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子供のころ三国志を読んで、張飛の圧倒的な強さにあこがれました。
一人で百万人を相手取るとかしびれます。
しかし、大人になってみると、
「いくら凄腕のものでも一人で何万人もの相手ができるはずないじゃん」
「ものすごく強い武将一人より、そこそこ強い武将二人の方が役に立つのでは?剣道でも町大会優勝の人と一回戦敗退の人×2で勝負したら後者が勝つし」
と思ったのですが、実際のところはどうだったんでしょう?
今のところ思いつくのは
「肉体的な能力ではなく、作戦を立てるのがうまかった」
「部下の信頼が厚く、張飛の兵隊が強かった」
くらいでしょうか?
それから、歴史の時間に「大将は前線でなく一番奥のほうに陣取っていた」と習ったのですが、
本当は漫画みたいに一番先頭にたって戦ったりしなかったのでしょうか?

A 回答 (8件)

関羽については、演義のころからすでに忌み名(羽)を避ける書き方をしていますから、少なくとも明初までには神格化されていたようです。


また、騎馬戦については、遊牧騎馬民族という反則的に強い部族に対抗するため(そして他国との戦争で優位に立つため)、趙という国が戦国時代に胡服騎射という、馬上で弓を撃つ兵をすでに配備しています。
また、前漢の正史である漢書にも衛青らの英雄が騎兵を率いて匈奴を討ったとなっていますから(歩兵だけ率いて負けたという話も、別の将軍で伝わっています)、三国時代には馬に乗って戦っていたのはほぼ確実でしょう(そういえば公孫サンは白馬でそろえた騎馬をつかっていたとされていますね)。もっとも、鐙(のようなもの)が今とまったく同じ形だったかは不明でしょう。

さて、張飛についてです。三国志演義は確かに脚色はありますし、筆を曲げている部分もあります(ただ、書いた本人はこの筆を曲げた部分についてはかなり気にしていたらしく、曲げた部分については、濁した表現の部分も多いとされています)。
しかし、正史でも「一人で一万の兵に匹敵する」とかされていますし、関羽伝では張飛とあわせて「萬人之敵(万人の敵。これは万の兵に匹敵する武という意味です)」と称されていたりしますから、すくなくとも当代随一の武勇を誇っていたのは間違いないです。

ただ、その次には「彼は部下に恩愛をかける配慮が無い」と評され、士大夫(つまり高官系の人)を敬愛する反面、兵(つまり平民。もとは張飛もこの階級)にひどく当たったとされています。
ちなみに、まったく逆だったのが関羽で、彼は出世した後は士大夫にひどく当たり、結果的に孫呉が侵攻してきた際にあっさり寝返られてしまったのです。

また、性質的な面では、三国志演義ではどちらかといえば貧乏くじを引いている面が強く、聖人にしなければならなかった劉備、神様になっている関公の、暴力的な面をかなり押し付けられているとされています。もっとも、それを差し引いても粗暴な人物であったことに変わりないですが・・・

剣道の話云々はちょっと適切でないような・・・おそらく実力差でいえば日本トップクラス(当時の中国の人口は今の日本の半分くらい)の人間と剣道練習中が戦うようなものですから。
兵卒なんていうのは数年訓練つめればそれはもう超ベテラン兵なわけで、多くはほとんど訓練もせずに狩出されたことでしょう(実際問題、実戦で生き残る=訓練という感じかと)。錬度の面でそもそも武将にかないません。
実際問題、当時の戦乱の死亡率がすさまじく、三国時代が終わったころには人口は7分の1になるほど、人が消耗する戦争をしていたのです。いわゆる兵とも呼べないような兵が、大量に投入されていたと考えられます。
さらに、武の才に乏しい人がどんなにがんばっても日本一になることはできないように、才能面ですでにどうしようもありません。

一騎打ちについては・・・難しいところなのですが正史にも例があります。太史慈と孫策の一騎打ちなのですが、これは正史に書かれており、どうも本当にやったようです。もちろん、演義ではかなり架空の一騎打ちが盛り込まれ数が増えていますが、実際のところ「やらないことはない」というものであったようです。

やはり張飛の強さは、個人的な強さと、それを糧に兵を引っ張っていく力にあったのであろうと考えられます。演義抜きにしても、三国屈指の猛将であったのだけは間違いありません。

この回答への補足

ありがとうございます。結局のところ、張飛(だけじゃないですが)は
実際に殺し合いに参加したのでしょうか?
信長とかの武将は全く殺し合いに参加していないイメージがあるのですが、張飛とかとは別なのでしょうか?

