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山川出版社発行の『詳説日本史B』の教科書で、旧課程の教科書では、『中世』は『源平の争乱』からだったのが、新課程の教科書では『院政』からとなっている理由はなぜですか?

A 回答 (2件)

まず、「古代・中世・近世・近代・現代」という、歴史区分法についてお話いたします。


元来、この歴史区分法はヨーロッパで生まれた思想で、明治期当りに日本が色んな西洋思想を輸入した時に、同時に「西洋歴史学」も輸入しました。

西洋では、ルネッサンスによって「古代ギリシア・ローマ」を意識し始めました。
そこで、「古代ギリシア・ローマ」の文明・文化が失われた時代として「中世」が位置づけられていきます。
そして、「中世からの脱却」として「近代(ルネサンス期 )」が位置づけられました。
その後、時代が下るにつれて「中世」と「近代」の間の時代として、「近世」が出来ました。
「現代」についても、二つの世界大戦後に「現在進行形の歴史」として意識されるようになりました。
そして、新たに「同時代史」が現在意識され始めているようです。

このように、西洋ではじまった「歴史区分法」を日本に当てはめようとした事が、現在でも続いています。
しかし、西洋と日本では歩んできた歴史が違う。
なので、そのまま当てはめるのは無理がありました。
そこで、所謂「時代区分論争」というのが盛んに行われることになりました。
現在は徐々に、古代・中世・近世・近代といった歴史区分法は「日本史」にはそぐわないとして、もっと細かく日本史を見ていこうとする風潮に変ってきているようです。
しかし、まだ完全に「脱却」できておらず、しばしば「見直し」が行われることになります。

そもそも、教科書は様々ある学説の中から、編集者が取捨選択して掲載します。
その過程で、「院政から中世」という説を選択したのでしょう。
しかし、徐々にではありますが上記の歴史区分法は意味を失いつつあります。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。
なかなか難しい問題ですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/06/09 22:42

歴史区分の発見



最初は「今」と「昔」しかなかった。
ルネッサンス以降、「今の時代は良いよな、ちょっと前は封建制で、ダメダメちゃん、その昔のギリシャ・ローマは良かったよ、きっと。」
ってことで、封建制の(暗黒の)中世というのが定義された。

で、これを日本に当てはめた、当てはめたのは明治の人たち。
江戸時代は封建制で中世だよな、けど宗教権力はないから、ヨーロッパと違うから、うーん、江戸時代は近世にしちゃおう、で、明治維新からが近代。ほなら、中世は?封建制だから、御家人体制の鎌倉時代からでしょう、ウンウン。ってな感じ。

歴史研究が進んだら、どーも院政期の在地の政治状況が源平そして鎌倉期までかわらんじゃんというので、院政期まで中世にしちゃえってことです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。
なかなか難しい問題ですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/06/09 22:41

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