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日本が過去一度も植民地化されない理由は何でしょうか?
特に幕末辺りは、外国から見れば、チャンスだったのでは
ないでしょうか?
(金、銀、銅は、其れなりに採掘出来ていたと思いますし・・)
仮定の話になると思いますが、意見ある方は教えて下さい。

A 回答 (15件中1~10件)

 植民地化するためには当然その国を掌握しなければなりません。

国が小さく、軍艦1隻や2隻で制圧できるのであれば軍事力を行使する手もあるでしょう。
 たしかに幕末の日本は戦国時代に比べると軍事力は落ち込んでいますが、それでも軍艦数隻程度の規模で制圧できるほどの小規模な国ではありません。また全土を制圧するほどの大軍を送るには、日本はヨーロッパから遠すぎました。
 軍事力以外で国を掌握するための方法として、宗教を利用して民心を掌握する方法がありますが、これは江戸時代の鎖国・キリスト教布教の禁止などですでに失敗しています。
 そこで諸外国がとった方法は恫喝外交で不平等条約を結び、経済の面から日本を骨抜きにする方法です(実際植民地の多くはこの方法で植民地化されています)。
 しかしこれらの手口は日本人も知っていましたので、幕末から明治にかけての日本人の不断の努力により、なんとか防ぎきることが出来ました。
 日露戦争の勝利などは、それらの努力の表面化した結果の一つでしかないのです。
 まあ第二次大戦後の日本の有様をみると、植民地化されたと言えなくもないですよね。どう捉えるかは意見の分かれるところでしょうけど。
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植民地化されなかった理由としては、



(1)鎌倉、戦国の日本が気力、武力に満ち満ちていたこと
(2)キリスト教を最小に押さえ込むことに成功したこと

元が攻めてきたときは鎌倉時代で、武士が自信をみなぎらせていました。
その次は、選りによって戦国時代です。
あの頃の日本ならヨーロッパ全部でも相手にならなかったかも知れない、そんな時代に宣教師は来てしまいました。

戦国時代にキリスト教を広めることに失敗してますから、幕末になっても日本を支配することは無理でした。
内応する(裏切る)勢力がいなければ、そう簡単に支配することは出来ません。
また、幾ら優秀な大砲があっても、支配する為には歩兵を引き連れて来なければならないわけですが、
歩兵戦になればやはり幕末の武士とはいえども、戦いやすい相手には見えなかったでしょう。
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あらかた回答は出尽くしてる感はありますが、、、。


植民地の定義とうい視点から、回答を試みたいと思います。

殖民地と言うとき、支配者側と被支配者側とでは概念が変ってくる気がします。

支配者側から見ると、自国民を海外に移住させればそれで殖民地となります。
この場合、政策の違いによって幾つかの形態に分けられます。
1)本国はなんら干渉しない。(移住者が自主的に現地を支配する形や、移住者が現地人と同化する場合が多い)

2)本国は進駐軍を留めるだけで、主権は現地人に任せる。本国に反旗を翻した場合、進駐軍が中心になって鎮圧する。

3)現地の支配者を傀儡として支配する。

4)本国は、外交及び軍事を行い、内政は現地人に任せる。

5)本国から統治権をもった人を派遣し、その地を支配する。

6)本国からの移住者と原住民共に参政権を与え、自治させる。(正し、原住民には公用語の習得など非常に厳しい条件が付けられる場合が多い)

さて、被支配者側から見た場合、どの政策がとられた場合「植民地化された」と思うのでしょうか?
1)の場合は、同化してしまえば(また本国から見れば)殖民地ではなく立派な独立国となるかもしれません。しかし、移住者に原住民が支配される形態だと立派な殖民地と思うでしょう。(米国のインディアンの気持ち?)

