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先日、江戸の元号について質問して、中国の書物よりとったとの
回答をいただきました、その方面を調べると基本的に日本の元号は中国
の書物よりとっているとのことでが、再び同じような質問ですが、室町時代の元号である「天正」(織田信長がつけたといわれている)は中国の「文選」の「君以下為基、民以食為天、正其末者端基本、」の中の「天」と「正」よりなずけたとありますが長い文の中の二文字を取って元号にするのは専門の役職があったのでしょうか?
またこの二文字に意味をみいだしていたのでしょうか?
単なる言葉遊びのようなものだったのでしょうか?
元号に詳しい方よろしくお願いします

A 回答 (3件)

専門家ではありませんし、歴史には疎いのですけれどたまたま読む本が無かったので「元号事典」(東京美術刊)が手元にありました。


天正は、式部大輔 菅原長雅が勧申者とあります。
まるで興味ない人間もこういうのがあるとなかなか楽しめるという典型でした(たまたま回答も出来るし)。
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この回答へのお礼

貴方様の回答で、元号決定には「勧申者」という重要な人物が
存在していたことが、わかりました、
それも永い期間ひとつの「菅原家」が独占していたことが、
調べてわかりました、大変参考になりました、
ありがとうございました、

お礼日時:2007/03/28 09:33

#2さんの菅原長雅って誰だろうって調べたら、高辻長雅(本姓は菅原氏)のようですね。


次のサイトに元号一覧が載っていました。
参考:http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi9.h …
1467年の「応仁」以降は菅原氏だけです。
菅原為長、継長、長直、長雅、豊長、長量、総長、胤長、以長らは高辻家出身です。
菅原為賢、為経、為適、為庸、為範、為俊、為徳、為定、為栄らは高辻家の分家である五條家出身です。
菅原在良、在豊、在治、在数、在庸、在秀、在煕、在光らは唐橋家出身です。
菅原長綱、秀長、益長、長清、和長、長淳、盛長、長維、恒長(知長)、聡長らは五條家分家の東坊城家出身者です。
菅原長香は五條家分家の清岡家出身者です。
菅原長義、為顕らは五條家分家の桑原家出身者です。
これらの家は文章博士、大学頭となる家です。

この回答への補足

NO2さんの回答の年号の勧申者という名前で、私も同じサイトにたどりつきました、非常に解りやすいサイトで良く解りました、
ご指摘のように、室町の「応仁」より江戸の「慶応」まで菅原氏が
独占して年号を勧申していますね、当時「天正」に改元をしようということになると、
1.当時の権力者である信長の意向が強く働き
2.改元の理由→兵革改元を基に
3.朝廷→菅原氏に元号の名称の答申
4.菅原氏→中国の「文選」よりふさわしい文の中より「天正」を勧申
5.正親町天皇→発布
このような順序で行われたようですね、
つまり勧申者の菅原氏はご説明のように中国の文献に詳しい文学者、教養人であったようですね、
詳しく説明いただきありがとうございました、
良くわかりました、

補足日時:2007/03/28 09:01
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天正の場合、信長の天下意識、つまり天下を正すという意識で、つけさすようにしたが、押し通せずに、元亀になった。


その後、足利将軍家を京都から追い出し、名実ともに天下を取ったので、天正とさせたとのこと。
※ 当時の天下は、京都付近限定であったとのことですので、日本全国を統一という意味ではありません。
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