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ミュンヘン会談でチェンバレンが妥協したこと(ドイツを含むヨーロッパの人々はヒトラーはそこまでしないだろうと考えた人が多かったとのこと)がナチスドイツを暴走させて第二次大戦を引き起こした原因となったとよく言われています。第一次大戦後ヨーロッパでは戦争はごめんだという風潮が台頭し、それが(平和思想が)戦争を回避させようとナチスに妥協しナチスを暴走させた(もしくは平和主義者が起こした戦争)という人がますが、逆にミュンヘン会談で妥協せずにナチスを叩き潰そうとした結果それが第二次世界大戦になってしまったということはないのですか?

A 回答 (3件)

>ミュンヘン会談で妥協せずにナチスを叩き潰そうとした結果それが第二次世界大戦になってしまったということはないのですか?



ありえますね。
英仏対ドイツという形ではなく、英仏対ソ連という形での戦争としてですが。

英仏にとって、ドイツというソ連との緩衝地帯が無くなって、直接対峙する事態は、極力避けたい状態です。
特にドイツ経済が崩壊した場合、英仏側にドイツが付いたとしても、多額の経済的負担を負う事になり、弱体化したドイツの面倒を英仏でみなければなりませんし、ドイツが共産化でもしたら、目も当てられない状況におちいってしまいます。
チャーチルなどは批判していますが、ソ連と共産化したドイツを相手として戦う事を考えた場合、英仏軍に勝ち目が全くなくなってしまいます。

ミュンヘン会談の時点で、英仏ともドイツの崩壊を望んでいませんでしたから、必然の結果として、あのような結論になったわけですが。
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1936年3月 ラインラント進駐


1938年9月 ミュンヘン会議
1939年9月 ポーランド侵攻
1940年5月 フランス侵攻
ラインラント進駐の段階で、「もし、フランスが抗議したら、撤退した」とヒトラーは語っています。慎重なドイツ軍部ではなく、ヒトラーでさえ、この段階では本気になったら勝てないと踏んでいたわけです。また、ポーランド侵攻やフランス侵攻において、ミュンヘン会議の結果獲得したオーストリアやチェコの戦車が主要とは言わないですが、主戦力の一部として使われています。戦力的にはかなりギリギリの博打でありました。
英米が強い態度に出たら、ヒトラーも引いていたと思われます。
想像ですが、戦後のソ連が監獄国家と言われながらそれなりに存続したように、ドイツも監獄国家としてそれなりに存続したでしょう。スターリンと同等に政治家としては有能でしたから、ヒトラーは。
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チェンバレンが警戒していた相手は、ドイツではなくソ連でした。

イギリスがドイツに対する宥和政策を放棄し、ドイツへ宣戦布告した理由は、ドイツとソ連の同盟(独ソ不可侵条約)が明らかになったからです。
なおミュンヘン会談の時点で、ドイツに英仏と戦える戦力は存在しませんので、イギリスにナチスを潰す意志が少しでもあったなら、外交的な威圧だけで、簡単に潰せたでしょう。
実際、ミュンヘン会談が決裂した場合、英仏との開戦必至、という状況になれば、参謀総長ハルダーによるクーデター計画が発動していた可能性が高いです。
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