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光が量子と波動の両面性を持つのは周知の事実ですが、
波動としての性質が出ているときに、光子はどうしてるのですか?

都合に応じて量子としての性質を出したり、波動としての性質を出したりしているということでしょうか?
そうだとしたら何か生き物のような意思をもったものになるような気がしますが。

それとも光子が波打って動いているということでしょうか?
ですがそれだと途中でなんらかの力が常に働かないと、そうはなりませんよね。

うーん・・、自分で質問しててよくわからなくなってきました。
どう考えればよいかご意見などもお寄せください。よろしくお願いします。

ただの物理好きなので、質問文に専門用語などは至りません。申し訳ありません。

A 回答 (6件)

光の正体は電磁波ですから、波動性を持つことについては、抵抗なく受け入れることができると思います。

(電子のようなフェルミオンに波動性があると言われると抵抗があるかもしれませんが…)
一方、光の粒子性がどんな場合に顕著に現れるかですが、それは例えば光のエネルギー(振幅)が非常に小さい場合です。振動数νの光の場合には、hνを単位として、光のエネルギーが1個、2個、…と数えられるようになります。(hはプランク定数)
つまり、光は波動性を示すと同時に、振幅の値が離散的な値をとります。後者が光の粒子性と呼ばれ、hνを単位として光子が何個ある、と解釈しているのだと思いますよ。(実生活で見る光のエネルギーは非常に大きいので、粒子性は感じとれませんが…)
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ame-sancさん、こんにちは。



ご質問のように思われることは大変もっともなことであり、非常に良い質問だと思います。現に百年ほど前の物理学者は、そのこと(あるときは波動、別のあるときは粒子とはいったいどうしてか)で大変悩んでいました。

実は、粒子性と波動性の両面をもつということは、光があるときは粒子でありあるときは波になるという意味ではなくて、光は常に同時にその性質を持っているのです。これは日常我々が目にするような普通の意味の波動だけを考えていたのでは理解できないことですが、どのようにして両立しているのかを示す例を以下に説明しましよう。

いま、例えばある光源から光子を一個ずつぽんぽんと、十分に間をあけて放出している状況を考えてください。あくまでも一個ずつなので、これは「光子」と呼ぶことができます。ただし、方向に関しては不確定とすると、これは実は「確率の波」になっていて、波の性質である「干渉」「回折」などをします。(一個なのにです。)この「確率の波」という考え方(正確に書くと「確率振幅の波」)が、ご質問の疑問を解決するキーになります。

例えば、この確率の波を二つ穴の空いた板にぶつけ、その先にスクリーンを置いたとします。常に光源からは一個ずつ光子が出ている状況はそのままで、光源からスクリーンの間には常に一つしか光子が存在しないようにします。

二つの穴は光源から対称の位置にあけてあるとすると、どちらの穴を通るかは確率1/2です。しかも、面白いことに、この二つの穴から出た光の「確率の波」は「干渉」します。その付近には常に光子一つしかないのにです。

そして、板の先においたスクリーンに光に反応するものを置いてどこに光子がたどり着いたかを観測すると、スクリーン上の1箇所に光子が到達します(粒子性)。これはサイコロを振ったらサイコロの目を見た瞬間に1~6のどれかに数が確定するのと同じイメージです。

ところが、これをいくつも繰り返して出来上がったスクリーン上の濃淡の像(光子の到達位置の分布)は、ある波打った形になります。もし干渉していなければ、二つの穴の先のスクリーン上の二つの位置に小さい像が二つできるだけですが、そうはならず、波打った像になります。これは光子の「確率の波」が、干渉していることを意味しています。実際、確率の波が干渉しているとして計算すると、スクリーン上の像の形が再現されます。

つまり、光は、常に「光子」でありながら、同時に波でもあるのです。しかしその波は、日常直感的に想定するような媒質の変位(水面の波で言うと水面の高さに相当する)で理解できる波ではなく、媒質の無い「確率の波」です。しかも、一つの光子でも、確率の波になっています。一つの光子が空間的に広がっているのではなくて、その存在確率が広がっているだけです。実際いつでも観測すれば、光子は一つの場所に観測されます。(一つの光子が分解されていろんなところに観測されるわけではない。)そして、そのような観測を何十も何百も繰り返すと、観測される位置はケースバイケースでいろんな分布をします。これは、サイコロのたとえで言うと、何百回もサイコロを振ると、1~6の目がほぼ同じ数だけ出るのがわかるのと同じことです。ただし、光子の波の場合はサイコロの目のように均等にはなるとは限らず、干渉したり回折したりした結果、いろいろな模様になります。

実は、電子など他の粒子にも、同じように、波動性と粒子性の両方の性質があります。

粒子性と波動性が両立しないように思われるのは、あくまでも古典的な描像で考えるからです。これが実は両立しているというのが、量子力学ではじめて理解できたのです。(量子力学でいう波動関数は、確率の波の様子を表わす関数です。正確に書くと波動関数は確率振幅を表わし、確率振幅の絶対値の2乗が確率になります。)

以上のことは、量子力学の基礎であり、大変重要なことです。例えば、朝永振一郎著の「量子力学I」の§15あたりには、この実験の話が、数学的な予備知識なしでも読めるように書かれていますので、図書館等でご覧いただけると理解が深まると思います。その実験結果の解釈はその§15には書かれていませんが、量子力学によれば、上に書いたように「確率の波」という考え方で解釈されています。

この「確率の波」ということ自体、日常直感的には不思議なものに見えるはずです。それは、ミクロの世界の話が、我々の日常目にする状況とは、だいぶ異なっているのが現実だからであり、不思議に見えるのは仕方がないことなのです。しかしながら、量子力学は、その後の数多くの実験によって検証されており、確率の波による解釈は今日では定着しています。
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光の量子的状態が波動性(電磁波)と粒子性(光子)の二面を持っていて明確に分離出来るようなものではないのです。

他の物質との相互作用において、どちらかの性格がより顕著に現れることになりますが、必ずしも、この現象は波、あの現象は粒子、と明確に100%どちらかに決められるものでもありません。

「都合に応じて量子としての性質を出したり、波動としての性質を出したりしている」ように見えるのは人間側の(観測や説明・解釈の)都合であって、光自体に「今度はこの性格を出してやろう」とかの判断が働いているわけではないでしょうね、たぶん... (光に尋ねてみたことが無いので光子の真意は分かりませんが....)。

なお、波と言っても、電磁波は音波や水面上の波とは凡そ性格を異にするもので、アナロジーはほとんど通用しません。歴史的にも「エーテル」なんて抵抗の全く無い固体!の性質をもつモノが考えられたのは、それなりの理由があります。「アインシュタインによってエーテルは否定された」と通俗本が解説するほど、「エーテル問題」は単純ではありません。(単に「エーテル」を「真空」と置き換えただけでは理解は深まりません。)いまだに電磁波の伝播のメカニズムは謎を秘めた興味深い研究分野です。
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光子は一つ一つ数えることができます。

これが光の粒子性として知られている光の性質です。しかし、その粒子性はそのあたりにある石ころの様なものではありません。例えば、”同じ状態”にある光子を観測するとします。すると測定の度に異なる場所で観測されるはずです。これが光の波動性です。光子が観測される確率は波の振幅の2乗となるようになっています。
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多分, 「量子として見たときには量子として」, 「波動として見たときには波動として」見えるんじゃないかなぁ.


どちらかというと, 「人が見たいものしか見えない」ってことかな?
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光は光。

あるがままですよ。それを人間が観測すると、波の性質が見えたり、粒子の性質が見えたりするだけです。
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