補足日時:2007/06/10 17:34
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【三国志】といわれているモノは、フィクションだから、めちゃくちゃ強いぞ!というキャラクターが必要で、たまたまそれが張飛という名前の人にあてがわれたと言うことだけです。


ちなみに、ちなみに関羽が関帝廟とかで、偉い神様になっているのは、関羽が山西省の出身のためです。
中国での税金では、塩税が大きな比重を占めます。岩塩の産地として塩野流通に関わったのが山西商人。清の末期に、徴税権が敗戦の結果外国に奪われました。それによって、山西商人は直接海外と結びつき、商人として大きく成功するとともに海外に進出します。進出先で、「うちのところの有名人だれだっけ?あ、関羽いるじゃん」というので、どんどん偉い神様になりました。
歴史とはそんなモノ。
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歴史書である正史の三国志からエピソードを二つ(今手元に本がないので、細かい部分はWIKIの張飛のページや下のURLの張飛の項目などインターネットの記事からの受け売りになりますが…)



劉表が死んでから、劉表の領地へと曹操の軍が押し寄せました。
そのとき劉表の元に身を寄せていた劉備は、逃げ出すことになりました。
さて、そのとき殿を務めたのが張飛です。とある橋の前で曹操軍にたった二十人の部下とともに対峙します。張飛は自分の後ろにある橋を切り落とした後、曹操軍に向かい「我こそ張飛、いざ死を決さん!」と叫びました。
曹操軍は張飛に近づくことができず、劉備は無事に逃げ延びることができました。

また、劉備が蜀を支配してから曹操の部下の張コウとの闘いでは、一万の兵を率い、張コウの兵を狭い山道で待ち伏せて、交戦。地の利を活かして勝利しました。張コウは十人あまりの部下とともに逃げ出したようです。

歴史書に書かれているからといって真実そうであったかはわかりませんが、歴史書である三国志を読む限りでは、
個人的な武勇と、兵を率いる能力、両方を兼ね備えていたようにおもえます。

参考URL:http://mujin.parfait.ne.jp/search2.cgi?text=shu6-2
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長坂橋の仁王のことでしょうね~



この時、張飛は一度に大勢の相手と戦うのは無理があると判断し、細い橋の上で敵と対峙して1対少人数の戦いを挑んだわけですので、一度に100万の相手と戦ったわけではないです。。それでも十分すごいですが、、、

「肉体的な能力ではなく、作戦を立てるのがうまかった」>作戦を立てていたのは諸葛亮なので、最強の肉体に最強の智謀が加わったことも張飛の強さだったのではないでしょうか??

この回答への補足

ありがとうございます。
孔明は文官であって作戦を立てる立場ではないと聞きましたが、
違うのでしょうか?
(もちろん演義では軍師として描かれていますが)

補足日時:2007/06/10 17:32
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今、私たちの知っている「三国志」は全て「三国志演義」を元ネタにしています。

この三国志演義は明の時代に書かれた「小説」です。明つうのは1368年から1644年まで続いた国家で、三国時代は220年からですから、まあ今でいう時代劇と同じなわけです。

三国時代の戦争が現実的にどんなものであったのか、実は資料が残っていないのでほとんど分かりません。しかし、ある重要な事実が判明しています。

それは、「当時の馬具には『あぶみ』がなかった」ということです。

あぶみっつうのは足をかけるところです。つまり、あぶみがないと足が踏ん張れないので、馬上で槍を振り回すことは不可能です。
なんということでしょう。三国志の豪傑が馬上で一騎打ちする三国志最大のハイライトシーンは全くの荒唐無稽な話だったんです。ああ、なんということでしょうか。
だから、アクション映画で主人公の撃つ弾が当たるのに主人公に弾が当たらなかったり、時代劇の主人公がバッタバッタと悪い奴を斬るのに全く刀の切れ味が落ちないことを「現実的にありえるのでしょうか」と問うことと同じで、夢は夢としてそっとしておいたほうがいいと思います。
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子供の頃は確かに強い武将に憧れますね。


張飛の百万人というくだりはたしかに強烈に印象に残っています。

しかし、幾らなんでも演義と史実を混ぜるのは無理があります。
まあ、大人になったのならその辺りに気づかなくては^^;

一騎打ちにしても演義が導入した空想の産物。
部隊を統率する立場の武将が軽々に一騎打ちなんぞすれば、
それこそ打ち首になるでしょうな。
士気高揚とか座興とかの面もありますから、全面否定は致しかねますが。
(一騎打ちはあることはあったのだろうが、演義は誇張しすぎ)

>大将は前線でなく一番奥のほうに陣取っていた
まあ、そうですが蜀を持つまでは一介の武将ですから・・・
猛将には前戦で統率してもらわないと困るでしょう。

勿論、先頭にはいきませんよ。
先頭はどうでもいいような農民兵です。
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張飛は部下に寝首かかれるほど嫌われていたんだが……


上にゴマすり下には殴りまくる最悪の上司
強いて言うなら何も考えてないところが強い理由
演義は誇張されまくりだからあまり本気にしないほうが……
あくまで個人的主観で一般的じゃないかも知れんがな
一人で百万人を相手取る

そんなシーンあったっけ?
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「マンガやゲーム」の知識しかありませんが、


張飛は「知力・魅力」は低く
作戦がうまいのも、部下の信頼が厚いのも 該当しないと思います。
個人的には、「武力」だけがとても高く
一騎打ち(1対1の勝負)で強く
例えば、相手の大将(指揮官)を倒せば戦いが勝利(有利)になるとかではないでしょうか?
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