だから、どちらから流れても現象に変わりない。力のモーター製作その他も設計製造にさしつかえない。
 空気中や液体の中のように+-2種類の電荷を持った粒子、-電子、+イオン、-イオンが動く時には、正確に電流の流れを取り扱うことにする方が、混乱が少ないというくらいにしか考えられません。 
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/30 19:22

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