2024年のうちにやっておきたいこと、ここで宣言しませんか?

明治4年に出発した岩倉使節団ですが、その滞在費用はどの様にして日本から欧米の随時行先を変える使節団に送ったのでしょうか。
その滞在期間は2年近くにもなり、次々と行き先を変える中で、具体的にどのような方法で滞在費を送ったのか以前から気になっていました。
今の様に一瞬で送金できる電信振込みの様なものがあったとも考えられず、どの国でも使える金貨(そんな金貨は無いと思いますが)を出発時に大量に持って行ったはずもないですよね。
どなたか教えて下さい

A 回答 (5件)

渡航費・・・イギリス、フランス政府が負担


滞在費・・・予算額31万ドル
在日イギリス大使の紹介により、政府は、中国に本店をおいたデント・アンド・カンパニー銀行の横浜支社に30万ドル分の金貨を持ち込み。
銀行は手紙(預金証明書のようなもの?)を海外に送付し、同行並びにロスチャイルド銀行にて日本政府が引き出せるようにした。
これとは別に1万ドル分を緊急時用に他の銀行に預ける。
また同大使にのアドバイスにより、渡航中に金銭降ろせない等の最悪の場面に備えて、他国にある銀行から一時的に金銭を都合をつけられるよに、金銭貸借時用の日本政府保証書を作成し持っていったとのこと。

金貨はスペインかメキシコの金貨でした(はっきり思い出せません)

出展:~使節団なんちゃら、~部分は、岩倉ではなく欧米使節団だったような・・・
なんちゃら部分は覚えていません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
具体的で解りやすかったです
渡航費は英仏が負担してくれたんですね
初めて知りました

お礼日時:2007/05/07 21:52

 一瞬でというのは無理ですが、2~3ヶ月?もあれば、外貨を受け取れたと思います。


 下のURLで幕末に主君のお供をして外国留学をした渋沢栄一の行状記が載っていますが、その中の一節に
『栄一が国の送金からかなりの額を積み立て国債・鉄道債に投資していたため、祖国での混乱に関わらずパリでは、主君とともに規則正しい留学生活が続けられた』
http://blog.goo.ne.jp/norilino1045/d/20060330
 為替という制度は江戸時代には出来ていました。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E6%9B%BF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD% …
 幕末の日本には外国公館がいくつも出来ています。
 また、外国の銀行も進出しています。↓この本には文久3年(1863)が最初と出ていました。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E9%8A …
 日本通貨と外貨の交換レートは、当時の大きな外交上の問題になっています。↓
http://www.meijigakuin.ac.jp/~cls/essay/hon/no24 …
 渋沢栄一はこの為替により外国で外貨を受け取っていたと思われます。この時期電信はまだ無理だと思いますので時間はかかったでしょうな。
 岩倉使節団が実際に旅行途上でお金を受け取っていたかどうかは知りません。それでも、お金を送っていたとすればそのようなことだと思います。
 ちょうどその頃は明治政府も主要外国へ公館を設置し始めた時期で、外交官第1号といわれている鮫島尚信がパリで同使節団を迎えたという記録がありますので、鮫島から受け取ったかもしれません。
 まあ、江戸時代や明治の初めといえども結構進んでいたと思います。制度的には今と変わりません。スピードが遅いだけだと思います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました  為替はそんな前からあったんですか・・・
当時は使節団以外にも渋沢をはじめ、大勢の人々が欧米に留学等で行っていたわけですから、そういった制度が無ければ困りますよね

お礼日時:2007/05/07 22:02

質問とは関係ないのですが、No. 1 の方の書かれたフルベッキ写真について。



夢を壊したら申し訳ありませんが、世間に流布しているフルベッキ写真の人物比定はほとんどでたらめです。
写真は佐賀藩の致遠館で教えていたフルベッキが退職するとき、教え子の佐賀藩の若侍達と撮ったもので、高杉晋作も西郷隆盛も勝海舟も、ましてや明治天皇もいません。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/
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http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.refe …

事前に現地の有力企業へ甘い利権話をちらつかせておき、借金、でしょうかね。サギ師みたい・・・。実際、サギにもあってます。(条約は結びそこない金取られ、世間へ大使、何と岩倉)

ちなみに西郷隆盛は、若いころから諜報活動に従事してましたので、写真は取りませんでした。
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http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%95%E6%9C%AB-%E7%B …

【写真」とは、幕末ファンなら誰もが知っている「幕末志士全員集合写真」、通称「フルベッキ写真」と呼ばれる一枚。そこには龍馬はおろか、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、大隈重信……明治維新の主役たちが一堂に会し、中央には外国人親子が陣取っていた。】

とうわけで、秘密結社がパトロンだと思います。
各国にはロッジがあり、そこで滞在費用をまかなってもらっていたのではないでしょうか。
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