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現在放送されている大河ドラマ風林火山で、鉄砲売りに変装して勘助が越後にいる影虎を偵察したってのは本当でしょうか??
上杉謙信について書かれている、天と地とでは、宇佐美定行が鉄砲をもってきたとかかれています。
詳しい方どなたかご教授お願いします。

A 回答 (5件)

再度の質問の場合、新しく作ったほうが、よい回答が得られやすいかなと思って言いますが・・


山勘については、おそらく山本勘助が元になっているのはたしかでしょう。ただ、別に同時代の人物が「山本勘助の勘はよく当たる」とか言っていたわけでもなく、おそらく後世の人が、甲陽軍鑑(江戸時代の兵法書としては筆頭で、バイブルです。大河でやった新撰組にも武田観柳斎という実在の甲州軍学者が出てきますね。つまり、戦国時代の兵法話が、幕末まで最高峰だったわけです)を読んで、言葉を作り出したと考えられます。
なお、山勘の語源については「山師の勘」という説もありますね。

歴史的事実の考証については、まず資料が第一です。
たとえば、もっとも信憑性が高いものは、書簡、書状があります。つまり手紙ですね。当人が他家に書いて当てたものですから、かなりはっきりした証拠になります。
で、次に書物。たとえば、信長公記などはかなり高く評価されており、多くの部分が「本当」であると考えられています。注意しなければならないのは、これら書物の信憑性を裏付けているのは、やはり書簡などといった「脚色の介在する余地がほぼないもの」だということです。つまり、書簡などと一致する点が数多くあれば、それは信憑性がおけるという話です。
もっとも信憑性が置けないものは、軍記物があります。これは、簡単に言えば史実を面白おかしくしたものであり、平家物語などがありますね。甲陽軍鑑も、これに入ることが多いようです。たいてい書簡と食い違った表現があったりします。

さて、歴史には不確かな部分があるのは事実です。しかし、その実、かなりの部分が判明してもいるのです。たとえば、武田信玄が1573年5月13日に死んだというのは、いろいろな資料から、わかっています。
つまり、多くの人物には、ある程度の「骨格(アウトライン)」が存在しているのですね。つまりそれが、歴史における「確かな部分」です。
で、歴史の不確かな部分・・つまり、骨格からはよくわからない肉の部分が、やはり存在するわけです。信玄の死因なんかが、そうですね。
それを、資料をとにかく洗って考証するのが、歴史学のひとつの目的であるともいえます。
つまり~~だから、~~ではなかったのか。という話です。たとえば、信玄の死因ならば
「侍医御宿監物書状に結核らしき症状が書かれているから、結核が死因だ」
「いや、松平記には銃撃での負傷が元で死んだとなっているから、銃弾だ」
「甲陽軍鑑では癌と思えるような記述があるから癌だ」
「いや、松平記も甲陽軍鑑も~~(書簡など)と食い違っていて信用できない書物だ。やはり結核だろう」
「いやいや、信長は信玄を恐れていたから、砒素で毒殺したんだ。それは~~という書物(たいていは信憑性が無いトンでも系)に書いてある(いわゆる珍説)」
という感じですね。

で、歴史小説は、考証するという点では同じなのですが、その目的が違うのです。
簡単に言えば歴史小説というのは「歴史を題材に面白い読み物をつくる」というものです。たとえば、上に挙げた説のなかで、一番面白そうな説はどれでしょうか?
砒素なんか面白いですね。ですから「信長は三方ヶ原の戦いにおける信玄の強さを知って驚嘆した。そこで信長は信玄の毒殺を計画するのだった・・・」なんていうネタを書けば、面白いかもしれません。
もちろん、珍説を取り上げるか、硬い説を基にするかは、小説家の裁量ですが、結局、面白くするための工夫がはいっているのですね。

そして、山本勘助は「骨格」がないですから、自由にやれるわけです。

事実かどうかの見極めについては、歴史小説ではなく、学術書などのお堅いものを読んだほうがよいと思います。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすくありがとうございます。

お礼日時:2007/09/10 19:04

異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見 (新書y 170) (新書)



紀州藩で越後流軍学を教授した宇佐美定祐。
この人が、いかにして越後流軍学を偽造したか出ています。

司馬遼太郎は、司馬史観という言葉があるように、独自の世界=司馬の小説の世界なので、歴史として考えるには、確認が必要です。
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今年の大河ドラマのおもしろいところは、山本勘助を主役にしたところですね。



というのも、彼は甲陽軍鑑にしかろくな記述がなく、またその書物は、かなり信憑性が低い代物として知られています。そのため、昭和までは山本勘助は架空の人物である、とする説も強かったのです。
しかし、市川文書という文章のなかで名前だけは確認され、どうも実在らしい、という状態になっています。ただし軍師ではなく、伝令であったようです。

そうなると、大河ドラマにおいて重要視される歴史考証は、山本勘助という人物においてはほぼ意味がありません。変に歴史的事実を崩すと批判される大河ですから、多くの大河は筋道が決まっています。
しかし、今年の場合、甲陽軍鑑を一応の下敷きとして、とりあえず他武田の大きな動向は史実に沿うとして、あとは「川中島で討ち死にする」くらいを押さえておけば、文句は上がらないわけです(考証に文句をつけるくらい歴史に詳しい人なら、そもそも山本勘助自体がわけわからない人だというのは当然知っているので)。

ですので、今年の大河はかなり自由にやっているという印象が強いですね。まあ、そこが今年の大河の強みでしょうが。
なので、そのエピソードについては完全に創作ですし、ほかの多くのエピソードも、創作として見ていたほうがいいです。変に本当のことと信じ込むと、恥をかくかもしれませんしね。
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この回答へのお礼

わかりやすくありがとうございます。


最近、歴史に興味を持ち出して、司馬遼太郎とか読み始めたり、大河ドラマを見だしたので、大河ドラマの性質も知らず信じるところでした(笑)

ってことは・・・山本勘助からやまかんって言葉が生まれたって話もうそですよね。

歴史は不確かな部分が多いと思うのですが、どのように見極めればいいのでしょうか??歴史小説自体の記述が確かでなかったら見極めることできない気が・・・。

『天と地と』に出てくる宇佐美定行も架空の人物とかマジでへこみました・・・。

お礼日時:2007/09/09 10:47

宇佐見定行自体がほぼ 架空の人物ですので。



歴史カテゴリーでの回答としては、みんなウソ。
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この回答へのお礼

宇佐美も実在しなかったんですか・・・。ちとショックです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/09 10:38

わからないです。


山本勘助が、何をしていたかわからないから、
偵察していてもおかしくはないと、
脚本が決まったと、何かの記事で見た覚えがあります。
これから戦う上杉謙信と宇佐美定行の紹介の為に、
そうしたんでしょう。
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この回答へのお礼

そうなんですか。ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/09 10:37

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