No.1
- 回答日時:
モンゴル帝国の軍隊が同時期の他国と最も大きく異なっていたのはその機動力にあります。
他国の軍隊は外征時には常に兵站線を確保し、補給を維持する必要がありましたが(これは現在でも同じです)、元来遊牧民でありその財産である家畜と共に移動するモンゴル軍はそのような兵站線の維持を不要とし、他国の軍勢では出来ない圧倒的な戦略レベルでの機動力を確保していたのです。
これは外征時に極めて大きな利点となりました。
次いでチンギス・ハーンの指導の元で柔軟に征服地の優れた文化・文明を取り入れることで、元来遊牧民が苦手としていた強固な城塞の攻略を可能にするだけの土木作業能力なども手に入れ、それが勢力の拡大に大きく役に立ちました。
しかしこの現地の文化を積極的に取り入れた事が、後に帝国の命運を左右することになります。
元々モンゴル人は少数民族であり、それが広大な支配地域でそれぞれの文化を取り入れていった事により、支配層であったモンゴル人達が現地に同化して行き、その結果として地域ごとの差異が時間と共にドンドンと広がっていってしまい、帝国としての統一性を失っていったのです。
更に広大な帝国領を繋ぐ交通網の発展はペストの大流行をもたらし、これが帝国にトドメを刺すことになります。
No.2
- 回答日時:
チンギスハーンは、おそらく世界史上でも一、二を争う偉大な指導者であったと思います。
戦略的な賢さ、部下を惹きつけるカリスマ性、苦境に陥ったときの忍耐強さ、一気に勝負をつけるときの行動力、情報収集の確かさ、たとえ敵国人であっても能力のあるものは抜擢する眼力と、それを信頼する度量、軍事的な指導者が備えていなければいけないものはほぼ全て揃っています。
これに#1さんのいわれるモンゴル騎兵の機動力が加わったわけですから、当時の世界中どこを探してもモンゴル軍に対抗できる相手はいなかったのです。
ロシアや東アジアを蹂躙したその戦略性について、ロンメル、パットン、そしてシュワルコフといった、現代の軍事戦略家が絶賛する当時のモンゴル軍の参謀スベエデイが、チンギスハーンの片腕として、常にその作戦を彼から学んでいたのは間違いありません。
ただ、残念ながら彼の素質を受け継いだ子孫はほとんどなく、かろうじて彼とじかに接し、その薫陶を受けた孫のバトゥやフビライの時代まではモンゴル帝国も拡大を続けましたが、その後は急速に衰えて行きます。
これはとりもなおさず、この巨大な帝国がチンギスハーン一人の力によるものであることを示しているのではないでしょうか。
興味深いことに実はチンギスハーンは帝国の滅亡のことまで予言しているのです。
イタリア人のカルピニという宣教師が1245~47年に布教(とおそらくスパイ行為)のためにモンゴリアを訪れていて、その紀行文は今でも出版されていて読むことができます。
その中で、チンギスハーンの予言として、「われわれは60年の間拡大を続け、その後滅びる」という大意のことが記されています(その当時はチンギスの死後20年で、まだチンギスをじかに知っている人も大勢いました)。
「60年」というのは中国の還暦から引っ張ってきた年数でしょうが、案外彼は、子孫が凡庸なためやがては滅亡への道を歩むことを予見していたのかもしれません。
そういう意味でも大した指導者であると思いますよ。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。
歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。
基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。
しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。
また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。
No.5
- 回答日時:
かなりおおまかに。
商人の存在。
東西交易の基本はシルクロードでした。
つまり、世界の富はシルクロードを通る。
そうなれば各国はこぞってシルクロードに群がる。
ハイエナがたくさん居たので商人は度重なる関税や小さな国の紛争で安全にシルクロードを渡れませんでした。
そこで類稀なる才能を持ったチンギス・ハーンに統一を望み商人は投資をしたのです。
各王朝は商人の支援を受けれずに経済力を失い、商人の後方支援を受けたモンゴル帝国と対峙したのです。
当時の世界一の商人を敵に回して弱小勢力が勝てるはずがありません。
そして、モンゴル帝国が示したのは、陸のシルクロードの崩壊。
そして海のシルクロードの開発。
実はモンゴル帝国は占領よりも破壊を優先させています。
シルクロードに関わる古代都市や中継都市すら占領ではなく破壊してしまったのです。
これでは占領統治は長く続きません。
致命傷はモンゴル帝国を支持したのは大陸の商人です。
しかし、モンゴル帝国自身が欧州にとっては邪魔なイスラム帝国を倒してしまった。