2)の場合は、主権は完全に認められているのだから殖民地にされている意識は希薄になるのかもしれませんね。
しかし、よく考えると軍が居るのだから下手な事は言えない事になります。下手すれば、簡単に進駐軍に制圧させられますから。

3)これも、主権は一応現地人に認められているのだから、殖民地にされている意識は薄くなるかもしれません。
しかし、傀儡政権は大抵本国の意向に逆らえませんから、実質支配は本国ということに。

4)~6)は、主権がかなり制限された状態なので、殖民地にされている意識が強くなるでしょうね。

「日本が一度も植民地化されていない」という場合、4)~6)のケースを念頭に置いている場合が多いでしょうね。
しかし、1)や2)も殖民地の定義に入れると、「一度も植民地化されていない」と言えるかどうか、、、。
この辺りは、思想的・政治的立場が入ってきますね。
歴史は色々な見方が出来るので、試行錯誤しながら答えを見つけてみてください。
駄文失礼しました<(_ _)>
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No.12さんも指摘していますが、1945年の敗戦からサンフランシスコ講和条約で独立するまで、日本は占領地となってました。


現在でも米軍が駐留してるので実質的に植民地と言えなくもないです。
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>日本が過去一度も植民地化されない



言葉(単語)の意味を狭義に限定して、現実を正視する勇気が無いから…

島(沖縄や樺太・歯舞・色丹・国後・択捉等)は、日本の本土扱いしないから除外?
輸出品に「Made in Occupied Japan」の刻印が義務付けられた時代は、たった五年間だから除外?
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 米国から、なんら法的根拠も無く「年次改革要望書」なんてものを出されて、諾々と受け入れている現状は、植民地と表現してもさして誤りではないと思います。



 でも、それが国民にほとんど知らされていないという現状は、わかり易い「植民地」とはまた別の支配形態なのかもしれませんね。
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極東という地理的優位と植民地化されそうになった時、日本が欧米に劣らぬ実力を持っていたからです。

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アジアの超大国であった中国が日本に攻めてこなかったのは海があったのと日本より東に何もないと思っていたからです。

もし日本より東に大国があったら(当時アメリカは建国してない)防波堤の役目を期待して日本に攻めてきたかもしれません。(近代日本はロシアの防波堤にするために朝鮮を併合した。事実、日露戦争では日本国内ではなく朝鮮で戦闘が行われたので日本本国の被害はなかった)

幕末に外国が攻めてこなかったのは各国で事情があったからです。イギリスはボーア戦争でアジアを攻めるどころではなかったし、アメリカは南北戦争が終わったばかりで国内が疲弊していました。日本は外国がアジアどころではなかったときに急速に近代化して大国になってしまったのです。アメリカは1898年にハワイを強制的に併合したので日本の近代化が遅れていたらアメリカの植民地になっていたかもしれない。

その後は植民地や侵略戦争がタブーになっていったので第一次世界大戦の世界大戦のドイツや第二次世界大戦の日本、ドイツは植民地にされなくてすんだ。
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植民地とは隷属国を経営する事ですからね。



元寇時は覇道の為の帝国の版図拡大の為の侵攻でした。
だから、大航海時代のスペインやポルトガルはキリスト教の覇道の版図拡大路線だったから日本へ食指を伸ばしたのです。
結局は、アレキサンダーから始まる覇道の道は短命に終わるので、時間を稼いだ日本は届かなかった。
覇道を突き進んだ国から日本はと遠かった。

後はだいたいNo1さんと同感ですね。
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日本は東アジアの重要な停泊地でした。


特にGO WEST 思考のアメリカにとって、アジア進出の足がかりとして
かなり狙っていた様子でした。

日本最初の鉄道建設の際、米英が競って無償提供を持ちかけましたが、
日本は断わりました。 
国家規模予算と技術を必要とした鉄道建設ですので、本当は嘆願してでも無償提供を選ぶ処ですが、そこにかくされた罠を、日本は見抜きました。
提供された鉄道は、設備、敷地共、提供した国のものであり、提供した国の管轄下におかれます。(領土)
もし、そこが事故であれ故意であれ破壊された場合、管轄国の軍が合法的に介入出来るのです。それを発端にして戦争も起こり得ます。

こういった策を回避し続け、実質適な武力を持つに至ったおかげで、日本は諸外国の植民地にならなかったのだと思います。
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