そして東の邪魔な勢力が無くなった欧州の商人は東の足がかりとして海のシルクロードを開発してしまったので、陸の商人の力は衰退します。
モンゴル帝国も大陸の勢力です。大陸の商人と共に大地の奥へと帰って行きました。
ここから世界は陸路ではなく海路による交易に変わっていきます。
確かに民族性はあると思いますよ。
大まかに言えば時代の転換でしょうね。
さらば、陸の時代。そして海の時代の幕開けへ。
No.6
- 回答日時:
大帝国ができた理由
1.チンギスハンが軍事的天才だった事。
2.騎馬戦術に優れていた事。その騎馬部隊は重騎兵、軽騎兵、騎馬投擲部隊に分けられており、戦況に応じて変幻自在に使われました。他国では、三種の騎馬部隊を使い分けている国家はありませんでした。西欧諸国は重騎兵中心であり、これに対しモンゴル軍は軽騎兵で重騎兵を撹乱、弓騎兵で消耗させ、疲れきったところで、とどめをさしました。アラブの軽騎兵が相手の時は軽騎兵で対抗、重騎兵でとどめをさしています。他の中央アジア諸国相手に最も多く使われた戦術は、軽騎兵で撹乱、弓矢や投槍で相手を消耗させとどめを重騎兵がさすか、軽騎兵が騎馬投擲部隊の前に敵をおびきよせ、各種の飛道具で損害を与え、重騎兵がとどめをさすというものでした。
野戦においては、このように各騎馬部隊を有機的に結合させ戦闘で勝利を得ていたのです。これは他国にはない戦術でした。
なおモンゴルの重騎兵というのは西欧の重騎兵とは違い、鉄ではなく革鎧を着ています。
3.情報収集を徹底していた事。敵の兵力、戦術、組織、城砦の防備、地形など徹底的な情報収集が行われていました。西欧に進軍する前は、十字軍に参加した西欧人を軍事顧問にする事さえ行っています。逆にモンゴルに攻められた国では、こうした情報収集を怠っていた国が少なくなく、それが戦場での勝敗を分ける事も少なくありませんでした。
4.優れた武器の大量使用。石弾用弓弩砲、石油壷投射器、投槍用弩砲、弩弓、投石機など西欧、東欧を問わず、有効な兵器が採用され使われていました。モンゴルと戦った国の中には今まで見た事もない、こうした兵器を使われ驚愕した国もありました。
5.シルクロードを使う交易商人の協力。シルクロード周辺は、あまりにも戦乱がひどく、治安は乱れ、各国に高い通行税を取られ、交易商人は苦しめられていました。その為、交易商人達はシルクロード周辺の政治的、軍事的統一を願っていました。そこで目をつけたのが、当時、頭角を現してきたチンギスハンでした。交易商人達はチンギスハンに各国の情報や最新の技術、武器を提供するかわりに、自分達を優遇させるようにしたのです。4.であげた西欧、東欧を問わない武器の使用は、交易商人がもたらした事も一因です。
6.中央アジアに強力な国家や民族がいなかった事。中央アジアの諸国は、他民族国家が多く、国家基盤が脆弱で、絶えず反乱や内乱が起きていました。その為、モンゴルが征服するのも容易でした。
また、当時の中国は金と南宋の二国に分裂しており、モンゴル軍は二国の間で色々駆け引き、策謀を巡らせた後、まず金を次いで南宋を滅ぼしています。
滅んだ理由。内紛と反乱によって滅びました。
チンギスハン亡き後、その子供達を王家として5つの国ができました。モンゴルと中国を支配下に置く本家の元という国。中央アジアのオコダイ・ハーン、ロシアのキプチャク・ハーン、ペルシアのイル・ハーン、ホラムズ(中央アジア)のチャガタイ・ハーンという国々です。これらハーン4ヶ国は本家の元に臣従はしますが、実質的には独立国でした。そして抗争と対立を繰り返したのです。また各王家内でも内紛がおこったりしました。これは本家の元でも同じで後継者を巡って内乱が起きたりしています。内紛、内乱が収まると外征に出る。この繰り返しでした。それがモンゴル帝国五代80年の歴史でした。
飽くなき戦争と重税で、モンゴル支配下の人々は苦しめられ、反乱が数多く起きるようになります。中国でも反乱が多発、多くの人が独立を勝ち取ろうと立ち上がりました。その中の一人、朱元障という人物が反乱軍をまとめモンゴル軍に戦いを挑み勝利します。そして中国を開放、独立を取り戻し、明という国を成立させたのです。敗北したモンゴル軍は故郷のモンゴルに逃れます。以降モンゴルは北元という国名になりました。1368年の事でした。
北元は1391年、勃興してきたオイラートという国に滅ぼされます。
イル・ハーンは1393年に勃興してきたチムール帝国に滅ぼされました。
チャガタイ・ハーンは1321年に東西に分裂した後、西チャガタイは1360年に東チャガタイに滅ぼされます。東チャガタイは1389年にチムール帝国に滅ぼされました。
オコダイ・ハーンは1310年にチャガタイ・ハーンに滅ぼされています。
キプチャク・ハーンは色々あるのですが、最終的にはモスクワ大公イワン三世に1480年に滅ぼされています。
こうして4つのハーン国と元は歴史から消え去ったのです。
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